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ショートショート『再会』


僕には六つ歳上の兄さんがいた。
一般的には男兄弟はあまり仲が良くないイメージがあるかもしれないけど、僕たちは歳が離れているせいかそんな事はなく、兄弟喧嘩も一切なかった。
僕は兄さんの事を心から尊敬していた。頭が良くて、運動も出来て、爽やかで友達も多い。そして、何より兄さんは僕にとても優しかった。進路の事で親と言い合いになった時も間に入り味方をしてくれて、友達と喧嘩した時は朝まで一緒にゲームをしながら話を聞いてくれた。
僕は兄さんを心の支えにしていたし、兄さんもそんな僕を可愛がってくれていた。

ある日の宵の口、僕は兄さんの自転車を拝借してコンビニへ向かった。購入するものは決まっていた。今日発売の少年漫画誌とレモンティー。月曜の夜はレモンティーを片手に好きな漫画の最新話を読むのが僕の楽しみだった。
買うものは決まっているし、商品の陳列場所も把握している。入店して出てくるまで一分もかからない。だから、鍵はかけていなかった。早急に買い物を済ませ店の外へ出ると置かれているはずの場所に自転車がない。僅かな混乱と沈黙があってから状況を理解した。
兄さんの大切にしている自転車を盗まれた。僕のせいで。
その後、辺りを探したけれど見つからず、家に帰るや否や僕は兄さんに泣いて謝った。
「ごめん、兄さんの大事な自転車盗まれてしまいました」
兄さんは一瞬驚いた表情を見せてからいつもと変わらない温容で言った。
「近いうち買い替えようと思ってたから別にいいよ」
兄さんは僕に優しい。でも、いくら甘ったれな僕でもわかる、これは嘘だ。
兄さんはあの自転車を大学の通学に使っていたし、自分でバイトして買った思い入れのある自転車だった。兄さんはたまに僕に嘘をついた。それは僕を傷付けないための優しい嘘だった。
「それより明日も学校だろ?早く寝ろよ」
そう言って兄さんは自分の部屋に戻っていった。
翌日、僕は自転車のお詫びにミサンガをプレゼントした。
「昨日は本当にごめん」
「いいって言ってるだろ。わざわざこんなものまで」
「自転車は買えないから。でも、探すのを諦めたわけじゃないよ」
「もういいってば。でも、ありがとな」
兄さんは続けて手渡したミサンガを見つめながら
「じゃあ、これにはお前が見つけてくれるようにお願いしとくよ」
「うん」
「冗談だよ」
「必ず見つけるから」
兄さんはハハッと小さく笑い「待ってる」と言って黄緑色のミサンガを足首につけた。
いつも優しくて、冗談を言って笑ってくれる。そんな兄さんが僕は大好きだった。


僕が十六歳になった時、兄さんは突然姿を消した。


僕は大学を卒業して、小さな文房具メーカーのサラリーマンになった。企画開発部で考案された文具を営業して回る仕事。地味だけど体力のいる仕事だ。新入社員の僕たちはコネや繋がりがない。だから、地道に脚で頑張るしかないのだ。
営業先での取引が終わり外に出ると私用の携帯が鳴った。発信相手はタケルだ。
タケルは高校の同級生で同じ大学に進学した親友だ。高校一年の時に同じクラスになったのがきっかけで仲良くなった。タケルは割としっかり者でクラスのまとめ役としてもみんなから頼られていた。そんな彼には色んな相談に乗ってもらった。兄さんがいなくなった時も親身になって話を聞いてくれた。
僕はタケルにどこか兄さんの面影を重ねていたのかもしれない。
「もしもし、今時間大丈夫?」
「うん、まぁ少しなら。どうしたの?」
「さっき、お前のお兄さん見たよ」
頭を殴られたような衝撃が走った。兄さんがいなくなって六年の歳月が過ぎていた。その間も僕はずっと兄さんを探していたけれど、手がかりすら見付からなかった。父さんと母さんは何か知っているようだったけど決して教えてはくれなかった。僕は漠然と兄さんにはもう会えないのかもしれないと思い始めていた。
そんな矢先にまさかタケルから兄さんの情報を聞くなんて。
「どこで?!」
「待て待て、落ち着け。それっぽい人を見かけただけだよ」
「それでもいい!教えてくれ!」
タケルによると、兄さんらしき人は僕の会社からほど近いA公園にいるらしい。そして、どうやらその人はホームレスらしい。
「昔、お前がお兄さんの写真見せてくれただろ。髭とか生えてたけど、どこか面影あってさ」
「よく写真の兄さんの顔覚えてたな」
「写真のお兄さんって言うよりお前に似てたんだよ。それに他のホームレスの人が呼んでたんだよ。お前と同じ苗字で」

その日は会社を早退し、A公園へ向かった。タケルは「それっぽい人」という言い方をしていたけど、きっとその人は兄さんだ。そんな気がする。早く兄さんに会いたい。近くにいると思うと逸る気持ちが抑えられなくなっていく。少し落ち着こう。そうだ、兄さんが好きだったフィレオフィッシュバーガーを買っていこう。ホームレスになっている兄さんは、きっとお腹を空かしているはずだ。僕はもう二十歳も超えた社会人だ。ファーストフードくらいご馳走できるし、一緒にお酒だって飲める。明日は休みだから今までのことを朝まで語り合うことだってできる。家がないならしばらく一人暮らしの僕の部屋に泊まればいい。実家にはそれからゆっくり・・・でも、なんで兄さんは急にいなくなってしまったんだろう。
昼下がりの公園は人がまばらだった。犬を散歩させている人、学校が早く終わった小学生、仕事をサボって寝ている会社員。そして、段ボールで寝床を作っている方々。そこに兄さんもいた。公園の奥に進むと大きな噴水があった。周りは木で囲われ、風が吹き、緑のざわめきが聞こえる。
「兄さん!」
その声に気付き、薄汚れた白いTシャツでゴミ拾いをしていた男が振り向いた。
間違いない。兄さんだ。たしかに髭が生え髪も伸び放題で昔のような爽やかさはどこにもなかった。
「会いたかったよ兄さん、今まで何してたんだよ。急にいなくなって、どれだけ心配したと思っているんだ。兄さんが出て行って父さんにはもう兄さんの事は忘れろって言われたけど、僕はずっと探してたんだ。正直、何があったのかは知らない。だけど、僕はまた兄さんと仲良くご飯を食べたりお喋りがしたいよ。今だったらきっと父さんも母さんも笑って兄さんを迎え入れてくれるよ。一緒に帰ろう。兄さん」
思いが一気に溢れ出てきた。一通り言い終えると風になびく木々の音と水のせせらぎだけが聞こえてきた。ずいぶん長く感じたその沈黙は実際には5秒程度だったと思う。
「人違いだと思いますよ」
え?
「私一人っ子でして」
ん?
「弟とかいないですし」
人違い?一人っ子??弟がいない???
いやいや、そんなはずはない。あんなに大好きだった兄さんを間違えるはずがない。
「変な冗談はやめてくれよ!兄さん!」
その喚声は雲一つない青空に突き抜けていった。僕は兄さんに近寄り持っていた袋を渡す。中に入っているのは兄さんが好きだったフィレオフィッシュバーガーだ。
「さっき、兄さんの好きなフィレオフィッシュを買って来たんだ。お腹空いてると思ってね。それを食べながらゆっくり話しようよ」
兄さんは、僕の手渡した袋の中を確認して包み紙を取り出した。
「チーズバーガーなんですけど・・・」
え?ん?なんでチーズバーガー?店員の入れ間違いか?僕の買い間違いか?
そういえばフィレオフィッシュ三個買ったのにお会計がワンコインで済んだような・・・
「いや、フィレオフィッシュも入ってるでしょ」
「三個とも全部チーズバーガーです」
先ほどとは違う沈黙が二人を包む。こんな大事な時にポンコツを出してしまう自分が憎い。だけど、今はそんな失敗は些細な事でしかない。こうして兄さんと会えたのだから。
「兄さん」
「いや、お兄さんじゃないですよ」
「もうそんな嘘はやめてくれ。たしかに、あんなに優秀で人望もあった兄さんがこんなところでホームレスなんかになって、そんな姿を弟に見られて恥ずかしいのはわかるけど、僕はそんなこと何も気にしない!ホームレスになったって兄さんは世界でたった一人の僕の兄さんだよ!」
兄さんは少し言いにくそうにしながら、でもハッキリと言った。
「ホームレスじゃないです」
ホームレスじゃなかった。
「私はただボランティアで公園を清掃しているだけなんです」
僕が『兄さん』だと思って『フィレオフィッシュ』を渡した『ホームレス』は、『一人っ子』の『チーズバーガー』をもらった『ボランティア清掃員』だと主張している。これが本当なら僕は全てを間違えている。
「私こんな見た目ですし、間違えられることは良くあるんで気にしないで下さい。それに私に似てる人なんていくらでもいるでしょう。あなたまだ若いんだから、親父さん言う通りお兄さんの事はもう忘れてあなたの人生楽しみなよ。お兄さんもきっとそれを望んでいると思うよ?」
至極真っ当なアドバイスをすると男は何事もなかったかのようにまたゴミ拾いを始めた。
「すすすすいませんでした!!」
僕は深々と頭を下げて、踵を返し来た道を戻った。公園を出るまで男の方を振り返ることはできなかった。
家への帰り道、僕はさっきの男と兄さんのことを思い出していた。
記憶の中の姿からは多少変わっていたけれど、僕はあの男を兄さんだと確信した。でも、証拠は無い。本人も否定していたし、僕の勇み足だった可能性もある。そして、最後に頭を下げた時に見たあの人の足首には何も付いていなかった。自転車のお詫びに僕があげたあの黄緑色のミサンガはそこにはなかった。だから証拠は何も無い。
だけど、あの人が最後に言っていた言葉が僕には妙にシックリきていた。別に特別な言葉じゃない。でも、弟に優しい兄さんならああやって言うに違いない。
きっと最後の言葉だけが兄さんの本当で、それ以外は嘘だろう。兄さんの優しい嘘。
そう思いながら、帰路を歩いた。

「兄さん、変わらないな」


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