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三権分立、ではない?

2024年、賴清德が新しく中華民国の総統となってから、立法院の権力を強化するという話題が持ち上がりました。立法院では野党の国民党が第一党であるため、立法院の権力が拡大すると、国民党の政治的な力が強化されるというわけです。

この話題を会社の同僚と話していた時に、てっきり中華民国でも日本と同じ三権分立制だと思って話していたところ、この同僚が、台湾は三権分立ではない、五権分立だと言い出しました
台湾と関わる様になって30年が過ぎていますが、この様な話題になったことがなく、この"五権分立"という仕組みについても初めて聞きました。

日本の三権分立の仕組み

日本における三権分立の制度は、立法・行政・司法の3つで、それぞれ国会、内閣、裁判所がその権力を行使していると学んでいます。これは、ヨーロッパで発展してきた仕組みを日本でも実現したものと、その歴史を学びました。

中華民国の五権分立

中華民国においては、政府の権力は5つに分かれているのだそうです。行政院、立法院、司法院、この3つは日本や諸外国の三権分立と同じです。これに、考試院と監察院が加わっています。考試院というのは、公務員やその他の国家資格試験を司る部門です。監察院というのは、直接権力を行使するのではなく、これらの政府機関のことを視察監督する部門なのだそうです。

この、五権分立というシステムは中華民国の成立にあたり、孫文が考案しています。(中国語ではこの概念を"五權憲法"と呼ぶようです。)

この中華民国の五権分立について、日本語で解説されているホームページがあるので、下記にそこに掲載されている文章を紹介します。

台湾にも立法、行政、司法の三権は当然存在するのですが、それ以外の二権として考試(試験)・監察という権力が存在し、その権力を実施する機関として考試院・監察院が存在するのです。そもそも、このような考試(試験)・監察という権力の存在は、孫文の学説に基づくそうです。以下に、簡単に考試院・監察院について紹介いたします。

まず、考試院について。考試院は、若干名の考試委員により組織され、公務員試験、公務員の任用、昇進、保障、退職等を主管する機関です。一般的に、公務員試験は行政権の行使の一環として行われることが多いですが、孫文の学説によると、考試権を行政権から独立させることで、行政機関が恣意的に人材を登用することを防ぐことが可能となるとのことです。しかし、公務員試験や公務員の人事管理のために考試権を独立させ、立法権・司法権等と同等の扱いとすることについての批判は多く存在するそうです。

次に、監察院について。29名の監察委員からなり、公務員を問責・弾劾する権限、行政機関に対し会計監査を行う権限を有します。これらの権限は本来、立法院(国会)の権限であるはずですが、孫文の学説によると、監察権を立法権から独立させることで権力が国会に集中することを防ぐことができるとのことです。しかし、監察院があまり機能していないとのイメージを持つ人が多いようで、実際にも、前総統の陳水扁が在任中には、行政院と立法院との確執により立法院が監察委員の任命案に同意しなかったため、監察院が3年間全く機能しなかったそうです。

黒田法律事務所HPより

中華民国ではこの五権分立制が採用されているわけで、このシステムが既に100年に渡り続いています。中華民国国内でも、このシステムが諸外国の三権分立と異なることについて意見はある様ですが、目下のところこれを変更するということにはなっていないようです。

ここでは、この考試院と監察院があることの意味と、孫文が何故この様なことを考案したのかという理由を考えてみます。

考試院

上記の理由の中に次の様なフレーズがあります。

行政機関が恣意的に人材を登用することを防ぐことが可能となるとのことです。」

これは、逆に言うと、考試權が行政権の中に含まれてしまうと、試験の際の、或いは試験の評価の際のコネを使った不正が行われるという心配なのでしょう

知り合いにこの考試院に勤めている人間がいるのですが、彼は国家試験の前2ヶ月くらい音信不通になってしまいます。当人から、今後しばらくはSNSに投稿、返信はできなくなりますとメッセージが来るので、考試院ではそういう決まりになっているようです。
この五権分立のことを知らない時には、単にそういう習慣なのかなと思っていましたが、背景にはこの考試院を行政から独立させる、試験の不正を防止するという意図があるのでしょう。

監察院

監察院の件については下記の説明があります。

監察権を立法権から独立させることで権力が国会に集中することを防ぐことができる

孫文の理解では、監察権は立法権とは別の権力であって、立法権の中に置くべきものではないということなのですね。

孫文の理論の背景

この記事を読んだときに思ったのは、この孫文の理論は中国の歴史を背景にしているのではないかということです。
僕は明末清初の歴史に関心があるので、明朝の政治システムのことをいろいろ勉強しています。明朝の歴史の中では、皇帝直属の監察機関"東廠"と"錦衣衛"があり、皇帝に反抗する勢力を、強権を使って取り締まっていました。僕が中華民国の監察院というシステムのことを知ったときに連想したのは、この"東廠"と"錦衣衛"のことです。

明朝の歴史をテーマにした中国の歴史ドラマでは、この"東廠"の人物は大体において悪役として登場してきます。印象としては"秘密警察"とか"CIA"の様な組織が、皇帝権力を笠に着て、民衆に対して理不尽な取り締まりを行うというものです。

Wikipediaにある"東廠"の説明を紹介します。

東廠,其全名為東緝事廠,廠衛之一。中國明朝時期由宦官執掌的特權監察、情治機構,偵查異見人士,以鎮壓反對力量。

東廠執行公務時,與錦衣衛相同,持有「駕帖」以証明自己代皇帝行事,並且由刑科給事中的「僉簽」。東廠與其他兩廠(西廠、內行廠)一衛(錦衣衛)合稱「廠衛」,主要偵查以反叛亂、捉拿異議分子為主,是明朝「特務治國」的象徵。清代「以軍法從事」常態化遂罷。

Wikipediaより

東廠、正式名称は"東緝事廠"は、明王朝の廠衛組織の一つです。中国明王朝時代には、宦官が管理する特権的な監察機関 / 諜報機関が存在し、情報を収集、政府に反対する意見の持ち主を捜査し、反体制派の鎮圧に務めていました。

東廠が公務を遂行する際、錦衣衛と同じように、「駕帖」を所持して皇帝の命で動いていることを証明し、刑科給事中の発行する「僉簽」(捜査令状?)を所持していました。東廠と他の2つの廠(西廠と内行廠)一つの衛(錦衣衛)は合わせて「廠衛」と呼ばれていました。彼らは主に反乱鎮圧と反体制派の逮捕に従事した、明朝時代の「特務治國」(特務機関による統治)の象徴です。清朝になると「以軍法從事」(軍法による統治)が常態になりました。」

孫文は、中国の歴史を踏まえて、この監察機関の仕事を必要だと考えたのですね。中華民国の初期の時代の歴史を見ると、確かに様々な政治家が総統に意見をしたという理由で逮捕・監禁されています。そして、戒厳令の執行されている時代は、中国国民党の一党独裁のため、民主主義勢力は国家反逆罪の名のもとに取り締まられています。監察院の業務は当初必要だったのでしょう。

しかし、この"東廠"のシステムは、清朝の時代にはすでに法による統治に変わっていると書いてあります。孫文がここに注目したのは、明朝が漢民族王朝であったからでしょうか?漢民族による統治には監察機関が必要なのでしょうか?その辺のことはよく分かりません。

考試院の件について連想されるのは、中国の科挙の制度です。
隋王朝以降、本格的に官吏登用制度として執行された科挙の仕組みは、延々と清朝の末期まで続けられています。実に1300年の長きに渡っています。この仕組みついては"東廠"の様な悪い印象はないようですが、この試験を実施する行政的な組織はそれなりの権力を有していたのでしょう。中国史の勉強をしていると、科挙の試験官によるえこひいきであるとか試験問題の漏洩という、現代の試験制度でも見られるような問題がよく現れます。

孫文は、この様な中国史における監察機関や試験制度を基に、近代の国家として中華民国の政治制度を考案するに際し、この二つの機関を加え、権力の分割をする必要があると考えたのでしょう。

この概念を示した図が、Wikipediaにあったので紹介します。中国の伝統的な行政制度と、近代の三権分立のシステム概念をハイブリッドしてできたのが、現代の中華民国の五権分立の制度なのだと考えられます

Wikipediaにある五權憲法の比較検討図

五権分立に対する批判

この五権分立のことを知って、これは国父たる孫文が提唱した概念ではあるが、中国の封建王朝の政治システムを参考にした考え方なので、現代社会にはそぐわないのではないかと、個人的な感想を持ちました。

一つには現代が皇帝の封建的統治ではなく民主主義の時代であること。さらに現在の中華民国は広大な中国大陸を統治するのではなく、あくまでも台湾島を統治する、政治権力を及ぼす範囲が小さくなっていること。いずれにしろ、中国の封建制度を鑑にした政治制度というのは、現代の中華民国とそぐわないのではないかという印象です。

上記の様な疑問は、台湾人も持っていて、Wikipediaの説明の中にも、五権分立を批判する文章がありました。その部分も紹介します。

民主進步黨基本反對五權憲法制度,認為其是在中國大陸所制訂,不適合臺灣政情之現狀,傾向全面修憲或制訂新憲(請參見臺獨黨綱),具體落實美式的三權分立總統制,廢除考試院和監察院。在2005年,當時的民進黨為執政黨及國民大會多數黨,在任務型國民大會主動與第二多數黨中國國民黨合作修憲,使中華民國憲法更能對應實際上中華民國對台灣地區的統治現況,但是這次修憲並未將考試院及監察院廢除。直到2020年,廢除考試院及監察院的議題再次提出。

Wikipedia《五權憲法》より

民主進歩党は、基本的に五権分立憲法制度に反対しており、これは中国大陸で制定されたものなので、台湾の現在の政治状況にはふさわしくないと考えています。そして、憲法を全面的に改正するか、新憲法を制定することを望んでいます。(臺獨黨綱を参照)。具体的には、アメリカ方式の三権分立の大統領制を導入し、試験院と監察院を廃止することを提唱しています。 2005年、当時の民進党は与党であり国会の多数党でした。そして、課題討論の国民大会において、野党第一党である中国国民党と協力して、憲法改正の議論を行っいました。中華民国憲法を中華民国と台湾地域の実際の状況に適合させようと討議を重ねましたが、この時の結論では試験院と監察院の廃止には至りませんでした。 2020年、改めて試験院と監察院の廃止問題が議題に上がりました。」

台湾の事情をいろいろ調べていると、この国はもちろん今でも中華民国であり、中華民国は孫文により建国され存続している国家であることを感じることがあります。この五権分立の問題もそうです。そして、この様な問題は国家の基本、憲法に定められていることなので、改正するのは容易ではないでしょう。

僕は、中華民国はいつの日か、台湾という名前の国に変わると考えています。この五権分立の問題も、その時まで持越しの課題なのかもしれません。

たまたまつい先日、2024年8月7日のニュースに中華民国憲法についての議論の記事がありました。あまり表立って騒がれる問題ではないようですが、社会の底流に流れているイシューではあるようです。


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