〔余白の創造性〕マスク美人について

余白の創造性連載第三十二回目のテーマは

”マスク美人について”

恐らくこの言葉自体はずっと以前からあったとは思いますが、
パンデミックによってマスクを着用しての生活が日常になったことで、この言葉もより浸透したように思います。
先日、電車に乗っていた際に、近くにいた男子大学生のグループの一人が、この前可愛いと思ってデートした女の子がいざマスクを外すと思っていたほどではなくてがっかりしたという話をしていて、これはまさに余白の創造性によるものだなあと一人マスクの下で笑ってしまいました。
マスク美人というものほど余白の創造性の影響を受けているものはないでしょう。

そもそもマスク美人というのは、
もちろん女性に限らずですが、マスクを着用しているほうが、していないよりもより魅力的な容姿に見えるというものです。
これがどのような理由で起きていることなのかは様々考えられます。
例えば、外見の評価において目元が最も重要なファクターであること。
それとも、マスクによってできた余白の部分を、想像で補完する際、無意識のうちにより理想に近い顔にしてしまうということ。
もしかすると、人間の想像力というのは僕らが思っているよりも都合良く働いてしまうものなのかもしれません。
いずれにせよ、他者に対して比較的期待を持った、ポジティブな想像をする傾向にあるのかもしれません。

しかし、これだけではどうして”マスクをしている顔”により魅力を感じているのかに関しては言及できません。
では、”マスクをしている顔”がより魅力的に見えるのはなぜなのか。

それは、顔の半分が隠れている状態、つまりは”分からない”部分があることに魅力を感じているのではないでしょうか。

”分からない”ということは、その部分に対しての思考や想像が完結しないということです。
僕らは常に知的好奇心に支配されている生き物です。
マスクをしている顔によって与えられるいつまでも完結しない、知的好奇心をくすぐられ続ける、その状態に惹かれているのかもしれません。

マスクを外して顔全体が明らかになり、それが思っていたほど美人ではなかったことに落胆するのではなく、
”分かってしまった”こと、想像が完結してしまったことへの寂しさみたいなものが”マスク美人”という現象の正体なのではないでしょうか。


今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

今回のテーマは某ウイルスの世界的な大流行とともに目にする機会の増えた言葉でした。

来週のテーマは

”共感というもの”

それではまた来週の金曜日に。

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