エッセイ グアテマラの出稼ぎ労働者 文化と誇り 2023年1月

数年前、中米を旅行した。グアテマラにいるとき、先住民の村を訪ねたことがある。場所はメキシコ国境近くのSan Juan Atitan という小さな村である。中米の先住民の村は伝統的価値を今でも強く維持している。
私がこの村を歩いていると、通学の子供達は可能な限り大回りをして通り抜けていく。これほど明確に避けられたのは初めてだった。さすがに大人たちはそうでもなかったが、女の人は避けて通る人が多かった。よそ者は悪霊を連れてくる、と言うような理由だった。
そもそも私がこの村を選んだのは、10年程前に日本人旅行者が撲殺されて、有名だったからである。
私がネットで調べた限りだと、当時村の人々の間で、近々悪霊が村にやって来る、と言うようなうわさが流れ、たまたま来たのがその旅行者だった、という話だった。

村に看板を掲げている宿屋は一軒も無く、事前情報で存在することは確実だったので、人に聞いて回ってようやく探し当てた。シャワーは経営者家族の家のシャワーを使わせてもらった。

で、ここでの話題は出稼ぎ労働者である。村の中心広場に面して教会や学校が建っていて、同じ並びに飯屋が何軒かあった。食事はいつもそこで食べていた。特に質素というわけでもなく、代表的な料理は用意してあった。
ある日の夜、いつものように食事をしていると、正装の民族衣装を着た若者と普段着の父親が入ってきた。食事が終わった後、少しお喋りをした。
聞けば若者はこれからメキシコに出稼ぎに行くという。主に父親が喋って、若者は非常に緊張した面持ちで、口数が少なかった。私にはまだ子供のように映った。父親は、息子が立派に育って誇らしい、と繰り返し言っていた。
今宵最後の別れを惜しむ、という印象である。地元の人たちにとって、この店はそういう使われ方をする店なのだ。今夜出発するということだったので、夜のうちにメキシコの国境を密入国するのだろう。
親族の絆の強いところなのに、2人だけだったのは、ここから更に奥地からやって来たのだと思う。
後から思えば、メキシコではなくたぶんアメリカだろう。なぜそこで嘘をついたのか分からないが。

私が彼らに接して強い印象を受けたのは、その服装である。この格好でメキシコに行けば、間違いなく馬鹿にされるだろう。そのことを知らないとは考えられないから、そんなことよりも晴れの門出にふさわしい服装を重視したということだ。自分たちの文化を心から誇りに思う気持ちがあるのだ。それは間違いなく幸せなことだと思う。
もしアメリカに行くのなら、アメリカの国境まで1週間はかかるだろう。もちろん宿には泊まれないだろうから、服は汚れ放題なはずである。

話は変わるが、30年ほど前にタイの東北地方の農村でホームステイしたことがある。母親の健康がすぐれなかったので、私より1つ若い息子と3人で町の病院に行ったことがあった。診察室に入ると、母は医者に向かってごく自然にクメール語で症状を話し始めた。医者が困って息子のほうを見たが、息子も恥ずかしそうに苦笑いをしたが、母の話を止めなかった。ついに母に遠慮がちに、タイ語じゃないと分からないよ、と言ったが、全く動じることなくクメール語で続けた。

タイとカンボジアとラオスは歴史的に国境が何度も移動し、そのたびに住民はそこに取り残された。今の国境はもっともタイが勢いがあった時のものなので、国内にクメール人やラオス人の集落を取り込んでいる。私が滞在した農村もそのひとつだった。なので村落内では今でもすべてクメール語で話していた。学校は別だったが。

で、私は母の姿に感動したのである。そして、こう言うふうにありたいものだ、と思ったのである。
母はそういうことが出来る最後の世代だったと思う。息子と街に買い物に行くことがあったが、たぶんクメール語訛りのタイ語なのだろう、店員と喋るときは恥ずかしそうにしていた。

食堂で出会った正装の若者

村の民家  多くはトタン屋根である

車道のないところに家が点在している。そこで調達できない建材は車道から人が運んで来た
例えば木材やトタン。壁用の日干し煉瓦はそこで造るのだろう。
手前に写っているのはトウモロコシ。先住民にとって無くてはならない特別の食べ物である。

写真は以下のサイトで見れます


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