〔余白の創造性〕色彩について

余白の創造性連載第四十一回目のテーマは

”色彩について”

色彩というと少し堅苦しいことのように感じてしまいますが、
要するに色の見え方の余白の創造性を今回は考えていきます。
今回のテーマを選んだのは先日、良く晴れた日の散歩中にふと街路樹を見上げたときに、もう随分と木々の緑も濃く色付いてきたなあと感じたことがきっかけです。

僕らの色覚に関して、生物学的にしっかりと根拠があることは大前提としてこれからその余白の創造性を考えていきます。

まずは簡単に僕らの色覚の仕組みについても書いておきます。
僕らの目にある網膜という器官に四種類の光受容細胞があり、
その中に、赤、青、緑のそれぞれに感度の極大を持つ三種類の錐体細胞があって、それらの受容する波長域の差によって色を知覚しています。
また、青を受容する細胞は全体の約7%と決まっていますが、赤と緑の含有量は個人差があるようです。
このように、色の知覚の仕組みに関してはかなりはっきりと解明されています。

さて、ここからが余白の創造性のお話。
赤と緑を受容する細胞の含有量に個人差があることから、
それにより見えている色に違いが出てくるのではということも考えられますが、それに関してはこのコラムのテーマとは少し違うことなので省略します。

先日、僕は木々の緑が濃く色付いてきたと感じたのですが、
それは他の人も同じように濃く色付いてきたと感じるものなのでしょうか。
ふと自分が認識している色彩を他人も同じように認識しているのか疑問が生まれました。
写真や絵を見るとき青を青としていても、
その青は自分にはそう見えている青で、
他の人にとってはそれが”青”という認識は同じでも、
同じ青色に見えていない可能性もあるのではないでしょうか。

自分が青と認識している色が、
他の人の場合は、自分が赤と認識している色の可能性も考えられるのではないかということです。
つまり、海は青というのは共通認識として理解していますが、
そもそもの認識が違うために、その青を全員が同じ色で知覚しているわけではないかもしれないということです。
自分にとっての青と他の人にとっての青が同じ色であることの証明は、他人と視覚の共有でもしない限り難しいことです。

自分の見えている花の色が他の人には別の色に見えているのかもしれませんし、海は全く違う色をしていることだって考えられます。

僕らに見えている世界というものは、
それぞれに存在していて、
僕ら一人一人にその人だけの世界なのかもしれません。

僕らは世界を見たいように見ることができて、
世界は僕らが考える通りに存在している。
僕らがどんな色彩を感じるのかによって、
世界は暗く苦しいモノにもなり、
明るく晴れ渡ったモノにもなるのかもしれません。
明日はどんな色の空を見上げるのでしょうか。


今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

色の見え方というのはきっと人それぞれ違っていて、
そこには創造性に溢れた余白が広がっていますね。
これからの世界がどんな色に染まっていくのか楽しみです。

次回のテーマは

”秩序というもの“

それではまた次回。

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