「口は災いの元」…現代組織の問題と課題

「口は災い(禍)の元(門)」… 故事ことわざ辞典を紐解くと、鎌倉時代の文献『古今事文類集・後集』に遡り、「口は是れ禍の門、舌は是れ身を斬るの刀なり(うかつなことを言うと禍が起きる、舌は槍よりも多く身を傷つける)」とあります。昔から人の口には注意されていたわけですね。

何らかの組織にいれば、人の喜怒哀楽や評価・分析は聞こえて来ます。腹を割って、敢えて自己表現することは良いと思いますが、良い気になってあれもこれもぶった斬るようなお話は、同感ではあったとしても、聞いてられません。命令や抑圧を嫌い、縦の人間関係を避ける昨今、ネット社会も含め、パワハラなど人の高圧的な言動を厳重注意される現代にあって、組織は細心の注意を払う傾向にあります。なぜ昔からの問題、課題は変わらないんでしょうか。

結論は、人のモノはよく見える、人の認識や情動的な評価が原因だったりします。羨ましさ、希少さ、願望… 欲求のコントロールが効かなくなると「口から出る」んです、妬みや嫌味として。そして「災い(禍)の元(門)」になるんです。

課題は、自己顕示欲のコントロールです。「災い(禍)」はどこで起きるのか… 同じ自己顕示欲が強い人たち、もしくは自己防衛力が高い人たちの間だったりします。みんな「人の芝は青い」と認識してますから… 私は人をよく観るようにしています。時間がかかりますが、認識のレベルで決めないことです。欲求は、時間の経過で増幅します。少なければ増え、多ければ減ります。

あとは、囚われないことです。要は、余裕を持つこと、目を外に向けることが対処法です。アドラーが述べる「人は仲間であり、それぞれ能力がある」と理解することです。多様で多元な社会に生きて行く中で、相手を駆逐するかのような言動はあり得ません。「君子危に近寄らず」…そうありたいものです。そのためにも敵を作らない、無敵でありたいものです。自ずとこういう奇怪は減りますよ。

ただ、私も体験しましたが、犯罪行為そのもの、それに近いことになれば、警察や労基行きです。そこはまさに一線を引くことも忘れないようにしましょう。

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