映画評 レビュー「エレニの旅」テオ・アンゲロプロス監督 2004年公開 2024年5月27日

この映画が私の観る同監督の年代的に最後の作品になる。1970年公開の「再現」から始まってここまで来てしまった。2004年の監督はどこまで辿り着いたのだろうか。

この監督には2008年公開「エレニの帰郷」という作品があるが今のところ見る予定はない。

テオ・アンゲロプロス監督は2012年、映画撮影期間、道路横断中に単車ではねられ、病院で亡くなった。享年76歳。

この映画は現代ギリシャ3部作の第一部として撮影された。

凡そのあらすじ

https://zilge.blogspot.com/2010/08/04.html?m=1

ひとりの女エレニの人生を通してギリシャの現代史を表現した。

私の感想

エレニは時代に翻弄されて生きる。1917年のロシア革命の影響を受けてロシアから逃げ、祖国ギリシャに戻ったときの1919年からギリシャ内戦の1949年あたりまでを描く。しかしそれぞれの時代の表現は、お手軽なシンボルの羅列で構成されている。結果、表現されたのは、ギリシャはこんな時代を歩みましたよ、という時代の移り変わりの因果関係の分からない現代史と、絵に描いたような悲しい人生を生きたひとりの女である。

監督は何を表現したかったのだろう。

1 時代に翻弄されたひとりの人間としての主人公。
2 主人公の人生を描くことによって時代を浮かび上がらせる。

この映画は関係が描かれていないと思う。ただただ外的要因によって主人公が翻弄されている。物語の展開が常に外部からもたらされている。人間関係の中で、にっちもさっちも行かなくなって決断をしてしまう、と言うような展開がない。とても安直な物語の展開だと思う。外的要因はいくらでも作者が作れるからである。もし人間を表現したければ、このようなストーリーを作らないだろう。
故に監督の主題は、人ではなく、ギリシャという国だと思う。

監督はついに人を主題にそえれなかった。「永遠と一日」で、関係に軸足を移すか、と思ったが、国としてのギリシャにこだわり続けた。そこには1935年生まれの監督が、思春期にギリシャ内戦を経験し、国家や国民という概念に敏感にならざるを得なかった事情もあるだろう。内戦後も、共産圏に亡命した兵士や、そして共産圏に幻滅して帰還した元兵士の存在も、弱者に寄り添う気質の監督に影響したと思う。

この映画が作られた2004年と言えば、コミュニティーの大切さが意識されて久しい。にもかかわらずギリシャという国家にこだわり続けた監督の現代ギリシャへの失望の深さを感じる。

映像は相変わらず荘厳で、美しい。


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