映画評 レビュー「ピータールー」マイク・リー監督2019年公開 2024年1月10日

この作品は1819年8月16日にイギリス、マンチェスターのピータールーで起こった事件を忘れないための記念碑的作品である。故に芸術作品を意図していないと思う。

また、存在して当たり前の、空気のように感じている市民の権利がどのような歴史的過程を経て獲得されたか、の教育的役割を果たすことも意識している。

ピータールーの事件については

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA

簡単に言えば、労働者やその家族が選挙権の拡大、労働環境の改善、小麦の値下げを求めて、平和裏に7万人前後が市の中心の広場で集会を開いてたところに、騎兵隊が割って入り、混乱の中でサーベルを抜いて武力行使が始まり、記録では18人の死者と400~700人の負傷者を出した。

この映画を観るためにはいくつかの前提が必要だと思う。
1 労働者権利の歴史の知識
2 選挙権獲得の歴史の知識

これらの権利を先導してきたイギリスでは多くの人が共有している常識だと思うが、日本ではこれらの権利の獲得過程が共有されていない。名誉革命、ってなんだっけ、である。私もそうであった。なのでざっと調べてみた。

選挙権については

• 1215年 「マグナカルタ」  イギリス国王の権利に貴族が初めて明文化された制限をかけた。具体的には、戦争を目的とした課税の制限で、この権利を獲得したのは高位聖職者・地方領主・バロン(地主)だけである。

• 1642~1649年 「清教徒革命」  国王のいない共和制(Commonwealth)に移行(1660年に終わる)した。議会の中心的メンバーは軍関係者で、選挙権を持っていたのは貴族、一部の富裕層だった。

• 1688年 「名誉革命」  1688年に「権利の章典」を制定し、立憲君主制を確立。議会は貴族からなる貴族院と、庶民によって選ばれる庶民の代表からなる庶民院(House of Commoms)からなり、選挙権を持つ庶民とは、地主や富裕層の男性である。

• 1832年「 第一次選挙法改革」  1 人口に比例した選挙区の再編 2 選挙権の拡大。  商業、製造業で成功した富裕な男性住民も選挙権を獲得。

•  1918年「 第4次選挙法改革」  21歳以上のすべての男性と資産制限のついた30歳以上の女性。

• 1928年   21歳以上の全ての男女。

労働者の権利については

家内制手工業から工場制手工業、さらに工場制機械工業へと生産方法の発展が進み、この映画では、当時最先端の蒸気の力を利用した紡績機が整然と工場に並んで稼働している場面がある。これが今に続く工場制機械工業のあけぼのか、と、私は少し感動した。機械の前に一人の男が立って、たぶん糸が絡まないようにだろう、繰り糸を手で補助している。

この工場の出現で、世に有名な劣悪な労働環境が生まれた。
労働時間は週に60時間以上、ときに80時間以上も珍しくなかったようだ。工場内の換気も悪かった。
賃金も生活が維持できないほど低く、女、子供は更に低かった。

• 「産業革命」   18世紀後半から始まる。蒸気の力を利用した紡績機の発明により工場制機械工業が始まり、エンクロージャーで農地を失った農民が労働者として長時間、低賃金で働く。工場を所有するが、地主ではない資本家の出現。

• 結社法1799(Combination Act 1799)。労働者がストライキをして要求を通すことを阻止するため、賃金や労働時間を改善することを目的に2人以上の労働者が集まることを禁止している。

• 結社法1825(Combination of Workmen Act1825)は、労働組合自体は一部認めたが、労使交渉をすることを禁じ、工場封鎖や、他の労働者に働かないように呼び掛けてのストライキを禁止した。

以下、私の感想

つまり1819年とはそのような年だったのである。

そのような、とは、庶民院の選挙権は、ピータールーに集まった誰一人持っていなかっただろうし、映画でも言及されていたように、労働者が多く集住してきたマンチェスターのあるランカシャーは人口に対する議員の割合が少なかった。100万人で2人である。
工場労働者の男女・こどもは、ストはもちろん組合を作って労働条件の改善を求めることもできなかった。つまり工場経営者のいいなりの労働時間と賃金だったのだろう。

そのような時に、平日に集会を開いたのである。実質その日は工場の稼働はできなかっただろう。工場主の怒りは如何ばかりであっただろうか。映画では「誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ」という言葉を吐かせている。

ピータールーの事件で死者数が異常に少ないのは、報復を恐れて公言する人が少なかったからのようだ。
死亡や怪我を名乗り出ると、その家族も工場を解雇される恐れがあったので、口をつぐみ、記録に残らなかったようである。
死者の中には、特別巡査(special constable)がいるが、参加した報復として翌日に暴徒に殴り殺されている。立場としては、集会を制圧する側だったのだろう。もしかすると私の解釈が逆で、暴徒となった労働者に、恨みを買った武力行使者が殴り殺された、ということかもしれない。

私はこの映画を観ながら、最後にテロップで「この後、選挙権の拡大と労働者の待遇は改善された」と流れるんだろうな、と思っていたが、最後はナポレオン戦争の最後の戦(ワーテルローの戦い1815年)に参加した少年の埋葬で終わった。記録では9月9日に死んでいる。事件から3週間ほどたっている。

あれっ、それじゃ救いがないな、と思い、ネットで調べてみると、選挙権も労働者の法律も何も変わっていないのである。選挙権の拡大は1832年まで待たなければならないが、そこでも労働者階級は対象になっていない。労働者の法律は1825年に変わったが、労使交渉もストも認められていない。
現実は救いが無いのである。

1642年から始まる清教徒革命では、王政を廃止し、共和制を導入したが、クロムウェルの独裁を通過して、1660年に王政復古に戻った。
1789年のフランス革命からナポレオン戦争に続いた、王権の廃止と封建貴族の特権の廃止そして人権宣言と、人権が大きく進展した時期があったが、1815年のウィーン体制によって政治的には振り出しに戻された。

だから清教徒革命やフランス革命が無駄であった、とは言えないだろう。そこで死んだ人は意味が無かった、とも言えないと思う。ピータールーの事件も同じだ。これらの事件があったから、その後の対立では、敵、味方ともこれらの事件を参照して行動したはずである。影響を与えなかったはずがない。


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