〔余白の創造性〕魔法というもの

余白の創造性連載第三十一回目のテーマは

”魔法というもの”

魔法というものは誰もが何となく想像できるものだと思います。
しかし、それは映画の中のものであったり、いわゆるファンタジーであって、実際にこの世界に魔法というものが存在していると考えている人は少ないでしょう。

しかし、歴史を辿っていくと魔法しかり、魔術や呪術、占術に祈祷など様々なかたちで魔法というものが人間の生活に浸透していたそうです。
現在においても、占いなんかは多くの人が丸っきり信じているわけではなくとも、何かをするときや、その日一日過ごす上での指標のように活用している人は多くいますね。
僕も今年の元日は明治神宮に初詣に行き、おみくじを引いてきました。
ここでも神様に今年の抱負をお話ししてきて、見守っていて欲しいとお祈りをしてきましたし、おみくじの内容に関しても今年一年何か行動をするときの指針になっていくものだと思います。

魔法という言葉を辞書で調べてみると、神秘的で超常的な力または行為とありました。
これを分かりやすい言葉で解釈すると、
僕らの理解の及ばないことや、想像もできないようなことを魔法と呼ぶのではないでしょうか。
現在では魔法という言葉はその存在を表す名詞としてよりも、むしろ形容詞的な使われ方をしているものだと思います。

そういう視点から考えてみると現代においても
”魔法にかけられる”と感じる瞬間は多くあります。
例えば、綺麗な夕日のじんわりと広がっていくあたたかさを感じたときや、
頬が落ちるほど美味しい料理を食べたとき、先ほどの占いのようにそのときの自分の心に響く言葉を得たとき。
このように、普段は意識していなくても、僕らは日常のなかでたびたび魔法にかけられているのではないでしょうか。
それは決して劇的な瞬間である必要はなくて、僕らがそれをどう捉えるかによって、その魔法の効果は変化するのだと思います。

ただ、それらに共通していることは、魔法の効果を得るためにはそれを”信じる”ことが不可欠だということです。
その事象が、そのものが魔法である、または魔法のようであると感じたときにその魔法がかかります。
これは魔法というものは、行使する側だけではなく、受取る側がどう捉えるか、つまりは両者の意思疎通によって成立するものだということです。
また、その両者の繋がりの強度によって効果が変化します。

何てことはない言葉や行動でも、予期せずして相手を救うものになることもあれば、逆にそういうつもりは無くとも不快感を与えてしまうこともあります。
他の誰かにとっては大したことない料理だとしても、それは誰かが懐かしさなんかで涙を流すようなものかもしれません。
誰もがその日同じ夕日に照らされるわけですが、ある人にとってはどうしようもなく寂しく、名残惜しい熱になるかもしれません。

現代において魔法というものは、
他者との”つながり”とも言えるのではないでしょうか。
そんな”魔法にかけられる”瞬間を一つ一つ丁寧に感じていきたいものです。


今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

新年最初のテーマは”魔法というもの”でした。
この記事の影響でこれから皆さんが”魔法にかけられる”瞬間が一つでも増えたら幸いです。

来週のテーマは

”マスク美人について”

それではまた来週の金曜日に。

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