二つのことを同時にする 会話をするということ

1 自転車に乗りながら鼻歌を歌うことは多くの人がやっていることだろう。それぞれの行動で使う脳の部位が違うから可能なのだろう。
2 音楽を聴きながら勉強する。これもかなり多くの人がやっていることだろう。
3 目の前の人とお喋りをしながら携帯を操作する。若い人がやっているのをよく見かける。

私のことについていえば、1は問題なくできるのだけれど、2は全くできない。3については、想像もできない。
他にも食事をしながらお喋りすることも苦痛である。食べた気がしないのだ。
つまり私は二つのことを同時にするのがとても苦手である。

話は変わるが、私は何でもないお喋りは出来るのだが、議論するとか、皆の前で話すとか、記憶をたぐって話をすることがほぼ出来ない。頭の中が空っぽになるのだ。緊張するからだ、と思っていたが、先日、娘と会話をしていて、やはり頭の中が空っぽになって、考えて話すことが出来ないことに気が付いた。

その理由を考えると、以下の可能性があると思う。

実はお喋りすることも、二つのことを同時にしているのではないか。一つはもちろん会話をすることだが、もう一つは相手の反応を見ることである。相手の表情や、声の調子、体の動かし方などを注視してこちらの態度を決めているのだ。
目の前の身体性のほうがより存在感が大きいので、そちらに気に取られて会話自体が出来なくなっているのではないか。

お喋りの起源はグルーミングなので、感情のやり取りが気になるのはもっともなことだと思う。

以上、会話する、という簡単な行為が、実は二つのことの同時進行である、という可能性があると思う。
であるとしたら、それぞれの起源が別々の可能性があると思う。つまり内容のやり取りと、感情のやり取りと。というか、そりゃ別々でしょ。むしろその別々のことが、全く違和感を感じないほど、一つの行為として認識されてることが驚きなのだと思う。

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