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見破り力

職員会議で提案に猛反対する先生を見ることがあります。先生方の多忙を増幅させる、子どもたちのためにならない、あれこれと理屈をつけ、とにかくその提案をなきものにしようと批判します。

なぜ、そんなにもその提案に反対するのか。よく考えてみると、その提案が通るとその日の部活動ができなくなる提案であるなどということがあります。更によくよく考えてみると、その部活動ができなくなる日の週末に、その先生がもっている部活の大会がある、そんなことに気がつくこともがあります。結局、その先生がそんなにも反対するのは、その提案が問題なのではなく、部活動の練習日程の問題であったわけです。

ある子どもがどうしても指導に従わないということがあります。従わないどころか、その指導事案があったということさえ認めないのです。例えば、煙草の目撃情報があったから問い詰めてみたが、頑として認めない、そんな事例ですね。

いつもなら「ご免なさい」と素直に認める生徒なのに……。今日はどうしてこんなに頑張るんだろう……。ひょっとしたら、今回はほんとうにやっていないのかもしれない。良心的な教師ほどそう感じます。しかし、あとでわかったことですが、その子には母親が病気になっていて、いまは学校からの連絡で母親に心配をかけてしまうことをどうしても避けたかったという事情があったのです。

二つの事例を挙げました。長く教師をしていると、こんなことが多々あるものです。こうしたとき、その先生、その子が裏で何を考えているのかがわかれば、対処の仕方はいろいろあるものです。大会5日前までの部活動に関しては活動を認めるという付帯事項をつけたり、お母さんの病気に目処がついてから先生から話をすることにするよと言って安心させたりすれば良いわけですから。そのくらいの猶予をもたずして、学校教育は成り立ちません。

逆に、もしもこの裏の構造を見破ることができなかったとしたら、反対する先生にただ腹を立てたり、頑として認めなかった子を信用してしまって、かえってその子に負い目をいだかせてしまったり、そんな状態に陥ります。その方が教育活動はずっと滞ってしまいます。しかし、学校にはそういう例がたくさんあります。しかも、多くの場合、教師がそうと気づかぬままに。 こうして職員室の人間関係が険悪になってしまったり、教師と子どもとの関係がなんとなくぎくしゃくしてしまったりするのです。考えてみると、怖ろしいことです。

教師に限らず、人間は事実ばかり、現象ばかりに目を向けがちです。

When、Where、Who、What、How……いつ、どこで、だれが、何を、どのようにしたか。それだけを見て、自分の感覚で断罪してしまいます。あの先生は結局、めんどうなことはいやなんだ! あの子があんなに頑張るんだから、きっと今回は目撃情報の方が間違っているんだ! そういう判断ですね。それがネガティヴな方向に物事を進めてしまうわけです。

しかし、様々な現象の裏には必ずWhy(=なぜ)があるのです。なぜ、そういう行動に出るのか、なぜ、そうした現象が起こるのか、その理由があるものなのです。しかし、人はなかなかそこに目を向けません。

Why(=なぜ)がわかれば、どうにでも対処のしようがあるというのに、それがわからない、それに目を向けないがために問題がこじれてしまう、そういう事例の何と多いことでしょう。

しかし、それにはそれ相応の理由があります。それはWhen、Where、Who、What、Howの五つは私たちの目の前に現象として顕在化しているのに、Whyだけが目に見えないところに潜在化しているからです。多くの人が目の前にみえている現象、事実だけを見て、それが真実なのだと簡単に判断してしまう、多くのネガティヴ事象にはそうした構造があります。

「見破り力」とは、Why(=なぜ)に目を向けることによってのみ培われます。

ある子の授業中の立ち歩きがおさまらない。どうすればこの子が落ち着くんだろう。ある子の音読がたどたどしい。何かこの子がスラスラ読めるようになる指導法はないかしら。この子の問題行動がおさまらない。もう、他の子たちと引き離して反省を促すしかないんじゃないか。教師はいつもこんなことばかり考えています。これらはすべて、「どうすれば良いのか」という〈HOW思考〉です。

しかし、この子はなぜ授業中に立ち歩くのだろう。この子はなんでたどたどしい読み方しかできないのだろう。この子はどうして問題行動を繰り返すのだろう。そう発想を変えた途端に、この子とじっくり話してみようとか、保護者と一回じっくり相談してみようとか、この子の読み方をじっくり観察してみようとか、そうした手立てがみえてくるはずです。理由を知ろうとすれば、理由を解釈しようとしてみれば、それに従って様々な手立てが浮かんで来るものなのです。HOW(=どのように)という指導の手立ては、WHY(=なぜ)に対応することによって、はじめて生まれてくるものなのです。

〈HOW思考〉から〈WHY思考〉へ。それが「見破り力」を高めていく、たった一つの道なのです。

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