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もの書きの原点(2)

昨日、小学生の時に、担任の先生に褒められて、小学館のコンテストに入賞した話をしました。

次に褒めてもらったのはいつだろうと思い返すと、高校時代でした。男子校である我が母校に、何を間違ったか女性の大学生が教育実習でいらっしゃったのです。先生の授業は、誰も講義を聞かず大騒ぎ、気の弱い私などは、同情しておりました。先生も、野獣の群れのような学校に来たことを後悔なさっていたように思います。

名前も忘れてしまったその先生かからある時、「戸田君、読書感想文、よく書けてたね」と一言いただきました。私は、感謝の気持ちと共に、「あっ、読んでくれてたんだ」という驚きの気持ちの方が強かったと思います。学校は、いわゆる受験校で、作文の書き方の指導などありませんでした。読書感想文の入賞は、毎年F君と決まっていました。きっと彼は、親御さんか誰かから、文章を書くコツを教わっていたのだと思います(これこそ、学校でしっかり教えるべきことでしょう)無手勝流で書いた文だったし、どうして褒めてもらえたのか根拠もわかりませんでしたが、「褒める」効果は、50年以上も持続しているのですから、絶大です。子供の能力を伸ばすのは、偏に褒めることかもしれません。

次に褒めてもらったのは、留学時代です。1978年か1979年です。右も左も分からずの留学で、どんな科目を履修するかの方針も立たないまま、英語での作文(Composition)のクラスに入りました。今でも覚えていますが、茶色い髪、茶色の顎髭のダンディで、ゆっくり話す先生のクラスでした。周りは(おそらく)全員ネイティブスピーカーで、旗色は最初から悪かったのですが、最初に出した宿題が、「忘れられない思い出」だったか「忘れられない日」だったか、そんな課題だったと思います。回答は、タイトル写真にあるような"Blue Book"と呼ばれる青い表紙の20ページ程度の解答用冊子に書いて提出したと思います。(あるいは自分でタイプしたかもしれません)

そこで書いてのが、アメリカに着いたその日の空港での苦い思い出についてでした。先生のコメントは、「ここのある単語に対する重大な意味の誤解があるが、全体としては非常によく書けているものだ。これをこれから私が読むが、誰が書いたかは、申し訳ないがすぐわかるだろう」というものでした。このクラスで、A-をもらった作文はこれのみでしたが、自分の書く英語にある程度自信を持つことができました。(この思い出については、Noteで以前書きました)

次は、最初の就職先の最初の勤務地である銀行支店の副支店長でした。行内で発行されている社内誌に小文を載せたことがありました。それをその支店長が読んでいて「君、意外に文章うまいね」と。副支店長、「意外に」はないでしょうと思いましたが、自信にはなりました。

この副支店長、後に系列の不動産会社に転籍されて、そこで某スキャンダルに巻き込まれ、収監される身となられました。私が接していたその副支店長は、極めて高潔な印象ばかりで、とてもその報道があった時信じられませんでした。今でも、企業ポリティクスの犠牲になったのではと思っています。

次回が、この「もの書きの原点」の最終にしようと思いますが、いろいろな場面で、褒めてくれる人がいて、本当によかったと思います。彼らの言葉で、今の私があるとつくづく思います。


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