自分の心に響く「物語」の書き方

まず、最初に申し上げておきたいのです。
私は「クリエイター」でも「芸術家」でもありません。
ただ、「文章が好き好きで堪らない」人間です。
「情報発信をして金が欲しい」人間でもない(そういったのは「ビジネスベース」の文章です。私も過去に書いてはいましたが、会社の業務か小遣い稼ぎレベルです)。
ただ。
「自分の文章を、自分に伝える」方法論を知っておいてもらいたい、と思っただけです。
「それはオナニーだ。私は他人の心を動かしたいのだ!」と思われる方もいるでしょう。
いいですか? 「自分に伝わらない文章が、他人に届く訳がない」んです。
「お前の過去の記事を読んだが、最低最悪じゃないか!」と仰られても、私にとっては「宝物」であり、「消えてしまいたかった自分が、現在生きている証」ですから他人に貶められるのは心外です。
えーと。
敢えて他人を不愉快にさせる表現をしましたが、御容赦いただきたい。
それでは、始めましょうか?

■文章力を鍛える

これは、私は必要ないと思っています。
テクニックなんて、小手先のものです。
「自分の心に響く文章」は、誰の為でもなく自分の為に書くものです。
そして。
それに共感してもらえたら、これ以上ない喜びを得られるでしょう。
それは。小手先のテクニックで共感を得るよりも、深いカタルシスを得られるはずです。
小説を読み漁って語彙を増やす行為で、かえって自分の表現範囲に影響を及ぼしてしまう方が「自分の心に響く文章」を書けなくなる可能性があるのではないか? と危惧しているくらいです。

■模倣から始める

絵でも音楽でも「芸術」と言われる分野は大体、模倣から入るものです。
私の場合は、「私が読んできた、古今すべてのコンテンツ」の模倣です。
この「模倣」が、先述した「自分の心に響く文章を書くのを妨げる可能性」について書いてみようと思います。
自分の中にある「グチャグチャで滅茶苦茶な自分でも不条理だと思うカオスな気持ち」を、未来の自分に伝えたいとしましょう。
※「カオス(混沌)」は、いつの世でも若者たちが抱えている葛藤ですので頻出させますが、当記事で伝えたい「自分の心に響く文章」と違う「芸術」だと認識しているので、御容赦いただきたい
この時に、まず思いつくのは「過去に読んで、自分のカオスっぷりを見事に表現している! と感じたプロの文章」でしょう。
思い付くままにカオス(混沌的)な文章を書くにあたって、つい真似してしまいませんか?
そうそう、バロウズとか。
それで、良いと思います。
試しに、私もチャレンジしてみましょうかね。

――彼は呆けたような表情で、案山子(かかし)に問うてみた。
「さっきまでココに居た道化師が、私の『通りすがりの人に与える愛情』を盗んでいってしまい、大変難儀しております。どちらに行ったか知りませんか?」
案山子は右を指さしたが、私は左側の狭い道路に入っていったクルミ割り人形が向かった先の方が気になり、そわそわしてしまった。
「私が折角、教えてあげたのに上の空だ! アンタはなんて非道い人間なんだい!」
案山子はプリプリと怒りながらベルトコンベアに乗って、焼却場の方へと運ばれていった。
私はたまらなく可笑しくなって、「なんだ、彼(女?)も迷子だったんじゃないか!」と笑い転げた。
どうやら。
先ほどの案山子は「案内人」ではないらしいと気付き、私は左側の暗がりへと歩を進めた。
「人を字面で判断したらいけないな」という反省の心はすぐに消え、目の前の光景に興味が移った。
そこでは、腰が直角に折れ曲がった老婆と陽気な背むし男が、「どの昆虫が一番、サーカスに行きたがっているか?」について語り合っていた。
そんなことには興味が無かったので、私は「ウヰスキー」とだけ書かれたネオンサインが明滅している店に足を踏み入れた。
外で気になった、ネオンが明滅する際に発する「ヂヂッ」という不快な音が、店内では不思議と聞こえないことに安心感を覚える。
バーの奥の席に独りで座り、泥酔している巨大な女性器に声をかけてみる。
「どうやら、私は親を殺してしまったようなのです。貴女なら、どうすれば良いか教えてくれるような気がするのです」
彼女は口をモゴモゴさせてはいるが、私には何を言っているかサッパリ分からなかった――。

――こんな感じですかね?
こういった文章は、「意味がありそう(すべての事象にメタファーが含まれている)」と思われがちです。
ですが。実際のところは、芸術的な意味合いで「カオスな気持ちをぶつけて、カオスを表現してみた」結果だと思うのです。
絵画と同じように、「受け手側に解釈を委ねる手法」です。
それは、ジャンル分けすれば「芸術」という分野です。
「不思議な気分」にさせてはくれますが、無意味な単語の羅列は「混沌そのもの」であり、混沌を「表現」してはいないのです。
最初に述べた通り、私は「芸術家」ではありません。「論理的であること」を旨とする私には、「良し悪し」が評価できないのです。
でも、これだけは言えると思うのです。
「十年後の自分の心に響く文章」には、なりにくいのではないでしょうか?
いえ。
あくまで持論として申し上げておりますので、そういう文章を読み書きするのが好きな方を否定する気は、毛頭ございません。
因みに。
私は上記の文章を、心を込めて書いていません。
つげ義春氏の世界観をベースにして、安部公房氏が書いた「S・カルマ氏の犯罪」風味を足した文章を「混沌」というテーマで書いたものです。
或いは、鈴木翁二氏の世界観も混じっていますかね?
そこに少しだけ「言葉遊び」を足して、オリジナリティを出してみた感じ。
「模倣」の集合体です。

結局のところ。
素直な気持ちを「表現」と「モチーフ」で修飾すると、「自分の心に響きやすい」文章になり易いのです。
それが。二十五年以上の間、私が雑文を書き続けてきて得た結論なのです。
普通に書いた五年前の日記より、十五年以上前に書いた「当時の気分を、架空世界に置換して書いた文章」の方が、今でも心に響くことが「やっと」分かったのです。
あくまで個人的な意見ですが、プロの作家さんがよく「テクニック」として使う「異常な世界では、正常な人間こそ『異常』に見える」という手法は、非常に分かり易くて手軽な「カオス表現」だな、と思っています。
つまり。
「模倣するのは当然だけど、模倣元を増やす(言い換えれば、多数の表現方法を知っておく)」方が、より自身の心にフィットした文章になりやすいということです。

■模倣先を増やす

これは、簡単なようで難しい問題です。
コメディ小説とハードボイルド小説を読んで、ごっちゃにして模倣出来るのか? という問題になりますから。
慣れれば簡単になるのですが、答えは「可能」です。
火浦功氏のコメディ小説「トリガーマン!」が、まさにそれです。
「すちゃらか」な世界に、一人だけ「ハードボイルド世界の人間」がいて振り回される、という内容です。
「それじゃ、俺の中に燻るカオス(混沌)は表現できない!」という方は、私の過去の馬鹿々々しい日記(マガジンで言うと「戯れ言」)を読んでみてください。
これが、私が表現したかった「カオス」です。
当然。誰にも通じませんが、それでも自分の「ぐちゃぐちゃ」を結実させてアウトプットしたものが、それなのです。

■最初に、世界観を決定する

今の自分の気持ちを、素直な気持ちで分析してみましょう。
「喜怒哀楽」という感情で、単純に分類しても構いません。
その気持ちに合った世界を想像してみてください。
九龍城?
米国のダウンタウン?
ファンタジー世界?
江戸時代?
そう、なんでもいいんです。
「舞い上がるような気分」だから「天使」、とかで良いのです。
さあ。世界を動かし始めてみましょう。

■モチーフを決定する

「舞い上がるような気分」のあなたは、天使です。
「落ち込んで、塞ぎ込みたい気分」なあなたは、モグラでも構いません。
その気分が求める「登場人物」は誰でしょう?
え! 付き合い始めた彼氏?
それは避けた方が良いでしょう。
実在する人間との、十年後の関係性は何物にも担保されないからです。
出来れば、比喩的にキャラクターを作ってみる方がいいです。
「彼氏」だったら、同じく空を飛べる動物がいいでしょう。
その物語に会話が必須じゃなければオオワシでもいいですし、コミュニケーションを取りたいならハーピー(架空の有翼人間)でもいいでしょう。
「会話」や「やり取り」を、想像しながら書いてみてください。
大丈夫です。
つまらない会話になってしまったら、書き直せばいいんです。
ここは、物語の世界なんですから。

■進めた「物語」の着地点(「THE END」の文字が出る瞬間)を見つける

ハーピーと楽しく語らっているあなたは、どういう結末を求めていますか?
友達になって、次にも会う約束をして別れる?
意気投合して、酒場に飲みに行く?
それとも、素敵なロマンスに満ちた展開になるのでしょうか?
「ロミオとジュリエット」エッセンスを入れて、悲恋にしても構いません。
その時に感じた「自分が一番シックリくる」エンディングを用意することが一番、大切です。
心の中で笑いながら(或いは泣きながら)、エンディングまで書ききってください。
――これが、あなたの心に響く「物語」になることでしょう。

■おまけ:「物語」を書くプロを目指す方々へ

私自身が「物語を作る」プロではありませんので、上記の方法では「小説家」にはなれません。
読んでお分かりの通り、ショートストーリーしか書けないメソッドです。
私が「商業ベースに乗せる物語」を書くとすれば、下記の点に重きを置くと思います。
・緻密でオリジナルな世界観の構築(拙「note」保管庫内「ハンバーガー少女」などは、世界観だけ書いた物語です。オチはありませんが……)
・章立てして、プロットを緻密に練る(特に世界の前提と、エンディング)
・キャラクターの設定(彼らを脳内で語り合わせてみて、相性の良し悪し等も織り込む)
・不要なキャラクターと、新たに生まれたキャラクターの会話シミュレート
・オリジナル世界の場合は、情報開示のタイミングと不自然さの排除
・書きながら「ミスリーディング」や「会話の妙」、「テンポの良い文章」などの、自分の強みが目立つように工夫をする
これくらいでしょうか?
プロの「物語書き」志望の方に、お教えできることは無いでしょう。
それこそ「釈迦に説法」というものです。
「自分の心に響く」ことを前提にしているのを最初に書いたのは、そういう理由です。

■最後に

人生は物語に喩えられます。
そして、主人公は「あなた自身」です。
実際に「悲喜劇」は等価のものであると、私は思っています。
すべては、心の持ちようで悲劇とも喜劇ともなり得るものです。
ベクトル(方向)が違っても、スカラー(絶対値)が同じなら「物語」足りうるのです。
その大切な「瞬間」を、叙事的にではなく抒情的に書くのが「自分の心に響く物語」だと私は考えています。
あなたも是非、チャレンジしてみてください――。

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