〔余白の創造性〕わびさびについて

余白の創造性連載第三十七回目のテーマは

”わびさびについて”

侘び、寂び

この言葉も聞いたことはあるけれど、どういうものなのか説明するのは難しいですね。

もともとは仏教の禅に基づいた考えといいますか、美意識の表現だそうです。

”侘び”というのは簡素なものの中にある魅力のことで、
”寂び”は、古びて味わいのある様子や枯れて渋味のある様子。時間経過とともに味わいが滲み出るような趣のことを言うそうです。
ここまでだと、以前の”昔ながら”にも似たような感覚がありそうです。

しかし、侘び寂びに関してはもう少し違う余白が広がっているように感じます。

有名な日本庭園の様式の一つに”枯山水”というものがあります。
言葉でぱっと思い浮かばなくても、おそらく写真を見ればどこかで見覚えのある人も多いでしょう。
この枯山水というのは、人の手によって岩を並べたり、砂の表面に流れを描いて山水の景色を表現した日本庭園なのですが、
これと同じようにお寺の庭というのは、
”侘び寂び”を感じるもの、僕らが侘び寂びとは何か考えたときに、あの庭に感じるものが侘び寂びという感覚だと認識されるものだと思います。

そんな日本庭園に感じる”侘び寂び”とは何でしょうか。
枯山水のような日本庭園というのは人の手で自然の風景が再現されています。
自然の風景の再現ではありますが、苔むした岩は綺麗に生えるように手入れをすることで、美しい山を表現しているそうです。
また、砂を用いて水の流れを表現したりなど、どこかに必ず不自然さのあるものです。
それらに感じる美しさというのは、自然の風景に感じるものとは違う感覚なのでしょう。

全くそういうものがないとは言いませんが、おそらく自然の風景の美しさに”侘び寂び”を感じることは稀ではないでしょうか。

ただ古びたもの、時間が経過したもの、簡素なもの、
おそらく”侘び寂び”というのは、
そのような目の前の状態に感じるものではないからでしょう。
ただ古びただけならば、それはただ時間経過によって朽ちている途中のもの。
そこに人の手が加わり、そのものの美しい状態が維持されることで、
それには”侘び寂び”を感じられるような趣が付与されるのです。


”整えられた美しさ”とでも言いましょうか。
”侘び寂び”というものは、目の前にあるものに感じるのではなく、
その後ろに、奥にある美しい仕事や思想に感じるものなのかもしれません。
目に見えるものによって、目に見えない美しさや奥ゆかしさを表現することが”侘び寂び”というもの。
これは僕らにも言えることでしょう。

自然体であることももちろん美しさを表現する方法の一つです。
しかし、不自然に自然体であろうとしてしまうこともありますよね。
また、やはり歳を取ること、衰えていくことにも人は恐れを感じてしまうものです。
”整えられた美しさ”というものもあることを知れば少し気が楽になるかもしれません。
”侘び寂び”に通ずるような美しさや奥ゆかしさもまた僕らの魅力に成り得るものでしょう。
それは何というか色気みたいなものだと僕は感じます。
歳を取るにつれて、時間の経過に合わせて、
奥ゆかしく、美しい人でありたいものですね。


今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

”侘び寂び”というのは結論は色気だと僕は感じました。

侘び寂びについて、松浦弥太郎さんがセンス入門という本のなかでとても面白い視点で書かれているのでおすすめです。

来週のテーマは、

”波というもの”

それではまた来週の金曜日に。


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