【短編】「完璧主義」夫婦の憂鬱

――彼は、完璧主義者だった。
勉強をするにあたっては、自分を取り巻く環境すべての期待に応えてきた。
実際に。彼にはそれができてしまったのが、不幸の始まりだった。
他人が求める「自分像」を完全に把握して、それを忠実に「演じる」ことができてしまったのだ。
それは「ペルソナ」などという簡単な作業ではなく、「擬態」である。
つまり。外面だけではなく、表層心理や自分のキャパシティを越えた行為でも、血を吐く思いをしてでも実現し続けた。
そして。
親が期待する大学に入って、親が期待する一流企業に入った。

仕事をするにあたっては、彼は「給料の倍、働く」ことを自分に課した。
それは。決して「社会貢献」などという美しい言葉で表現される行為ではなく、「新しい環境の中で、求められる自分」への新たな「擬態」だった。
最初の頃には、彼は戸惑った。
「勉強『だけ』できれば良い」という世界から、「数字を上げれば良い」という違う世界にシフトしたからだ。

残念ながら彼は、それまでの人生で「対人恐怖症」になっていた。
「他人の目を見て喋る」ことが、できなくなってしまっていたのだ。
理由は「他人の目を見てしまうと、その瞳に映る自分」が見えてしまうからだった。
「彼(女)が求めている自分像」を知ってしまったら、自然に「そう振る舞ってしまう」自分が容易に想像できてしまったからだ。
緑色の「コノハムシ」は、紅葉の中でモミジには擬態することができない。
落ち葉に擬態する「ムラサキシャチホコ」も、針葉樹林に放り出されたら針状にはなれない。
彼は。本能的に「すべての人間が求める自分像になる」という目標は達成し得ないと気付いたからこそ「鏡を見ることすら、できない」人間になってしまったのだ。

本来「数字」というものは、「物事を明確にさせる基準」である。
だが、彼には「曖昧模糊とした概念」としか思えなかった。
「『数字』を満足させる方法論」が思いつかなかったからだ。
彼は大いに悩み、「クライアントを満足させれば、数字が比例的に伸びる」ことを覚え、それを達成し続けた。
そして「新規開拓営業」へと抜擢された時に、そのロジックすら破綻した。
「最初からネガティブな視点で、自分を捉えている人間」への対処方法を学んでこなかったからだ。
「数字」は伸び悩み、彼は自分のアイデンティティであった「完璧な自分」は達成し得ない目標だった、と再認識した。
そして。
結果として、彼は大いに病んだ。

――彼女もまた「完璧主義者」だった。
彼女は、「自分にも他人にも嘘を吐かない」という義務を自分に課した。
不条理に対して、一人で敢然と立ち向かう強いメンタリティを有していた。
結果として、当時の彼女は「イジメを受ける存在」になってしまった。
それでも、彼女は「嘘を吐かずに、前を見据えて」イジメに耐え抜いた。

彼女は、明確な未来へのビジョンを持てる人間だった。
最初は、「ピアニスト」を目指していた。
しかし、彼女は手指が小さく(短く)、女性の中でも明らかに力が弱かった。握力が一五キログラムしかなかったのだ。
もちろん、努力や研鑽はした。握力も鍛えようとしたが、伸びなかった。
だが。他の子たちが弾く力強いピアノ演奏を聞いて、ハッキリと理解した。
「自分はピアニストには、なれるだろう。でも、『ピアノ教室を開く』レベルまでしか到達できないだろう」と。

彼女は、めげることなく「次の目標」を探した。
「絵を描いて、生きていきたい」というビジョンが、彼女の頭をよぎった。
画家でなくてもいい。
漫画家でなくてもいい。
とにかく「絵を描く表現者になりたい」と思った。
「肩書き」なんて、他人が付けるものだ。
金儲けなんて、最初から考えちゃいない。
ただ。自分が与えてくれたビジョンに、忠実に従うだけだ。
彼女は美術の授業は勿論のこと、独学でデッサンや表現方法を学んだ。
結果として、現実的な「落としどころ」は「漫画家」という職業だった。

彼女は、努力を惜しまなかった。
「イジメ」を意に介さない彼女に対して、イジメっ子たちも飽きて標的を他の「誰か」に変えた。
その不条理に対しても怒りを表明し続けたが、「ウザい、正義の味方気取り」と思われ、クラスでは「透明人間扱い」されるようになった。
それでも、彼女は構わなかった。
声を上げ続けることはやめないし、それより自分のビジョンに向かうことの方が、彼女にとっての最優先事項だった。

時は経ち、彼女は「家庭の金銭的な問題で、美大には入れない」という現実に行き当たった。
「奨学金」という制度も当然、知ってはいる。
だが。彼女は「お金持ち」になりたかった訳でもないし、「学歴というブランド」が欲しかった訳でもない。
考えた末。彼女は最短ルートで「思い描いた未来」に到達するために、「美術系の専門学校」という選択肢を選んだ。
「漫画家を養成する専門学校」を選ばなかったのは、「成功するための方法論」や「出版社とのコネクション」を得ることは自分にとって意味がない、と思ったからだ。
彼女が「表現者」としての自分を夢見た限りは、自分の力だけで勝ち取りたかった。

成人式の際に、高校時代の同窓会に参加した。
そこで、彼女は少なからず動揺した。
「高校時代に属していた『漫画研究会』で、自分と正反対のベクトルで漫画創作を行なっていた『男』が今、漫画家として大成功している」という事実を知ってしまったからだ。
そのペンネームは、「読者に阿(おもね)る漫画を忌避してきた」彼女でも知っているビッグネームだった。
アニメ化もされているから、漫画を知らない人でも名前くらいは知っているであろう有名人だ。
絵柄が当時とまったく違っていた為に、気付けなかっただけだ。
当時――。
「男」は所謂「萌え系」の漫画家を目指しており、自分の絵柄を流行りに合わせていく人間だったので敬遠していた。
パンチラ等のお色気シーンや「感動のテンプレート」を使う手法は、不愉快極まりなかった。
しかし。
彼女は、すぐに「動揺してしまった自分」を打ち消し、それを恥じた。
「プロ」という意味で言えば――。「男」は、正しい王道を目指して成功したのだから、それは称賛に値(あたい)する。それを認めたくないのは、自分のエゴでしかない。歩む道が違う人間を、自分と比較してはいけない。

専門学校を卒業して、社会人と呼ばれる年齢になった。
積極的に、出版社へ自作原稿を持ち込んだ。
その殆どは「うちの雑誌は、こういう作風は……」と難色を示されたが、彼女は自分を変える気はなかったし、納得もしていた。
同人活動を行ない、少しずつではあるがファンが増えていった。
ある日。同人誌の即売会場で、出版社の編集者に声を掛けられた。
そして。決して生活に余裕が生まれた訳ではないけれども、彼女の「漫画家生活」がスタートした。
その雑誌は、お世辞にも「売れている漫画家」を輩出している人気雑誌ではなかったが、彼女には充分だった。
「今。自分は人気漫画家で大金持ちの『男』よりも、自由で満たされた存在だ」と思えた。

そして、「彼」と「彼女」は出会った。
彼は、「しっかりと世界を見据えた上で自分の意見を持っており、世の識者の意見にすら左右されない『彼女』」に惹かれた。
彼女は、「同じ種類の人間なのに、自分ができなかった『自分をも欺く嘘』を信じて生き延びてきた『彼』」に惹かれた。

彼は、「自由に生きる『彼女』」を尊敬した。
彼女は、「聡明過ぎて生き辛くても、心から笑い飛ばしてみせる『彼』」を尊敬した。
互いに認め合い、尊敬し合っていた。二人とも、相手に憧憬の念を抱いていた。

――そして彼らは、それが必然であるかのように、自然に結婚していた。

彼は、自分が尊敬している「自由な彼女」を殺さない為の努力を惜しまなかった。それは、徹底したものだった。
なるべく彼女の心の負担を減らすために、どうしても見つからない「素の自分」を模索して、それを表情に出すよう努力した。
彼女は。本性を知ってなお、自分と結婚するという選択をしてくれた。
そんな彼女の前で「擬態」し続けたら、彼女に対して失礼だと思った。
「擬態」し続けてきた人生だったから、その作業は困難を極めた。
「視線を合わせられない」自分については諦めてもらったが、なるべく綺麗事は言わないようにした。
そして――。
彼は「素の自分への『擬態』」を得るに至った。

彼女は、自分が尊敬している「繊細で生真面目な彼」を殺さない為の努力を惜しまなかった。その為なら、「自分を曲げる覚悟」までした。
じっくりと観察し、表情と感情が乖離している彼を理解する努力をした。
段々と「人間らしさが戻っていく彼」が愛おしくて、もっと頑張った。
〆切を遅らせてもらってでも、彼との時間を優先して「もっと人間らしく、彼が失ってしまった過去を取り戻してあげたい」と思った。
そして――。
彼女は「自分が持ってないと思っていた、他人への愛情」を得るに至った。

彼女には、仕事をしていく上で大切にしている男性がいた。
その人は彼女の担当編集者で、彼女の「彼女らしさ」を最大限に引き出す方法を教えてくれた、言わば「人生の師」とでも言える存在だった。
自分よりも「私」を分かっている人に出会えるなんて、天文学的な確率だ。
自分でも分からなかった、「気付き」や「もっと『自身の気持ち』が他人に伝わる方法論」を、編集者は教えてくれた。
そして。
ある瞬間、彼女は気付いてしまったのだ。

――「自分は、この編集者を愛している」という事実に。

最初、彼女は戸惑った。
それは。
自分が。誠実な夫である「彼」を愛していない、若しくは「彼」より愛している人間が現れて裏切るような人間だったのか? ということ。
しかし。冷静に考えてみると、違った。
「彼」も今までと同じくらい、愛している。むしろ、当初より愛情は増しているくらいだ。
でも、「編集者」も同じくらい愛している。それは否定しようがない、厳然たる事実。
二人を「比較する」こと自体が失礼だ。
ただ。
「自分が愛してやまない人間」が一人増えた、と解釈するのが一番正しい表現だと彼女は思った。

結果として彼女は、編集者と肉体関係を持つに至った。
彼女の方から、編集者にアプローチをかけた。
編集者は、彼女に押し切られる形だった。
ただ。
「『誠実』であることを、自身に課している彼」には、自分も誠実でありたいという事実は変わらない。
どうすれば、「彼」に現在、自分自身でも混乱している気持ちが伝えられるのか? について、彼女は懊悩した。
後に、編集者も「実は、自分のことを愛していた」ことを彼女は知った。
だが。彼女が既婚者であることを知っているがゆえに、自分が愛した彼女の成功や幸せを最優先してくれていたのだ。
彼女は、自分が捧げた愛情が一方通行じゃなかったんだ! と知って嬉しく思った。
編集者も、彼女の夫である「彼」のケアについて相談に乗ってくれた。
編集者は、「離婚するなら、相応の慰謝料は用意する。後は、君が決めることだ」と言ってくれたが、彼の言葉は的外れだ。
「自分にとっては、二人とも『同等に愛している存在』なのだ。そんな軽薄な気持ちで自分を抱いたのだとしたら、軽蔑する」とさえ思った。

結局、三人で話し合いの場を設けることにした。
彼は「自分を出せる」ようになってから、極端に人見知りをする傾向が強くなっていたので、「場」のセッティングには細心の注意を払った。

――そして、その日がやってきた。
彼と編集者は面識があったので、彼は飲み会に行くことを拒まなかった。
よかった。
実は。自宅に編集者が来た時に、場のセッティングを試みたこともあったのだが、彼が不安定な状態だったので話せなかった事があったのだ。
飲み屋で一しきり飲んだ後、「三人で、ゆっくり話せる場所に行こう?」と彼に言った。
彼は不思議そうな顔をしながらも、彼女に合わせて歩を進める。
彼女はクローズドで静かな場所で話したかったので、ホテルの一室を予約しておいたのだ。

三者による会談が始まった。
彼女が場をセッティングしたホストだったので、「彼の心に、自分の気持ちが伝わりますように」と願いながら、こう切り出した。
「『私』ね。この人を、愛しているんだ。貴方と同じくらい」――。

彼は、絶望していた。
酒を飲んだ後に、訳も分からない状態でシティホテルに連れてこられて、担当編集者を愛してる? どういうことだろう……。
「鳴呼、なるほど。自分と別れたいということか」と思い至るまで数秒間、口を「ぽかん」と開けて間抜けな顔をしていただろうな? と彼は思った。
元々。彼は自己肯定感が低い人間だったので、「そうか。うん、分かった」と淡々と答えてみせた。感情を隠すのは、お手の物だ。つまり、彼女の前でも元通りに「擬態」してみせれば良いだけの話だ。
「激情に任せて、叫び出したい」という欲望は踏みとどまれた。
「いつでも理性的で、かつ論理的であれ」という彼の根底にある部分を否定せずに済んで、彼は胸を撫で下ろした。

「だから。この人との交際を、認めて欲しい」という、彼女の一言を聞くまでは――。

「すまない。気分が悪くなってきたから、帰らせてもらうよ。ホテル代がもったいないだろうから、二人で寝てから帰ってくるといいよ」
その時に言える精一杯の皮肉を言い残し、彼は部屋を後にした。
頭がぐちゃぐちゃで、吐きそうだった。
飲み過ぎじゃない、自分が「勝手に期待していた」彼女像が崩れたからだ。
彼は深夜三時半、新宿の街を独り歩いた。
始発電車までの時間があったので、遠回りで始発電車が走り出す頃に駅に着くようにしよう。元々、じっとしているより歩きながら考え事をする方が好きだったので、頭を整理する時間ができて良かった。じっとした状態で考え事をすると、悪い方へ悪い方へと考えが進んでいってしまう。

「でも。貴方を愛しているから、別れたくない」とも言われた。
「編集者とセックスを定期的、かつ継続的にしている」といった内容も聞かされたような気がした。
しかし。彼女が言った最初の一言で、彼の会話を司る思考回路がショートしていた為、「酒を飲んだから、夢だったのかな?」とも思えてくる。
だが。自分より格段に若い編集者の、思い詰めたような、それでいて気まずそうな顔が脳裏に焼き付いてもいる。
「どちらが、実際に起こった出来事なんだろう?」
彼には、それすらも分からなくなってきていた。

いっそ「お願いだから、別れて!」と懇願された方が、楽だった。
元の姿に「擬態」し直せば、心は動かなくなるけど苦しみはなくなる。
それに。生存するうえで害を与える記憶は、時間が消し去ってくれる。
「ホテルに入った瞬間」から、既に彼は嫌な雰囲気を感じ取ってはいた。
元々。彼は喋らない方だったが、他の二人から発される「ピリピリ感」と無言での部屋までの通路を歩く中で、覚悟を決めて部屋に入ったのだ。
だが。実際に言われた内容は、生来から彼が持っているネガティブな想定を遥かに凌駕していた。

「婚姻生活は続けたいけれど、編集者とのセックスを容認して欲しい」

それは、彼にとって「生き地獄」とも言える想像だった。
能面のように無表情な顔で、彼は考え続ける。心の中に隠れていたシニカルでデカダンスな自分が、彼に語り掛けてくる。
「お前は、『どこまでも自由である』彼女を愛したのではないのか?」
「お前は、『世間の常識に縛られず、自分の意見が言える』彼女を愛したのではないのか?」
「内面で『自己矛盾が起こっている』ということに気付けないほど、お前は愚かだったのか?」
彼は、歩みを止めて考えることを放棄した。

「又、失敗してしまった――」
彼女は、呆然とした表情で「最愛」の編集者を置き去りにして、部屋を飛び出した。
そして、「最愛」の彼に向かって走った。
今、現在。彼女自身が取るべき最善の行動が「それ」だと思えたからだ。
繊細だけれど、「自由である」ことを最優先に考えてくれていた彼だからこそ、理解してもらえると思っていた。
実際。結婚する以前に「昔は、ヒモのような生活をしていたんだ。住所不定サラリーマンだったんだよ。私は……」と、自嘲気味に話していた。
結婚してからも、彼が酔っ払った時に「彼自身が風俗に行った経験」とかも話していた。
彼女は、彼を過信し過ぎていた。
彼は「性に関する自由」を、許容することができる人間では無かったのだ。

心の中で、普段は現出しない「自分の中にいる悪魔」が囁く。
「彼は『愛が介在しないセックスは、自分にとっては自傷行動。所詮は、傷の舐めあいだ』などと、嘯いてたじゃないか。君の中に『編集者への愛』があるのは確かだろ? そりゃ俺にも分かるさ、自分のことだもの。彼に君を責める資格は無いじゃないか」
「彼は、君の『自由さ』も愛していたんだろ? じゃあ自業自得だ」
うるさいうるさいうるさい! 彼女は、次々と頭に浮かんでは消えていく悪魔の囁きを打ち消すように、必死で彼を探した。

まだ、始発電車までは時間がある。
どこかで時間を潰しているはずだ。
電話をかけてみても、コールはしているが出てくれない。
人混みは嫌いなはずだから、繁華街がある東口側に行ったとは考えにくい。
だからと言って、新宿中央公園のような薄暗い場所も彼は好まない。
彼女は、盲滅法に新宿を走った。
もうそろそろ、始発の時間だ――。
駅へ向かう(浮浪者たちが寝袋で寝転がっている)地下道を、夢遊病者のようにふらついて歩く男性の姿が見えた。しかも、見慣れた服装だ。
「やっと、見つけた!」
声をかけて一瞬、彼女は人違いをしたかと思った。
服装は同じだが、その男には「表情」が無かったのだ。
「何か用?」
彼と同じ声で、その男は答えた。
彼に、初めて出逢った時のことを思い出した。
その時も「酷い有り様だ、可哀想に」と思ったけれども、目の前にいる男は「まるで人形のように」見えた。
これが、自分が選んだ「最良の選択」だったのか? 彼女は、泣きそうになりながら彼の腕を取って、老人を介護するように優しく家へと連れ帰った。

「やっと帰れる、か」
しゃがみ込んで逆に疲れてしまった膝を伸ばして、彼は新宿駅へと向かっていた。
彼女が帰ってきたら、どんな顔をして迎えればいいだろう?
そうだ! いつも通りにしよう。
「おかえり」って言ったら、「ただいま」って答えてくれるだろう。
そうすれば、夢だったことにできる。
そんなことを考えながら、彼は地下道を歩いていた。
「やっと、見つけた!」という聞きなれた声が、後ろから聞こえた。
耳から入ってはくるのだが、意味が彼の頭には入ってこなかった。
汗まみれの女性が、彼の腕を引っ張っていく。
「鳴呼、どこまででも自分を連れて行っておくれ。そして、『自分の擬態』すらできなくなってしまった自分に役割を与えてくれ。それに『擬態』するから――」

それ以降。
二人は、元通りに戻った。
最初の頃こそ、彼は目が覚めるたび「悪い夢が……、醒めてくれないんだ」と言っていたものの、時間と共に彼は表情を取り戻していった。
ただ。
彼は「『誠実さ』は相対的なものであり、絶対的なものではない」と認識を改めた。
彼女も同じ過ちは犯さないと心に決め、「優しい嘘」を吐くようになった。
彼らが「純粋さを放棄して堕落した」のか「人間として成長した」のかは、誰にも分からない。
ただ一つ、言えることがあるとすれば――。

「純粋さ」も「完璧主義」も「正義と悪」ですらも、人それぞれに違う認識であり事象である、ということだけだ。

【了】

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