【短編】少女Aの憂鬱(或いは、「醜いアヒルの子」の葛藤)

少女はイジメを受けていた――。

きっかけは簡単なものだった。
クラスのリーダー格の女子が気に入らない発言をしたとか、優等生ぶったとか……。とにかく、大人から見れば「つまらないこと」だ。

「イジメ」に理由など存在しない。
小中学生特有の、「クラス法」という名の法律に書いてあることに反すればイジメられる。
小学生男子においては「学校のトイレでウンコする」と、イジメられる対象になりうる。
中学生女子においては「ヒエラルキー上位の女子が好きな男の子に告られた」女子は、本人に何も非が無いにも拘らずイジメられたりもする。
「クラス法」は、絶対不可侵で校長先生や日本国憲法でも止めることは出来ないのだ。

少女は――。
不遇な身の上を「自分が悪いんだ」と言い聞かせることによって、自分を守ってきた。
鬱屈した心の壺に「自己否定」という蓋をして、耐え続けた。
どこにいても「卑屈な自分」が居て、高校時代の青春も満喫できなかった。
そもそも。イジメを受けていた少女が突然、友人でもないクラスメイトに「ねぇねぇ、昨日テレビでさあ――」なんて話しかけられる筈が無い。
目立たないようにした。一人は慣れているし、薄い繋がりの友人たちとは「上辺だけの関係」で乗り切ることが出来た。
ただ一つ。
彼女が違ったのは「勉強に関しては、ひたむきに向き合えた」ことだった。
――彼女は、結果として「人が羨む」ような大学に入学できた。

そう。「醜かったアヒルの子」が「美しい白鳥」に育ったのだ――。

小学校から高校までは、地域に密着した環境であることが殆どだ。
「大学」というフィールドは、高校時代までとは全く違う人たちと会うことになる。
大抵の新入生は「サークル」や「友人」などの居場所を見つけるまで「アウェイ感」を感じるものだ。

だが、彼女は違った。
大学は「一人でいても、おかしくない場所」だったからだ。
学食で一人で食べていても、誰にも後ろ指を差されない。
それは、居心地の良い空間に彼女は思えた。

今まで自分をからかってきた「アヒル」たちは、もう居ない。
周りは、自分と同じ「白鳥」だらけだ。
「白鳥」たちは、互いを尊重し合う。
無口な「白鳥」も尊重されるし、孤独な「白鳥」だって尊重される。
それを「個性」と思ってくれるのが、白鳥たちだった。

彼女は満たされたが、何かが物足りなかった。
いや、足りない気がした。
アヒルとしての過去を払拭するために、白鳥たちの中でも「ひときわ美しい白鳥たち」に仲間入りしたくなった。
彼女は、自分の羽繕いを徹底的にした。
彼女は、少しずつ美しい白鳥たちの群れに近づいていった。
彼女に、初めて「友人」という物が出来た。
彼女は、美味しいエサの在り処を友人たちに紹介した。
そして。美しい白鳥のオスとツガイになり、キラキラした白鳥たちの中でも他を見下ろす存在になっていた――。

彼女は、久しぶりに故郷に帰った。
彼女をあれだけ苦しめてきたアヒルたちが、彼女の羽を褒めた。
どのアヒルたちも、称賛を浴びせた。
彼女は見返せた気がした。
気分がスッとした。
「鳴呼。この時の為に、私は我慢してきたんだ!」とさえ思えた。

白鳥の世界に戻ってきて彼女は、疑問を持った。
あれ? ここが白鳥世界の天辺(てっぺん)なの?
もっと、「眩しくて煌びやかな世界」が待っていると思っていた。
どんなに羽を繕っても、「もっと上の世界」は存在しない。
彼女は、他の白鳥たちと同じように振る舞い、上から他の白鳥たちを見下ろして過ごした。
じわじわと、「虚無感」が彼女に向かってやってきた。

「私は白鳥になって、自分を嘲笑ってきたアヒルたちを見返してやったはずだ。もう満たされたはずなのに、なぜ苦しさが消えてくれないんだろう?」

彼女は、自分が「どうして苦しい」のかが分からなかった。
満たされた毎日。
満たされた生活。
満たされたパートナーとの関係性。
一体、これから何を満たせばいいのか? 彼女は考えたが、答えは出てこなかった。

そうだ! 昔の私のような醜いアヒルたちに、「白鳥になる方法」を教えてあげよう!
それは、とても良いアイディアのように彼女には思えた。
幸い。彼女は白鳥界でも影響力があったから、白鳥界にもアヒル界にも通じるマイクでの放送権を与えられた。

彼女は大声で訴えた。
「醜いアヒルたちよ! 白鳥たれ!」と。
昔は醜いアヒルだったけど――。
努力して白鳥になった彼女を、みんなが褒めてくれた。
そうだ! これが、私が求めていたモノだ!
彼女は大いに満足し、活動をつづけた。

ある日。
彼女のもとに、一通の手紙が届いた。
差出人を見てみると、「醜いアヒルより」と書いてあった。
きっと、お礼の手紙だ! 彼女はウキウキとしながら手紙を開けてみた。

「拝啓、美しい白鳥様――」から始まる手紙の内容は、こうだった。

あなたの存在は、一部の醜いアヒルたちを勇気づけました。
しかし。「普通のアヒルたち」は今までより一層、醜いアヒルたちをイジメるようになりました。
彼らは、今まで蔑んできた醜いアヒルたちが、美しい白鳥になることを受け容れられないのです。
それでも頑張り続けている醜いアヒルもいますが、ほとんどは今までより酷いイジメを受けています。
あなたが白鳥になれたことは素晴らしい、と私も思っています。
しかし、白鳥になったあなたに強い影響を受けているのは、むしろ普通のアヒルたちです。
どうか、活動方法を再考してはいただけないでしょうか?

彼女は愕然とした。
え? 私は……、あなたたちが頑張れるようにと思って――。
また。
満たされていた筈の「虚無感」が、彼女の身体を襲ってきた。
彼女は、活動を始める前よりも「大きな穴」が心の中に開いてしまったように感じた。
おかしい。
感謝されこそすれ、「私が間違えている」ということは有り得ない。

彼女は、気付けていなかったのだ――。
大音量のスピーカーから流れる声は、アヒル界全体に聞こえてしまう。
それを「自分をイジメていたアヒルたちも聞いている」という事実に――。
そして「醜いアヒルの子」が、みんな彼女のように白鳥になれるとは限らない、という事実に。
そして、里帰りをした日に「自分をイジメてきたアヒルに対して優越感を抱いて、蔑んでしまった」自分自身に――。

彼女は思考する。
私は「我慢し続ければ、いつかきっと良いことがあるよ」と伝えてきた。
それが。どうして、「醜いアヒル」が更にイジメられる環境になった?
いくら考えてみても分からない。
一羽でも醜いアヒルが美しい白鳥が育ってくれたら、私は満足だった。
それなのに何故、文句を言われなきゃならないの?
憤慨しようとしても、出来なかった。
「昔の彼女自身」からの痛切な訴えは、彼女に更なる絶望感を与えた。

私は、どこで間違えた?
誰か、教えて欲しい。
心の中の空虚感は、いたずらに広がっていくばかり。
そもそも私は優越感など持っていないし、自信など持っていない。
イジメられていた当時のままだ。
今を苦しんでいる「昔の私たち」は、どうして頑張ってくれないの?

きっと。
彼女が願ったように、数羽の白鳥が彼女に礼を言いに来る事はあるだろう。
しかし。
大多数の「醜いアヒル」には、「眩しくて煌びやかな世界」にいる美しい白鳥の言葉を信じることは出来なかったし、イジメも増していた。
一部では、努力を続けても白鳥になれず、絶望していく醜いアヒルもいた。

明るい場所に立っている彼女には、明るい世界にやってきた「昔の自分」を見ることは出来る。
しかし――。
暗い場所で苦しみ続ける「昔の自分」は、見ることが出来ない。

彼女は一人、部屋の中にある手鏡に自分の姿を映してみる。
そこには「明るい部屋にいる、美しく育った白鳥」が映し出されている。
私は頑張って、煌びやかな白鳥世界にやってこれた。
誰だって出来るはずなのに、どうして――。
悔しくて涙が出そうだった。
だが。それをしてしまったら、今までの自分の努力を否定することになる。

ほんの数秒だけ、涙で滲んだ視界の中で手鏡の中が暗くなった。
その中に、一人の少女が立っていた。
暗くて顔も見えなかったが、直感的に彼女は「昔の私だ!」と気付いた。
「ねえ。私、こんなにキレイになれたよ! あなたが頑張ってきてくれたおかげだよ!」
彼女には、こちらの言葉は聞こえないらしい。
その暗い場所で、「昔の彼女が口を動かした」が、やはり音は聞こえない。
だが――。
彼女にだけは、唇の動きだけで、その言葉が分かってしまった。
幻だったのか、現実だったのかは分からない。
彼女は、「涙を流している美しい白鳥が映っている手鏡」を、胸にかき抱いて号泣した。

『おねえちゃんは、いいね。うらやましいな、そんなにきれいで――』

【了】

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