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ウーアルカイシ

2020年10月に、ジャズヴォーカリストCeline Shue Quartetの演奏を聴きに行きました。場所は光復南路にあるNoteというライブハウスでした。
ライブの終わる時に、Celineがライブハウスのオーナーを紹介してくれました。それが、ウーアルカイシでした。

NoteでのCeline Quintetのライブ

ヴォーカリストCeline Shue 徐席琳は、台湾で親しくしてもらっているジャズヴォーカリストの1人です。MAJI集食行樂やEidos Cafe、今は無くなってしまった露西亞咖啡などでのライブをよく聴きに行ったことで面識を持ちました。
その彼女が、Noteというライブハウスで演奏をするというので聴きに行ってみることにしました。2020年10月のことです。このライブハウスは元々昔からバーとして営業していたそうですが、このころジャズライブを企画し始めていました。案内が出ていたのは知っていたので、Celineが出演するのを機に行ってみることにしました。

Celineはこの時、お気に入りのピアニスト郭俊育とベーシスト石哲安を加えて、とても嬉しそうに歌っていました。

Celine Quintetの演奏

ウーアルカイシ

このライブには、実のところ少し困ったことがありました。テーブル席に陣取っていたリスナーの一群が、酔っ払って騒ぎ出したのです。このグループは、ヴォーカルが歌っている最中から大声でおしゃべりをし、音楽の邪魔になっていました。ジャズライブを単なるBGMとしか捉えていなかったのでしょう。ここはコンサート会場ではない、お酒を飲むバーだという意識なのだと思います。台湾のジャズのライブハウスには少なからずそういう類いのお客さんがいますが、この日の彼らはそれにしてもうるさかった。

そして、Celineのステージが終わると、この酔っぱらいのうちの1人がステージに上がり歌を歌うと言い出しました。そして、仲間の1人をピアノの前に座らせて、ビートルズの歌を歌い出しました。周りのお客さんはやんやの喝采でした。
ところが、彼の歌唱力は立派なもので、酔っていたのでややピッチは怪しかったですが、本物の歌手の歌でした。どうも台湾では著名な歌い手だったようです。それが、仲間のピアニストを従えて舞台に上がったのですね。

この騒動が終わったあと、Celineがあらためて舞台に上がり、このグループと一緒にいた1人の人物を舞台に呼び出しました。そして、こう紹介したのです。

「この方は、このライブハウスNoteのオーナーです。そう、皆さんご存知の中国天安門事件での民主主義の指導者、ウーアルカイシさんです。」

僕は、突然のことで何のことか分からず、ポカーンとした状態でした。そして、ウーアルカイシは簡単な挨拶を始めました。詳しい話は忘れましたが、僕が覚えているフレーズがあります。

「私は、中国で民主主義のために、自由のために戦いました。それは、あの様な結果になりましたが、私のこの心は変わっていません。私がこの場所で皆さんにジャズを届けるのも同じ理由からです。自由のためです。

ウーアルカイシさんは"民主主義"と"ジャズ"を、"自由'というキーワードでつなぎ、この様に話しました。観客はこれを聞いて大きく頷いていました。

ウーアルカイシとCeline

天安門事件のあと

同じ中国の天安門事件の闘士、王丹は様々なメディアで中国政府を批判し、継続的に政治活動をしています。それはFacebookのページや、大学での教職業務、著作の発表などで巷によく知られています。僕も彼のFacebookのメンバーになっていてフォローしています。

しかし、ウーアルカイシのことはその時まで何も聞いたことがありませんでした。しかし、この時のライブの様子から、台湾では著名な人物であろうと感じ、帰ってからネットで調べてみました。そうしたところ、彼が台湾の配偶者を得てこの地に根を下ろし、生活しているということが分かりました。詳しくは下記の中国語のWikipediaスレッドを読んでみてください。日本語のものにはあまり情報がありませんが、中国語版には詳しい説明があります。

参考に、いくつかの要点を日本語に訳出しておきます。
・ 1994年、中華民国籍の女性、陳慧玲と結婚。
・ 1996年、中華民国に移住し台中で暮らし始める。
・ 1999年、中華民国での居留権を取得。
・ 2008年、中華人民共和国に入国を要請。
・ 2009年、マカオへの入国を試みるが拒否される。
・ 2014年、ひまわり運動に際し、学生を鼓舞する。
・ 2014年、陳慧玲と離婚。
・ 2015年、大愛憲改聯盟から立法委員に立候補。

台湾でネットのニュースを見ていると、時々ウーアルカイシの記事を見ることがあります。王丹が台湾に来たときに会って食事しているとか、アメリカからペロシ議長が来た際に面会をしたとかいうニュースです。現在でも彼は政治活動を続けているようです。

台湾の音楽業界で

Wikipediaでの説明はこの様なものでしたが、他にもいくつかの記事で分かったことがあります。それはウーアルカイシの台湾での活動には、上記の政治的なもの以外に音楽・芸能関係の仕事があるということです。台湾で政治家になるという活動は実を結ばなかったようですので、彼には他に生計を立てる道が必要なはずです。それが、配偶者の陳慧玲の縁で行われている、音楽プロデューサーやプロモーターの仕事なのだそうです。それがために、彼には台湾の歌手の友人がおり、この様なジャズバーを開くということにつながった様ですね。
残念ながら、このNoteというジャズバーは1年ほどでライブを行わなくなってしまいました。ジャズではなかなかお客を呼べないので、営業の方向を変えたのでしょう。

2023年8月、台北のSapphoでジャズヴォーカリストAmandaのセクステットの演奏を聴きました。その時、客席の前の方の席に座っている男性に見覚えがあると思い、ライブの終わった後Amandaに聞いてみました。「あの男性を知っているか?ウーアルカイシだと思うのだが」。彼女は、彼がウーアルカイシであることを知っていました。彼は以前別のところで、彼女のライブを聴きに来てくれたとのこと。それで面識があるのだそうです。ただ、どの様な人物なのかはよく知らないと言っていました。

ウーアルカイシは、きっとジャズが好きなのですね。Celineのライブで言っていた、"民主主義とジャズは、自由が共同の理念"だというのは、若干スローガン的に聞こえますが、彼がこのジャンルの音楽を好きだというのは本当のことなのでしょう。

このライブで、ウーアルカイシは
ステージに向かって右側に座っていました。

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