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文庫本

夕方(と言っても15時過ぎのことだ)、一人でラーメン屋に行って遅い昼食を取った。遅い夕食を取るつもりはないので、早い夕食と言ってもいいかもしれない。いつものジャージを着て、スマホと文庫本を一冊持って。村上春樹の『回転木馬のデッド・ヒート』である。

いつものように券売機で醤油ラーメンのチケットを買ってカウンターに陣取る。ほどなく店員がやって来てメンマとネギを無料で増やせるがどうかというやりとりがあって、本を読み始める。四頁ほど読んだところで醤油ラーメンが運ばれてくる。注文したとおりメンマは少なめ、ネギは多めだ。文庫本を置いてラーメンを食べ始める。食べながら本が読めるように、しかも両手を食べることに集中させられるように、読んでいる頁を開いて左手に置き、頁が閉じないように右上の角にスマホを置く。これで箸と蓮華を使いながら目だけで本を読める。お袋がいれば行儀が悪いと叱られそうなところだが、もうそんなことを気にする必要もない。嬉しくもあり、哀しくもある現実である。

本に集中しすぎたのか、不意に左手から蓮華がすべり落ちる。文庫本の右下の角にラーメンスープとネギが浸みていく。あらら…。しかし汚れたのが文庫本である限りにおいて、慌てる必要はない。文庫本は綺麗な状態を保つ必要などない。どうしても綺麗なものが欲しければまた買えばいい。それだけのものだ。価値をもつのは文庫本が提供してくれる「知」であって、文庫本そのものではない。墨で黒塗りでもされない限り、文字が読めるならラーメンスープごときでその価値は変わらない。これが文庫本でなく、ハードカバーの初版本なら慌てたかもしれない。スープが落ちたのがスマホでも少しは慌てたかもしれない。でも、僕はただあらら…と思っただけで、『回転木馬のデッド・ヒート』12頁の紙が褐色のスープをゆっくりと吸い込んでいくのを見ていた。へえ、こんな速度で浸みていくんだな……。

必要な知は文庫本と新書で手に入れるのがいい。僕に必要な知などその程度のものである。

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