お寺

Bozu be Ambitious!

【ご報告です。】
350年続くお寺を、次の時代に引継ぎます。
このたび、貴重なご縁をいただき、福岡の里山に囲まれたお寺を引き継ぐことになりました。
正保元年(1645)に開基、将軍家光の時代から約350年続く、芳映山 明善寺(ほうえいざん みょうぜんじ)です。
福岡のほぼ真ん中、嘉麻市の旧嘉穂町の中心地・大隈からちょっと行った、豊臣秀吉の「一夜城」で有名な益富城址が裏山で、遠賀川の豊かな流れにより、縄文時代から栄えた地域です。最近は清酒「寒北斗」や廃校を活用したボルタリング施設でも有名です。
嘉麻市のお隣の、桂川町の地方創生事業に、4年ほど関わっておりました。役場のご近所のお寺に先輩がいらっしゃいまして、ご紹介を頂きました。また先代住職が急逝後、大学の同級生の友人が住職を代務していたということも重なり、門徒総代や坊守さん(先代住職の奥様)とご面談を重ね、11月の御正忌報恩講(浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の御命日にご遺徳を偲ぶ法要)で開催された門徒総会で、満場一致で私の入寺と、「13世住職」の就任が決まりました。
これから、所属寺の変更手続き・住職の就任に関する宗派(浄土真宗本願寺派)の手続き、法令に基づく所轄官庁への手続き、登記変更など、事務手続きがあります。

実家のお寺はどうするの?というご質問について
私の所属寺は、山口県の実家のお寺で、ちょうど10年前、カミさんと結婚を機に、東京を卒業してこちらを継ぐべく山口に戻ったわけですが。。。企業の事業承継同様、いろいろ「問題」がありまして(詳細は差し控えます)。。。お寺を出て、一旦カミさんの実家にお世話になり、糸島に移住しようか悩み、結果福岡市の東区三苫の、なんと!最澄さまが庵を結ばれた跡に建つ古家(よく家の中にダンゴムシやナメクジが出るような家でした)に引っ越し、800年続く津屋崎の浄土宗の古刹の隣!の古民家を購入して・・・正直、帰俗(還俗)も考えてました。それは大分のお寺の友人が止めてくれ(もりきさん、ありがとう!)、また桂川町のお寺の先輩が親身に相談に乗ってくださり(先輩ありがとうございます!)、代務住職をしている友人が動いてくれて(むりょうさん、ありがとう!)、このようなかたちとなりました。
いろいろとあった(マジいろいろありました(涙))にせよ、これまでお支えくださった実家のお寺のご門徒のみなさま、同じ組(地域の2,30のお寺のまとまり)のご住職・寺族・そのお寺のご門徒のみなさまのことを考えると、ホントに、ホントに・・・悩みました。抱えていた仕事やプロジェクトをすべてやめて、この夏〜考えることと整理することに時間の大半を使って、「決断」しました。気がついたら、冬になってました。
(お詫び)いろいろと仕事のご相談やオファーを頂いていたのに、お断りをして申し訳ありませんでした。そしてなにより、収入が途絶えましたので、カミさんには苦労をかけてます。ひどいことも言ってしまいました。また私が山口に帰ったことで、これまで築いてきたビジネスキャリアも中断させてしまいました。そんな私に対して、いつも支えてくれるカミさんに感謝です。
キモチも整いましたので、がっつり仕事再開したいと思います!お仕事ご依頼お待ちしてます!!

今回の入寺のお話を頂いた同じタイミングで、父である住職から、所属寺の変更または帰俗の手続きをするようにとの、とても長く、キモチの乱れる手紙が来ました。入寺先の坊守さんに、これまでのことを正直にお話をしました。そして、カミさんにも今回の入寺の決断を説明しました。ウダウダと、四半世紀悩みに悩んだ、ホントに悩んだことに対して、結論を出しました。

「トラウマ」の連鎖にならないかも、悩みました。
いまでもトラウマになっている、私がホントに嫌だったことがあります。私の性格の闇の部分をつくったのは、たぶんこれだと思っています。かつて「うつ」になったときも、根っこの部分はこれかも、とのことでした。それは、親が「お寺を継ぐ」ということで、普通の家庭から、お寺ライフに大きく変わったこと。そして住み慣れた京都から、言葉も習慣も全く違う山口に移住したこと。日々「坊主丸儲け」とイジメられたこと。友達もできず、図書館(公民館の図書室)の本と、自転車だけが友達だったこと。。。。これがムスメの、津屋崎でのびのびと、地域のみなさんに育てて頂いている環境が大きく変わってしまうということについて、ホントにホントに悩みました。ムスメには、時間をかけて話をしました。詳細はまた今度ということで、いまムスメが理解できるレベルで納得をしてもらいました。

すぐにお坊さんとしての活動をしなかったのは
私の周りの「お坊さん」は、宗門の大学を卒業してすぐにお寺に戻るか、本山に勤めて、代替わりで帰るか、のいずれかがスタンダードです。寺門の外のことを知らないでお寺を護(まも)ることはできないと常々思っていたことと、消去法(入試で全滅して、龍谷しか通らなかった)で仏教学科に行ったこともあります。とにかく山口でのお寺ライフや、周りの生臭い寺族(この言葉も嫌いですが。。。)に嫌悪感を覚えていたのも、すぐに僧侶になるのが嫌だった理由でもあります。
嫌だった大学でしたが、ビハーラ(仏教における生命観に基づくターミナルケア)研究の第一人者である鍋島直樹先生との出会いと、大学時代からラジオの構成やイベントの企画などの仕事に恵まれした。大学卒業後は、約10年ほど宗門校の別の学校法人におりましたが、その間大学院に行って、外資系IT、広告代理店、大手小売、コンサルで、まさに「修行」させて頂きました。あえて「ジョブホッパー」な生き方をしたのは、万が一将来、僧侶としてお寺を護ることになったときの糧にしたいという思いと、知的好奇心と、その時の諸々の事情でした。
阪神淡路大震災のときは、自分が担当していた番組がOAされていたものの、録音だったので難を逃れ、地下鉄サリン事件のときは、当時人形町に住んで日比谷線で築地の代理店で仕事をするはずが、前日に急遽宗門校の理事長との面談が決まって被害に遭わず、そして東日本大震災の数日前に山口に戻り、山口を出たあとも、必ず「お寺」のそばが自宅という、「偶然」の連続でした。加護とかそういうことではなく、そういう日々の偶然の連続のなかにある「ありがたさ」に、私が「生かされている」という真実に向き合うと、これまでジョブホッパーで生きてきたように、必要とされる「お寺」で、粛々と、コツコツと、そして私自身も、家族も、ご門徒も、地域の方々も、「楽しく」生きることが、私がいちばん「やらなければいけないこと」だと、確信することができました。かつてちょっとの間、秘書をさせていただいた、ぐるなびの創業者の滝久雄さんが、いつも「やらなければいけないことを、やりたいことにしなさい。そして、勉強したことが自分の仕事や人生に役立つ幸せを感じなさい。」と諭してくださったことを、日々の中で思い出します。

「お寺はだれのもの?」を再定義
10年前に、山口の実家の寺に戻った際に、「寺業計画書」なるものを作成しました。社会が抱えている課題の解決にこそ、これからのお寺の「存在意義」があると確信しまして、中長期の事業計画書を作って、色んな方々とお話をしました。
一旦お寺を出てからの約7年(イコールムスメの年齢なのです。。。)、福岡の映像会社の整理、老舗印刷会社の合併、地方自治体で地方創生事業の支援・・・と、事業をスクラップアンドビルドし、地域のニーズにビジネスを「再編集」する仕事をしておりました。この7年は、世の中が大きく変わりましたね。「"Be"が大事になる時代」になりました。これって仏教的な考え方の時代、とも言えますよね?まさに滝さんが仰ってくださった、私が「やらなければいけないことを、やりたいことにする」時期が来たということと思うわけです。
とはいうものの、お寺は僧侶、住職一人のものではありません。そして、坊守の「犠牲」で成り立つこれまでのお寺の運営もありえません。お寺こそ、「男女協働参画」しなければいけませんし、「SDGs」で考えないといけません!そうなんです、「パートナー」として、寺族(やっぱりこの言い方がイヤですが)、ご門徒、地域の方々、そして僧侶・住職が連帯してこそ、お寺の持続可能性と社会的意義が存在します。
カミさんとムスメには、そのことを話をしました。ご門徒が40数戸と、小さな規模のお寺の「強み」として、引き続き、私が他の仕事と「兼務」することと、地域の課題解決を「仕事」として、「公私混同」ではなく、「公私混合」することで、「日本でいちばん楽しいお寺」にしたいです。いえ、します!!今はカミさんといろいろと企画をして、2人で楽しいのですが、これからみなさんを巻き込んで、みなさんと「楽しい日々を感じる事のできるお寺」にします。

私は過去の多くの命の繋がりの中で生かされ、だからこそ与えられた命のなかで、精一杯明るく生きる、というのが、浄土真宗の「み教え」です。
これまでたくさんの嫌なこと、悲しいこと、怒りをおぼえることがありました。でもそれも私の人生で無駄ではなく、それがあるからこそいまの私があるということも事実です。その事実に向き合い、日々ていねいに生きることは、誰かを恨んだり、妬んだり、比べたりということではないですね。
そういうキモチの存在を認めると、少し楽になりませんか?他に寛容になれませんか?自分のキモチを受け入れること。そうすると、感謝のキモチが自分の中心になります。
「ありがとう」は、「有り難し」。自分もまわりも、存在そのものが「有り難し」それが「あたりまえ」になってしまうと、感謝もなくなり、関係性も希薄になります。
まずは「私」を大事にすること。そしてまわりを大事にすること。この2つを大事にすることで日々を暮らすこと。そう思いますと、キモチが穏やかになりますね。そしてワクワクしたキモチにもなります。
私が所属する、浄土真宗本願寺派は全国に1万の寺院と2万の僧侶がいます。この大きな組織の中で、このことを大事にして、ご門徒のみなさま、地域の方々、そして家族と楽しい日々をともに過ごしてまいります。
お寺での生活は、現在坊守さんと前坊守さんがお住まいであることと、諸々準備のこともあり、暖かくなった桜の咲く頃、と考えております。
またこれまで同様に「旅をするように生活(生きる)する暮らし」で、嘉麻と津屋崎の2拠点をベースに、さらに多拠点で活動してまいります。両拠点ともより「ソーシャル」な場所にしてまいりますので、どうぞいつでもお越しください。
                                合掌
いつものように駄文にお付き合いありがとうございます。





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