〔余白の創造性〕においについて

余白の創造性連載第十九回目のテーマは

”においについて”

匂い、臭い、香り

これらが嗅覚で感じ取る刺激に対して使う言葉です。

それぞれが表している”におい”は少し違いますよね。

辞書を引いてみると、

匂いは“良いにおい”に使うそうです。

食欲をそそるような料理のにおい、

太陽に温められた日向のにおい、

パン屋さんから漂ってくる焼けたパンのにおい。

そんな心地良いにおいには“匂い”を使います。


次に”臭い”ですが、これは反対にあまり良いにおいとは言えないものに使うそうです。

腐ってしまった食材のにおい、

牛乳を拭いた雑巾のにおい、

土曜日の早朝の渋谷のにおいとか。

比較的刺激臭に使う傾向があるように感じます。


”香り”に関しては、辞書での説明では”匂い”との違いがそれほどありませんでした。

しかし、何となく違う気がしますよね。

美しさだったり、儚さのようなものを含んでいるものを”香り”と表現しているように思います。


言葉としてはこのように定義されてはいますが、

何よりも”におい”というのは目に見えないものなので、

余白も大きく広がっています。

実体は見えないものの、その存在は確かに感じられる。

“におい”というのは

不確かで、曖昧で、それでいてそこら中に溢れている。

何とも不思議な存在です。


そして、それぞれに少しずつ雰囲気が違いますよね。

“匂い”は、僕らの欲求を鷲掴みにして惹きつけるような。

たまたま通りかかったパン屋さんから漂ってくる匂い。

初夏に草木が萌える青々とした匂い。

ああいう僕らの欲求なのか、それとも記憶なのか、

直接頭に伝わってくるような”におい”、

“匂い”はそういうものが多いように思います。

それにしてもパン屋さんから漂ってくる匂いというのは魔力がありますよね。

パンを焼くときに副産物としてコストもかからずに漂っている匂いが、

何よりも効果的な宣伝になっています。

一度通り過ぎたのに、匂いにつられて戻ってパン屋さんに入ってしまったことが何度もあります。


逆に”臭い”は、僕らがどれだけ逃げても後を付いてくるように、

強烈に僕らの懐に入り込んで、

いつまでも張り付いて離れないようなにおい。

どういうわけか”臭い”はなかなか取れなくて、

なかなか忘れられなくて、何だか気付いたらクセになってしまっていたり。

くさいのににおわずにはいられない臭いってありますよね。


”匂い”は僕らを惹きつけて、

”臭い”は僕らを追ってきていて、たまに気付くと追ってしまっていたり。

”香り”は上の二つとは少し違いますね。

そこにゆるりと漂っていて、

溶けてしまいそうなほど、薄く柔らかく広がっていて。

僕らはいつだって偶然”香り”に出会います。

ふいに僕らを包み込んでは消えていくような、

”香り”はすごく一時的なものです。

どこからか香ってきては、

瞬く間に僕らを包み込み、

その一瞬を染め上げ、

どこかへ滲むように消えていく。

川を染めている桜のピンク色の香り、

木漏れ日のあたたかい緑色の香り、

金木犀の甘く少し重たい黄色の香り、

冬の冷たい朝の青色の香り、

それは僕らの記憶に、心に香ってくるものかもしれません。



今週も最後まで読んでいただきありがとうございました。

今回は単純に嗅覚での”におい”について余白の創造性を考えてみました。

嗅覚と味覚の繋がりなんかを考えるのも面白そうですね。

次回のテーマは“すれちがうこと”です。

それではまた来週の金曜日に。




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