マイストーリー
さて、これまで主にプロファイリングについて
お話してきましたが、ここで少し、
私がどんな人物なのか、どんなことをしてきたのか。
私のマイストーリーについてお話していきたいと思います。
また私の記事を読むことで、
是非「マイストーリーの作り方」を知ってほしいと思います。
一度、マイストーリーを作っておくと、
いろいろな場面で使えます。
・独立、副業した時のHP掲載などのプロフィール作成
・ブログやSNSのプロフィール
・取材インタビューや出版に必要なプロフィール
・自己カウンセリングでの活用
・初めて会った人に自分を知ってもらうツールとして
このような場面で使えますので、
是非一度、作ってみることをオススメします。
少し前置きが長くなりましたが、
ここから私のマイストーリーをお話します。
◆小学校の頃はわんぱく小僧
今は周りから大人しいと言われる私ですが、
子どもの頃はわんぱく少年でした^^
仲のいい幼馴染と散髪屋さんごっこをし、親に怒られ、
どうしようもなくなった髪は丸坊主にするしかないほどに。
それでも「マルコメ味噌だ!笑笑」と、
当時のCMで流れていた味噌キャラクターと一緒だと
喜ぶほどポジティブで明るい少年だったのです。
小学校に入ってからもやんちゃ坊主。
よく学校の先生に怒られていました。
3年生の時、やんちゃ3兄弟と言われるひとりに入ってしまい、
校区外に行き怒られ、ゲームセンターで見つかり怒られ、
授業中騒いで怒られる日々。
自分たちは楽しかったのですが、先生たちは大迷惑だったようで、4年生のクラス替え以降、3人が一緒のクラスになることはありませんでした。
◆教育熱心な母親から中学受験を目指すよう言われる
私の家庭は母親が強い家庭でした。
一家の主人は父親ですが実質権限は母親。
小学校1年生から学校のサッカークラブや書道教室、
公文などを習っていましたが、
4年生になって時、急に塾に行かされることになったのです。
母親が教育熱心で、
中高大一貫の私立中学校に行かせたかったようで、
公文を辞め、英会話教室に入り、進学塾に入れられました。
ただ、私は中学受験をする気はなかったので、
成績はまったく伸びていきませんでした。
するとある日突然、母親が
「なんでお母さんの気持ちがわからないの?涙」
と泣きながら私に訴えてきたのです💦
目の前で母に泣かれ、親の気持ちを理解していないと
言われたことは、子どもながらに鮮明に覚えています。
なんのために勉強しないといけないか?
そんな答えは小学生で見つかるはずもなく、
言われるがまま塾にいっていた私は、以降も成績が伸びず、
結局、中学受験は断念し、公立中学校に通うことになりました。
しかし、これにはまだ続きがあったのです。
**
◆母親が引越してまで変えたかった中学校**
私立中学校の受験を断念した私ですが、
母親は校区内に通う予定だった中学校へは
意地でも行かせたくなかったのです。
それは通う予定だった中学校が荒れた学校で、
地域では不良が多いことで有名な中学校だったからです。
近所のお兄さん、お姉さんも
「あの学校は行かないほうがいい」というほどでした。
この話に敏感反応し「自分の子どもにはいかせたくない!」
と行動したのが母親でした。
母は父に相談し、
中学校は隣町の学校に行かせるように話をしていたのです。
当時バブル絶頂期で独立していた父親の会社は好調な業績。
事務所移転を考えている中、
自宅移転も合わせて行おうとしていたのです。
そして小学校6年生から中学校1年生に上がるタイミングで
引越しをし、12歳まで過ごした慣れ親しんだ町を離れ、
別の学校に通うことになったのです。
少し長くなってきたので、続きは次のページにします。
**-----次回-----
◆環境の変化に適応できず精神的に病んでしまう**
中学校から新しい環境となった私は、自分が気付かないレベルの不安を抱えていました。。。。
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