【台湾の水利施設】桃園のため池文化
大漢溪の説明で、この河の流れる方向が地形変動で変わってしまい、海に直接流れ出るのではなく、北に向かい台北の方向に流れる様になってしまったことを述べました。桃園は台地として隆起してしまい、山からの水の恩恵を受けられなくなってしまいました。
桃園台地
桃園台地がこの様になってしまったのは、人類の歴史の始まるより前、地質時代的なスケールでの話です。従って、17世紀以降の漢民族の進出してくる時代はおろか、それより前の原住民の時代でも条件は同じでした。
大漢渓の様な河岸段丘ができる理由は、周囲の土地が隆起することなのだそうです。そのため、川からの水は地下の深いところを流れ、地上表面には現れなくなる。井戸を掘れば水を得られることはできるが、それは水田耕作をできるほどの量にはなりません。
漢民族によるため池の整備
そのため、漢民族がこの地に入植してから水対策を考え始めました。それは、雨水を長期的に溜めておけるため池を作ることでした。透水性の高い桃園台地に巨大な穴を穿ち、その底を不透水になる粘土等で固め、石で抑えます。この様にして貯水性能のあるため池をつくります。雨が降った場合、その雨水をこの溜池に貯水することで、付近の地域の農業用水として使うわけです。
この溜池の様子は、飛行機で桃園空港に降りる際にもよく見えます。これらのため池は自然にできたものではなく、清朝の時代に漢民族の農民が作った水利施設だということです。人工的な景観なわけですね。
この様なため池の技術は、日本では香川県で古代から使われていると聞いています。香川県は天候がよく降水量が少ないことで、恒常的に水不足に見舞われていることから、ため池の技術が発展したそうです。その技術は古代の中国から持ち込まれています。伝説では、空海、弘法大師も香川県のため池の整備に一役かっているとか。
桃園県のため池文化
桃園におけるため池の数は台湾では最も多いもので、桃園における観光資源、良好な生態環境を保持している場所として、現在は再評価されています。
龍潭は、その中でも最も規模が大きく残っているため池ですね。桃園大圳や石門桃園大圳という近代的な農業用水路が整備されてからは、農業のための水源という意味付けは失われつつあるのが現状で、多くのため池がだんだんと埋め立てられているそうです。
しかし、このような水辺の空間は生活に潤いを与え、生物多様性を実現する空間となっています。ため池はそのような環境装置として改めて評価されています。
千埤萬塘桃園臺地
下記の動画では、そのような新たな環境的な意味を持っようになったため池を紹介しています。
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