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【流儀】大切な「時間」についての話

自分のこれまでの人生を振り返ってみると、30歳を過ぎたあたりから時間の使い方についてよく考えるようになったと思います。20代の頃の興味を惹かれたことを色々とやってみるという経験を経て、自分の力量が知れたことから、ある程度的を絞ってその方向に力を注がなければならないと感じたのだと思います。

もっと早い時期から自分の道を見つけて行動している人もいるかもしれませんが、遠回りが好きな私の人生においてはそのような流れだったのですが、さらに40歳を過ぎると時間の使い方に慎重になってきました。自分の人生の残りの時間を強く意識するようになったのです。

そこで今回は、大切な「時間」について三つほどお話したいと思います。

1. 時間を奪う

まず導入文からもわかる通り、20歳のときは人生における残りの時間が多く残されていて余裕もありますが、40歳のときでは寿命から考えると人生の折り返し地点に差し迫っていることから、20歳のときの1時間と40歳のときの1時間ではその価値が異なるということです。

ですから、残りの時間をどう使うかは非常に大事なことで、人によってはお金より価値が高いのです。これが自分だけのことなら価値の違いに気付いて行動が変わるだけですが、自分以外の人と関わる際、時間を物差しとして使うことに十分に注意してください。

その理由を説明します。仮にあなたの年齢が20歳だとして相手が60歳だったとします。仕事の打ち合わせのために二人で待ち合わせしたとき、あなたが待ち合わせ時刻より5分だけ遅れてしまい、その結果、相手からひどく怒られました。

このとき、若いあなたは「たかだか5分」と思うかもしれません。しかしこの場合、人生における残りの時間がたくさんあるあなたと残りの時間が少ない相手では、その5分間の価値がまったく異なります。相手にとってその5分間は貴重な5分間であり、「たかだか5分」ではないのです。

お金だと1000円の価値はみんなにとって同じ1000円の価値だと思いますが、5分間の価値は人ぞれぞれに異なるということです。ですから、安易な遅刻や時間の延長は貴重な時間を奪うことになり、それに何ら意識を向けないことは人の命を奪っていることと同義だと私は思っています。

2. お金で時間を買う

二つ目は、「お金で時間を買う」という考えについてです。たとえば、街のレストランの美味しい料理をすぐに届けてくれるUber Eats(ウーバーイーツ)や自宅の掃除や洗濯をしてくれるダスキンの家事代行サービス、はたまた労働者が会社を退職したいと考えた場合に、その人に代わって退職の処理を行ってくれる退職代行SARABAと言うものもあります。

このとき片方はお金を支払い、もう片方はその作業のための時間を提供します。これらはサービスを消費するというごくごく自然な行為ですが、便利や効率ばかり求めているとその裏で失ってしまっているものに気付かずに過ごしてしまうことがあります。それは「経験」です。経験とは、何かを実践したことで得られる知識や技能のことで、これらの知識や技能は、その後の人生に役立てることができます。

いつもコンビニの弁当や外食などで食事を済ましていれば、料理を覚えることはできません。掃除や洗濯も同様です。退職の申し出すら自分で言えないなんて、人と向き合うという生きていくために必要最低限の力すら養えないと思います(よほど問題のあるケースは別として)。念のため言いますが、ここで伝えたいことはサービスを利用するなと言う話ではなく、その裏で大事な経験が失われているのではないかと言うことです。

私たちが拠点とする大崎下島には何でもお金を使って消費できる都市部とは異なり、コンビニもなく食事ができるお店も非常に少ないので、基本的に毎日の食事は自分で作ります。古民家のリノベーションでも壁を塗ったり床を張ったり、テーブルや椅子なども、自分たちでできることはできる限り自分たちで行います。

人によってはこれらは不便なのかもしれませんが、その代わりに得ているものも多くあると考えています。不便のおかげで誰もが料理を作れるし、簡単な作業であれば自分たちで家を修理することもできるのです。この島の住民の方々も、子供の頃からいろいろ思案して欲しいものを自分で作ったり、新しい方法を考え出してきたのです。無いところから生み出す創意工夫する力を養ってきたのです。

一方、何でもお金で買える都市部で生まれた子供たちは、それが日常で経験できません。親が意識的に体験させてあげないと大人になって生きていく上で必要な能力が養えないのです。つまり、サービスを消費すると言うお金で時間を買う行為は、その裏で経験を捨てるというトレードオフの関係なのです。

簡単に言うと、何かを得ると別の何かを失うということなのですが、サービスを利用する際にその裏で、何を失っているのかをきちんと意識して生活することが非常に大事なことだと思っています。

3. 時間が薬になる

最後は、月日の経過が薬代わりになるという話です。日日薬や時薬という言葉があって、「骨折には日日薬が一番だ」「時薬で失恋から立ち直る」などと使いますが、ギクシャクしてしまう職場の人間関係についても言えると思います。

職場とは簡単に言うと、一つの目的を達成するために集まった他人同士の群れです。目的を共有しているからと言って、人それぞれの考えが一致していることは少なく、認識のズレを調整するために都度コミュニケーションを図る必要が出てきます。

それでも解釈の違いなどによって、気まずくなることもあります。たとえば掃除でも、毎日やったほうが良いと考える人もいれば、1週間に1度やれば良いと考える人がいて、どちらが正しいとは言えません。汚れていたらやる、綺麗ならやらないと掃除をルーティンとせずに柔軟に動く人もいるでしょう。

ですから自分の価値観だけで、「気がついてくれるだろう」「やってくれるだろう」という誰かへの期待は必ずと言っていいほど外れます。家族の関係ですら上手くいかないことがあるのに、ましてや他人同士では上手くいかなくて当然です。人は自分の思い通りにはなりません。

では、どうすれば良いのかと言うと、きちんと自分の考えを相手に伝えてから、「こうやって欲しい」とどのように行動してほしいのかを言葉で具体的に伝えることです。それでもすぐに相互理解に近づくことはむずかしいので、粘り強く時間をかけて、期待せずに繰り返し伝えていくのです。

人にはそれぞれ、得意なことや苦手なこと、出来ることや出来ないことがあり、気が付ける人もいれば気が付けない人もいます。コツコツできるタイプもいればすぐ飽きてしまうタイプなどがいて、それこそが個性だと思いますし、人と違うからこそ組織として強くなっていくのです。

器が大きい人とは、問題などを白黒はっきりさせずにグレーにできる人・グレーの部分を長く持てる人のことを言います。グレーにしておくためには自分の中に余白が必要です。「白黒はっきりさせたい」「空気を読んでほしい」などと言っているようでは私たちが目指す多様性とは程遠いのです。

そのため、時間の経過とともに自然と片づく問題もあるということを知っておくことが良好な人間関係を築くことにつながり、多様性のある職場・社会に近づく一歩になると思っています。

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