〔余白の創造性〕好きな食べ物は何ですか?

連載第一回目のテーマは


”好きな食べ物は何ですか?”


僕もこれまでの人生で数え切れないほどこの質問に遭遇してきました。
きっと読者の皆さんも何度もこの質問に答えてきたことでしょう。

そんな”好きな食べ物は何ですか?”という質問、
かなり多くの余白が潜んでいます。


ところで、皆さんはこの質問に毎回同じように答えていますか?

僕は最近では同じものを答えていますが、
以前は毎回違うものを答えていました。
そして、これから先も同じものを答えるかは分かりません。

では”好きな食べ物は何ですか?”の余白の創造性を考えていきましょう。


まず、大まかにハンバーグやカレーのように料理名を答えるのか、それともカボチャやナスのように食材の名前なのか。もしくは、中華やイタリアンのようにジャンルを答える人もいます。
一番好きなものを答える人もいれば、決して一番というわけではないものを答える人もいます。
それどころか、今晩食べたいものを答える人だっているかもしれません。


それらに共通している選ぶ基準というのは、味、育った環境、記憶、あとは年齢なんかも関係があるかもしれません。
実際に僕も大人になってから好きになった食べ物もあります。

そういうわけで前編では味による余白を、
後編では環境や記憶など直接食べることではない部分の余白を考えていきます。



では、まず余白を考える前に、そもそも味覚とは何かを確認しましょう。

味覚にも光の三原色のように五つの基本味と呼ばれる五味というものがあるそうです。

甘味・塩味・酸味・苦味・うま味

この五つのほかに辛味や渋味などもありますが、五味の定義としては味蕾を構成する味細胞によって受容されるものを指すそうで、辛味や渋味なども広義では味覚ですが、五味とはまた違う感覚のようです。


では、味覚が好きな食べ物を考えるときにどれほどの余白を作り出すでしょうか。


甘味はスイーツや果物、カボチャやサツマイモの甘い野菜など、

スイーツでは大抵の場合砂糖の甘さ、果物は果糖やショ糖、甘い野菜は主にデンプンによるもの。同じ甘味でも感じ方は少しずつ違います。

甘いものが好きと答える人でも、果物は好きだけれどケーキやチョコレートなどはあまり好きではないという人もいますし、ケーキなどは好きでも野菜が甘いのは許せないという人もいます。

甘いものが好きと答えてもかなり多くの余白が残っていますね。

ただ、共通して言えることは、甘いものが好きな人はその”甘さ”が好きなのです。


どういうことかというと、塩味に関してはその塩味が好きだと答える人は稀で、というよりも大体の料理に塩味が含まれています。

調味料と呼ばれるだけあって、大抵の場合味を調えるために塩が使われているからです。

つまり、少し強引ではありますが”塩味”によって好きな食べ物を答えている人はいないと言えるかもしれません。

ただ、塩味に残された余白としては、塩ラーメンやしおあじのポテトチップスのように、塩で味付けされたものの場合です。
しかし、それも“好きな食べ物”というのではなく、”ラーメンで好きな味”や”好きなポテトチップスの味”として答えることが多いと思います。やはり好きな食べ物を聞かれたときには少し稀な答えかもしれません。


一方で、辛味は五味に含まれないと前述しましたが、塩味よりもむしろ好きな食べ物を考えるときの重要なファクターになっているように思います。

辛味も甘味と同様にその”辛さ”が好きですよね。
僕は辛いものが特に好きということはありませんが、たまにどうしても辛いものが食べたくなるときがあったりします。
何でしょう、一種の中毒のようにも感じるような衝動に駆られるときがあるのです。
きっと僕と同じような経験をしたことがある方もいるのではないでしょうか。
そして、辛味と同様に酸味や苦味もその”酸っぱさ”や”苦さ”が好きな理由になっていると思います。


さて、もう一つの”うま味”に関してはどうでしょうか?

そもそも”うま味”というのはグルタミン酸やイノシン酸、グアニル酸を受容することで感じるものです。
僕は勝手に、何というか料理を食べたときに奥の方にいる、
例えるなら知ってはいるけれど名前が出てこない、喉元まで出かかっていて分からないもののような、そういうもののように感じています。

食材でいうと、昆布や鰹節などいわゆる”ダシ”に使っているもののイメージが強いと思いますが、
実は他にもチーズやトマト、醤油、味噌、タマネギ、牛や鳥や豚などのお肉にしいたけなど様々なものに”うま味”が含まれています。

一見すると、塩味と同じようにそれ自体が好きな要因というわけではないように思えますが、
僕は”うま味”は十分に好きな食べ物として選ぶ理由になっているように思います。

もちろん”うま味”自体を鮮明に感じていて、
それが好きということではないと思います。

しかし、それぞれの食材自体を好きな食べ物として選ぶ人は一定数います。

例えば、チーズやトマトが好きだからピザやパスタどのイタリアンが好きな人。
肉料理が好きな人。
和食が好きと答える人はまさにダシや醤油、味噌など和食ならではの味が好きな人だと言えます。

つまり、うま味も塩味同様その味自体が好きというわけでは無いかもしれませんが、
甘味や辛味などのように”うま味”が好きの要因になっていると十分に考えられます。



さて、ここまで簡単にですが味覚について身体で感じる味の視点から考えてきました。
味覚はその味自体では”好きな食べ物“を考えるときにほとんど余白がないように思います。


ここまで考えてきた味覚はどれも僕らの身体が受容しているだけのものです。

この味覚によって”美味しい”と感じたり、
そうでは無かったりするけれど、
それは”好き”を選ぶ理由としては不十分ではないでしょうか。
きっと受動的な感覚ではなく、能動的な感覚の中に創造性というのは生まれるのかもしれません。



僕は味を感じた先、その後に抱く感情に余白の創造性が潜んでいるように思います。


味覚に対して抱く感情というのは、
和食など出汁が重要な料理、つまり“うま味”を感じる料理には”優しい味”と感じたり、
甘味は何となく可愛い印象だったり、何かのご褒美のような印象もあります。
辛味は刺激で発汗して健康に良さそうな印象がありますし、苦味はまさに良薬口に苦しと言うように、苦いというだけで身体に効いているように感じますよね。



このように味覚はただその味をそのまま受容するだけではなく、

味に対しての各々の記憶が作用し、
感情を味わっているのかもしれません。

それならば、“好き”と感じる食べ物とは何でしょうか。
それはどこで味わう食べ物なのでしょう。


結論としては、味覚身体はその物質を受容して感じているもので、それほど余白があるものではないように思います。


舌で受容する味覚で”美味しい”と感じるのも、”美味しくない”と感じるのも、どちらもあくまで身体の生存本能なのかもしれません。

身体の機能を維持するために必要なものを”美味しい”と感じ、

身体に悪いものには”美味しくない”と感じる。

疲れたときは甘いものが欲しくなったり、子どもが苦味を嫌うのも間違えて毒を摂取しないためだったり、酸味に対して強い刺激を感じるのも腐ったものを食べないためなど、

このように舌で感じる味というのは身体を健康に保つために食べ物を選ぶ基準なのではないかと思います。



好きな食べ物を考えるときには、それよりも味を感じることで生まれる感情や、残る記憶の方にこそ余白の創造性は潜んでいるのでしょう。



きっと、僕らは味を舌で感じるだけではなく、


心で味わっています。


むしろ、心で感じる味の方がより多彩で、複雑で、僕らを満たすモノではないでしょうか。



例えば、”おふくろの味”

これはまさに舌ではなく心で味わっているものではないでしょうか。

”おふくろの味”は、味覚とは全く別のもので、むしろ味は関係無いものかもしれません。

母親の得意料理だったり、

同じ料理でも少し普通の味付けとは違ったり、そればかりか入っている具材まで違ったり。

そういうものが”おふくろの味”というものでしょう。

それはきっと懐かしさを、

懐かしい記憶を味わっているのです。

それは一人一人違う味で、

言葉では説明できないもので、

もしかすると他の人からすれば何てことはないものかもしれません。

それでも、その懐かしさというのは他のどんな美味しい食べ物よりも特別なものです。


身体が感じる”美味しい”と、
心が感じる”美味しい”は全く別の味覚なのかもしれません。


僕もカナダに住んでいた頃に、日本では食べたことのなかった様々な料理を食べました。

プーティンというフライドポテトにチーズとグレイビーソースをのせたものや、色々な味のチキンウィングス、フィッシュアンドチップスにお気に入りのカフェのチーズケーキ。

もちろん全部美味しかったですし、今でも食べたくなるときがあります。


それでもカナダに居た頃に食べた料理で一番好きなものを聞かれたときに迷わず答えるのは、

友人のエヴァンのお母さんが作ってくれたサーモンを焼いた料理です。

料理名も分からないし、それを食べたのはたった一回だけです。

でも、間違いなくその料理が一番好きです。


それはきっと、僕が彼と過ごした日々だったり、そのディナーの席で彼の家族と交わした会話だったり、家のぬくもりだったり、

そういう心で感じる味が好きだからです。


料理には、それを作るために使った材料だけではなく、人の想いや、記憶が溶け込んでいて、

そういうものを僕らは心で味わっているのです。

その味は身体が感じるものより、もっと鮮明で、深く、広く浸透していくようなものなのでしょう。


そして、その味は僕らを一瞬の内に懐かしい場所に、時間に、記憶に連れていってくれるもので、


食事をするとき、僕らはその心の旅を楽しんでいるのではないでしょうか。


”好きな食べ物”というのは

お気に入りの旅先なのかもしれません。


だから、僕は”好きな食べ物”を聞かれたときに

エヴァンのお母さんが焼いてくれたサーモンと答えています。

そこは僕の一番お気に入りの場所だから。


皆さんの好きな食べ物は何ですか?



さて、最後まで読んでいただきありがとうございます。

いかがだったでしょうか?

今回は“好きな食べ物は何ですか?という質問の余白の創造性を考えました。あくまでもこれは僕にとっての余白で、皆さんにとっても様々な余白があることでしょう。

一つだけ大事なことは、余白に正解や不正解は無いということです。それは余白で、何も書かれていないところなので、もちろんその解釈も様々で答えはありません。

その余白が持つ創造性というのは自由なのです。

そして、次回のテーマは

”雨の日の憂鬱”

何となく雨の日は憂鬱な気持ちになるという人が多いですよね。

それが”雨の日”が持つ余白の創造性によるものかもしれません。

それでは、また来週の金曜日に。


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