日本の資本主義の父

日本の資本主義の父といわれる 渋沢 栄一(しぶさわ えいいち) についてシェアいたします。

経営の本質を見抜き、福沢諭吉と共に日本の経済を作り上げた偉人の生涯と考え方、言葉をシェアいたします。

●人物●
1840年 現在の埼玉県深谷市に生まれ。家は米、麦、野菜、藍玉の製造などしてる豪農(財力や勢力のある農家)。
武士、官僚、実業家として日本の経済の基盤を作り上げ大多数の企業と経営、いくつかの大学の立ち上げに関わった人物です。

5歳より父親から読書するよう教育を受け学び始め、14歳頃には藍葉の仕入れに出るようになり、売買のシステムを学びます。
19歳の頃に結婚し江戸に出ます。
そこで儒学者の海保 漁村の門下生となり、剣術は千葉 栄次郎の道場に入門します。その頃、勤皇武士と交友を結び尊皇攘夷(武力、政治全ての権限を天皇に返すこと)の思想に目覚めます。
1863年に高崎城を乗っ取り、横浜を焼き討ちして長州藩と倒幕する計画を立てるも親族の説得により中止します。

その後、京都まで行きますが長州藩や勤皇派の人達が京都から追放され志士活動が終わります。
江戸にいた頃に交流のあった一橋家家臣より推薦を受け、一橋慶喜(後の徳川慶喜)に仕えます。
1867年、徳川慶喜が将軍となった後パリの万国展覧会に慶喜の弟が出席するため、随員(地位の高い人の身辺を世話する人)としてヨーロッパに行きます。
ここで先進的な産業、軍備を視察し商人や将校が対等に交わる社会を見て感銘を受けます。

同年11月に徳川慶喜は大政奉還をします。これにより新政府から帰国を通達され帰国。静岡に謹慎していた慶喜に会いに行き、慶喜から''これからはお前の道を行きなさい"と言葉を受けます。
1869年、フランスで学んだ株式会社制度を実践するため商法会所を設立。だが大隈重信に説得され大蔵省(財政、通貨、金融に関する国の行政機関)に入省します。
1873年、予算編成を巡って大隈重信と大久保利通と対立して退所します。
大蔵省時代に設立を指導していた、第一銀行(現在のみずほ銀行)の代表取締役になります。
以後、東急電鉄や帝国ホテル、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビールなど約500社の設立に携わります。


●思想・言葉
「私利を追わず公益を図る」
これは渋沢栄一の生涯貫いた信念です。
社会活動対しても熱心取り組み、日本赤十字社などの設立にも携わりました。教育にも力を入れ入れて、一橋大学などいくつか設立しました。
私利私欲を超えて社会、世の中に還元することが彼の心に深くあったのです。

「夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。信念なき者は計画なし。計画なき者は実行なし。実行なき者は成果なし。成果なき者は幸福なし。ゆえに幸福を求める者は夢なかるべからず。」

まだまだたくさん言葉を残していらっしゃいます。触れてみてください!
以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?