映画評 レビュー「蜂の旅人」テオ・アンゲロプロス監督1986年公開 2024年4月1日

養蜂家の初老の男が家族を捨ててひとり蜜取りの旅に出る話である。道中、昔の友達を病院に見舞ったり、家出をした長女の店を訪ねたり、無人の実家に立ち寄ったり、若い娘と出会ったり。
幾つかキーワードになる言葉がある。ミツバチの分蜂で、「新しい女王は巣を飛び立って大空を飛びながらオス蜂と交尾をする」。若い娘が、「私を飛び立たせて」と男に言う。

娘を飛び立たせられなかった男は、人生に見切りをつけ、蜂箱をひっくり返し、ミツバチに刺されながら倒れて死んでいく。

映画には、この監督の今までの主題である、反体制、親共産、ギリシャ愛国のどれもがない。

まず始めに言ってしまうと、私はこの映画が全く不明であった。なぜ妻と別れたのか。別れた後に、なぜ妻のところに戻ったのか。若い娘にうんざりしたのに、なぜカフェに車を突っ込んでまで娘に会いに行ったのか。蜂に襲われて倒れた時、なぜ地面をタップしたのか。ハチに襲われて死んでいくラストも、あまりにも唐突過ぎて「なんじゃこりゃ」感に包まれてしまった。置いてけぼりを食らったのである。

もし男が娘と出会っていなければ、物語はどのように展開したのだろうか。もともと家族と縁を切った時点で、破滅の雰囲気が漂っている。旅の途中の他愛もない小さなことをきっかけに、同じような結末に至ったような気がする。だとしたら、男の結末は予定調和だった。これを衰退するギリシャのメタファと取れなくもないが、ギリシャは老人に擬せられるような存在なのだろうか。だとしたらかつて青年の時期があったということになるが、それはいつのことだろう。まさか古代ギリシャではないだろう。ただただ力の衰えた存在の例えかもしれないが。だとしたら、アメリカンポップ音楽でダンスを踊る若い娘は何のメタファだろう。
つまり、この男から、衰退していくギリシャを読み取るのはかなり無理があると私は思う。

若い娘は自分を傷つけながら今を生きているように見えるが、「シテール島への船出」(1984年公開)の「生きている実感が持てない」姉ヴォーラの少女時代かも知れない。

監督は何かをメタファとして伝えたかったのかも知れないが、私には伝わらなかった。思わせ振りな言葉や表現がちりばめられてあるが、実は思わせ振りだけがあって、何も考えていないのでは、と疑ってしまう。

1980年代前半のギリシャは1〜2パーセントのGDP成長率で、とても景気が良いとは言えないが、それでも安定成長を続けて社会が変わっていったのだろう。社会共通の不満が遠ざかり、アンゲロプロス監督もその対象を失っているように見える。

追記

古くからの友達で、廃業した映画館の支配人を演じたディノス・イリオプロスは1913年エジプト生まれフランス育ち、1935年にギリシャに移住、31歳で初ステージ、35歳で初映画出演を果たしている。50歳の1963年には自身でアテネに劇場を設立した。その後その経営に苦労したようである。Wikipediaによると、ギリシャで最も人気のあった俳優の一人である。生涯70本以上の映画に出演し、そのほとんどが主演だった。2001年87歳で亡くなっている。

病人を演じたセルジュ・レッジャーニは1922年のイタリア生まれ、子供の頃家族でフランスに移住した。第2次大戦中、反ナチスのレジスタンス運動に参加している。43歳の時、歌も歌い始め、シャンソン歌手としてより成功したようである。また反体制派として若者に認知され、1968年の学生運動にも積極的に関わった。1980年息子の死をきっかけにして、鬱とアルコール依存症になった。つまりこの映画の撮影時は実際に状態が悪かった。映画では極上の酒を飲んでいたが、あれは酒ではなかったのかも知れない。晩年は絵も描いていたようである。2004年82歳で死亡。


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