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【台湾の面白い建物】桃園忠烈祠

台湾に残っている、ほとんど唯一の原型のままの神社の建物ということで見学に行ってきました。台湾鉄道の桃園駅からは林口台地の方に入った、ちょっとした高台にこの建物は残っています。
行ってみたところ、この建物は名前が"桃園忠烈祠"になっていました。境内を登っていくと、その上ではボックスカーによるミニ店舗が密集する、市集と呼ばれるマーケットになっていました。その一部ではライブも行われたりしており、他の場所で見る商業マーケットといった風情です。
しかし、そのエリアから鳥居を抜けてさらに登ると、そこには日本の様式そのままの神社の建物が残っていました。そして、これが桃園忠烈祠でした。

この建物は、国民党政権の時代にほとんど取り壊されてしまった日本統治時代の神社の建物の、唯一残されたものなのだそうです。そして、そもそもこれらの神社の建物は、国民党により忠烈祠として使われていたのだそうです。
それらが順次取り壊され中国の伝統様式の建物に建て替えられていった。そんな中、最後に残ったこの建物については保存運動が起き、元の形のまま残されるようになったのだそうです。そして"桃園忠烈祠"とされたため、公共の予算を使って、日本の寺社建築の専門家を呼んで本格的な修復を行っています。

この様な歴史的経過を経ているために、境内はマーケットの様に利用されているのですね。初めて見たときはとても違和感を感じたのですが、そのような歴史を知り、いずれにしろこの様な形で日本の神社の建物が残されていて、市民に大事にされているのはとても良いことだと考える様になりました。

境内まで

前面の道路から階段を昇って境内に上がるというシチュエーションは、日本の神社のままです。台湾では逆にこのシチュエーションからここには神社があったのではないかと考えられるような場所がたくさんありますが、ここは登るとそのまま神社の建物が残っているので、日本人の空間感覚としてはとてもしっくりきます。
ただし、登った先の鳥居は壊れたままです。よく見るとこれは壊れたのではなくて、この形に改造されているようですね。日本の印象の強い鳥居の形が、改造されて中国の牌樓の様に変更されているようにも見えます。

桃園忠烈祠の入口。
正式名称は忠烈祠なのですが、ここには桃園神社と書いてあります。
鳥居は形を変えられたように見えます。

境内の中

境内の中には日本統治時代のいくつかのものが残っています。社務所、手水屋など。そして忠烈祠の大門に向かいます。

鳥居から境内方向を見る。
これは恐らく元は社務所だったのでしょう。
今はお土産物屋さんになっています。
照明器具の可愛いデザイン。
この銅像は昔からあるものの様に見えます。
階段から境内の様子を見下ろす。
大門に向かう佇まい。

マーケットとして

鳥居の先、忠烈祠に入るまでの境内のスペースは、マーケットとして商業的に使われています。日本人的にはとても違和感のあるこの使われ方は、しかし台湾の人にとっては、この神社の建物と空間を親しみやすいものにする効果を持っています。

境内のマーケットは週末であったこともあり、とても人が多く賑わっていました。ここは桃園駅の他の新しいものよりも賑わっていたように思います。立地は山の上でアクセスにはそこそこ不便なのですが、それでも人を誘う何らかの魅力がこのスペースにはあるのでしょうね。

神聖な空間という意味は失われて、神社の建物をメインにしたテーマパークといった様相になっています。

神社小市集と書いてあります。
神社のミニマーケットという意味ですね。
境内の様子。仮設店舗のマーケットが
たくさん出店しています。
境内ではライブ演奏もやってました。
左の方に絵馬が見えます。
夕方になると、綺麗にライトアップされます。
ここではお茶を売ってました。
マーケットの人通りの様子。

忠烈祠

大門の内側は、忠烈祠としての厳かな空間になっています。日本の神社の雰囲気と同じ様子です。建物はきれいに修復され、日本の神社建築と比べても遜色のない出来栄えになっていると思います。

唯一異なるのは、中華民国の兵士の名前を記した位牌がたくさん置いてあったことです。この様にして兵隊さんの慰霊を慰めるための施設なので、年に一度は桃園市による、慰霊祭が行われるそうです。

これは大門の内側です。
ここには流石に店舗はありませんでした。
神社の建物の様子。おかしなところの全くない、日本と全く同じ形に修復されています。
手水屋
この様な美しい軒のディテールは、台湾の他の場所では見ることができません。
このモニターで、桃園忠烈祠の紹介をしていました。
この置物は、中国の青銅器の様な形ですね。
これは忠烈祠としての魂です。
亡くなった中華民国の軍人さんの名前が記されています。
天井を綺麗に見せるための間接照明が効果的です。
美しい格天井。
奥社の側面。
奥社。何が祀ってあったのか確認するのを忘れました。

「最初的忠烈祠,最後的神社」

最後に、この"桃園忠烈祠"の歴史を説明している説明している映像を紹介します。どのような経緯で桃園忠烈祠が神社の形のままで残ることになったのか、そして建物の修復がどのような経過を経て行われているのが詳しく説明されています。

この様な歴史を知ると、台湾の人々のこの様な歴史遺産に対する態度がどのような性質のものなのか分かるような気がします。建物そのものにとても愛着を持っていて、壊すには忍びない。どうもそういった心情のようですね。

それに、この施設のあちこちに桃園神社と名前が使われているのを見ると、政府の公的な立場としてはこの建物は桃園忠烈祠で間違いはないのだけれども、一般市民の心情とか認識としては桃園神社のままなのかもしれないと、そんな印象も持ちました。


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