〔余白の創造性〕波というもの

余白の創造性連載第三十八回目のテーマは

”波というもの”

波とはなんでしょうか。

海で目にする波というものは、風や振動などによって水面に生じる運動と説明されていました。
何というか少し堅苦しいですね。
視覚的には海岸に打ち寄せている波が分かりやすく波ですが、恐らく海岸に限らず、沖の方でも水面がゆらゆらと揺れている状態は波が立っている状態なのでしょう。

今回このテーマを選んだ理由は、
僕らは常に”波”に支配されているのではないかと考えたからです。
海は常に波立っているということであれば、地球の表面の約七割は海で覆われていますから、これは波に支配されていると言っても過言ではないのかもしれません。
どうも支配というと少し大げさに聞こえますが、
僕らも日常のなかで波になぞらえた表現を数多くしています。

例えば、多くの人がやってくる様子を”人が波のように押し寄せる”とか
”調子に波がある”、また”山あり谷あり”というのも波があるということと同義だと思います。
まとまって押し寄せる様だったり、
高くなったり、低くなったりして絶えず変動する状態のものを”波”で形容しています。

特に、僕らの感情や調子、大きいところで言えば人生に関しても、
浮き沈みがあることを”波”で表現します。
波もまた余白の大きく広がったものなのでしょう。

波というのは振動や風など外的要因によって生まれるものだと前述しました。
では、波のように変動する僕らの感情や人生にも外的要因によって波が起きているのでしょうか。
答えはそうではないとも言えるし、そうだとも言えるかもしれません。
釈然としませんが、感情や人生は外的要因のみで波立っているわけではありませんし、はたまたそれによってひどく動かされることも事実です。
どちらかといえば、感情は受動的な現象ですから外的要因が大半を占めているように思います。

感情が波立つとき、実際の波が風や振動の大きさに比例するように、
外的刺激の内容や大小によって、心の水面の揺らぎは変化します。
心というものを僕らのなかの海に例えるならば、
それは僕らの内側のほとんどの部分を占めていて、
そして、その海もまた絶えず波が揺らいでいます。
僕らも”波”に支配されていると言えるかもしれません。

波というものは高くなったり、低くなったりを繰り返しているものです。
僕らの心も絶えず様々な感情に揺られ、激しく荒い波が立っていたり、穏やかに柔らかくほとんど凪いでいたり、そんなことを繰り返して生きています。
波はどんなに高く上がろうとも必ず一番低いところに、フラットなところに戻っていきます。
それは、消えやすく、儚いもの。
ひどく心を揺さぶられ感情が波立つとき、その要因が悪いことにしろ、良いことだとしても最後にはゆっくりと泡沫になり消えていくのです。

高い波は恐いかもしれません。
それでもその高い波のなかでしか感じられないこともあります。
浜辺で楽しむならば穏やかな海が良いでしょう。
しかし、そこからヨットで遠くへ漕ぎ出すならば、
海が凪いでいては前に進むのに苦労します。
ときには激しく波立つ人生を楽しみたいものですね。


今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

僕はサーフィンはほとんど経験が無いのですが、
サーファーが波に乗っているところを見て今回のテーマが思い浮かびました。
彼らのように気持ち良く波に乗れると良いですよね。

来週のテーマは

”自分について”

それではまた来週の金曜日に。

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