〔余白の創造性〕青春について

余白の創造性連載第二十六回目のテーマは

”青春について”

青春とは正確にはいつのことを指すのでしょうか。

そもそも期間を指す言葉なのか。

それとも状態のことを表す言葉なのか。

はたまた記憶のなかの話なのか。

青春ってなんでしょうか。

その上、春はどちらかと言えば青よりもピンク色のイメージが強いようにも思います。

今回はそんな青春の余白の創造性を考えていきます。


まずは”青春”の語源について調べてみました。

そもそもの語源は古代中国の世界観というのか思想といいますか、

”陰陽五行説”からきているようです。

陰陽五行説というものを簡単に説明すると、

宇宙の全てを陰と陽の二つに分け、

さらに木、火、土、金、水の五つの元素に分ける考え方です。

そこに各々に対応する「方位」「色」「時」「神」があるそうで、

「木」には「東」「青」「春」「青竜」が対応していて、

春の色が青であることから、春の異称が「青春」となったそうです。

余談ですが、春に限らず全ての季節に色があって、

「朱夏」「白秋」「玄冬」とそれぞれ呼ぶそうです。

青春が年の若い世代(時代)を指すようになったのは、

その先に夢や希望に満ちあふれていることから、

人生の春、つまりはじまりの季節に例えられたものだそうです。

春が東に対応していることからも、太陽が東から昇り一日が始まることと合わせて、物事が始まる季節という意味合いもあるのかもしれません。

また青二才や青臭いのように「青」には「未熟」の意味が含まれていることも影響しているようです。


しかし“青春”というのはなにも呼び名だけのものではないように感じます。

単純に春の性質として対応している色が青であるという説明では、

僕らの考える青春というものとは少し違いますよね。


青春時代に僕らを取り巻く主なものは、

友情、恋愛、部活、勉強なんかです。

まだそれら全てにおいて不慣れで、手探りで一つ一つこなしていく過程は未熟がゆえなのでしょうか。

その期間だからこその失敗だったり、

もどかしさや、息苦しさ、

そんな心情を形容する意味も「青春」という言葉には含まれているように思います。

青春というのは不思議なもので、

もどかしくて、息苦しくて、

悲観しているけれど、希望を探しているんです。

その希望がどこにあるのかも、何なのかも分からないけれど、

それでも、その存在を信じ夢中で胸を高鳴らせながら生きた期間、生きることが青春でしょうか。

それはきっとその期間は春で、まだ日が昇る東にいるからなのかもしれません。

もちろん陰陽五行説というものを理解して青春を謳歌している若者は少ないでしょう。

しかし、それは古代中国の時代から、遙か昔から僕らの遺伝子に、この世界に根付いている真理なのかもしれません。

理由はなくとも期待に胸を躍らせて、ワクワクしながら生きること。

それが青春の正体とも考えられるのではないでしょうか。

若いこと、未熟であることだけが青春の象徴ではなく、

あの何とも形容し難い高揚感や、エネルギーに満ちた状態もまた青春でしょう。


色に関しては青春は青色なわけですが、

やはり春が桜の舞う季節ということや恋愛の記憶なんかもありピンク色のイメージもありますよね。

また、新しく日が昇るイメージから来るものなのかは分かりませんが、

僕は何となくおぼろげな朝日に白く染められたイメージもあります。


何にせよ青春時代というのは、

もどかしく、息苦しくて、窮屈で、葛藤しながらも、

胸が高鳴るほどに、何かがはじまる予感のするときではないでしょうか。



今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

青春時代というのはいつ思い出してもドキドキするかけがえのない期間ですよね。

来週のテーマは、

”流れというもの“

それではまた来週の金曜日に。

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