〔余白の創造性〕本を読むこと

余白の創造性第五回目です。

今回のテーマは「本を読むこと」

皆さんはどうして本を読みますか?

本を読むというのもまた大きな余白が広がった行為だと思います。

僕らはどんなときに、どんな目的で本を読むのでしょうか。


勉強や見聞を広げるためだったり

娯楽の一つとしてや

暇をつぶすためだったり

自分の中に足りない何かを探してだったり

本を読む理由というのは人によって様々あります。


また、ジャンルにしても

小説、エッセイ、ノンフィクション、SF、自己啓発

ここに書ききれないほどにたくさんのジャンルの本があります。


本を読むとき、僕らは何を得ようとしているのでしょうか?

新たな感情や言葉を知ること

南極や深いジャングルの中、どこまでも続いているような深海などのように訪れたことのない土地を知ること

シェフや俳優、宇宙飛行士にスポーツ選手など、これまでに経験していないことを知ること

ドラゴンとの出会いや魔物に追いかけられることなど、これから先も経験するはずのないものを知ること

どれにも共通していることは

僕らは何かを知りたくて本を読んでいるということ

僕らは知的好奇心に導かれるままに本の世界へと吸い込まれているのです。


しかし、不思議なのは、漫画を読むことや映画を観ることなど、物語を楽しむという点では同じであるのに、どういうわけか本を読むことはそれらに比べて娯楽という意識が低いように感じます。

それは本を読むことがより能動的なものだからかもしれません。

僕らが自ら紙の上に並んだ文字を拾い上げ

想像力(創造力)によって情景を作り上げる

他の媒体に比べて余白が多く

僕ら自身に委ねられる部分も大きいゆえに、

より能動的な作業に感じるのでしょう。



僕は本を読むことの一番の魅力は美しい、新鮮な言葉を知ることだと思っています。

綿矢りささんの「蹴りたい背中」の冒頭の一文

さびしさは鳴る

この一文を読んだときの衝撃は今も鮮明に蘇ります。

心が震え、鳥肌が立ちました。

さびしさ、本来感情というのは僕らの内側で湧きおこっているもので、

視覚や聴覚など五感で感じ取ることはありません。

しかし、さびしさは鳴ります。

さびしさが鳴ることは容易に想像できませんか?

この後に”耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて”と続くのですが、どうでしょう?

確かにさびしさというのは、そういうキーンと鳴り響くような高音かもしれません。

僕は、夜に線路沿いを歩いているときに、遠くの方で走る電車の足元から伝わってくる地鳴りのような低音も、さびしさを抱えていると感じます。

皆さんは”さびしさは鳴る”という一文からどんな音を思い浮かべますか?

きっと人それぞれ色々な音があることでしょう。

それこそが本を読むことの余白の創造性ではないかと思います。


もう一つ、最近読んだ本で改めて知った言葉がありまして

平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」

内容を書いてしまうのは、まだ読んだことのない人に申し訳ないので詳しくは書きませんが、

雨が降るシーンで”驟雨”という言葉が使われていたのです。

驟雨(しゅうう)とは、急にどっと降りだして、しばらくするとやんでしまうような雨のことらしいのですが、

そのシーンでは、主人公が何かを隠したいのではないかと窺えるような展開が描かれていて、まさに雨がどっと降って立ち込める雨靄の中にそれは溶けていってしまうようでした。

どういうわけか僕はこの”驟雨”という言葉がとても美しいと感じました。

それは何かを隠す雨靄の白さを想像したからかもしれません。

他の誰かにとっては何てことはない言葉だったかもしれません。

それは僕の想像力によって作られた美しさなのです。


もしかしたら言葉というのは本来何の意味も持たないのかもしれません。

言葉は僕らの想像力によって意味を与えられていて、

だから同じ言葉でも人それぞれ少しずつ認識している意味が違うのかもしれません。

そんな中で一つでも多くの美しい言葉を見つけるために

僕は本を読んでいます。


ここまでは僕の本を読む理由の一つである、

美しい言葉を見つけることから本を読むことの余白の創造性を考えてきました。

ここからは事前に取ったアンケートの回答の中から余白の創造性を考えていきます。


何種類かの回答がありましたが、やはり共通しているものも多かったです。

例えば、”その作者が好きで読んでいる”や”自分の中に足りないものを感じているとき”、”自分以外の人生を経験するため”などは言い方は違えど大半を占めていました。


作者が好きで同じ作者の作品を読み漁るというのは非常に共感できます。

僕も川上未映子さん、恩田陸さん、千早茜さん、村上春樹さんなどの作品は恐らく全部読みました。

同じ作者の作品はどれも共通して流れている、その作者特有の空気感みたいなものがあって、違う作品でも物語のなかに入り込みやすいからだろうと思います。


興味深かったのは自分の中に足りていないものを感じたときに本を読むということです。

これはドイツの宰相ビスマルクの言葉にある

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

まさにこのことだと感じました。

自分の中にある経験だけでは計り知れないことに直面したとき

本に記されていること(歴史)に学ぶ

僕らはこれが最善の手段だということを知っているのでしょう。


そして、このように本の世界に没頭することは

一人旅にも似ていると感じました。

僕らは自分のちっぽけさを、世界の広さを知ったとき

絶望し、同時に高揚するのです。

僕もオーストラリアのパースにあるフリーマントルという港町で見た水平線に沈んでいく夕日

カナダのバンクーバーで見た空から降りしきる雪

そんな景色を見たときの心臓から血液が急激に押し出されて、全身に流れていくような高揚感を忘れられません。

僕らはやはり知的好奇心の虜なのでしょう。

もしかすると、自分の中に何か足りないものがあると感じているのは

自分の中にある世界の大きさが、自らの知的好奇心を満たすには狭くなってしまったと感じていて

より広い世界を、より好奇心をくすぐられるものを求めているのではないでしょうか。

”新しい窓をのぞけるから”という回答もありました。

これも同じように外の世界を、より広い世界を知ろうとしているということでしょう。

そして何より、本を読むことを

”窓をのぞく”

こう表現する美しさに感動しました。

また一つ素敵な言葉を知ることができて嬉しいです。


さて、最後に一番多かった回答が

”自分以外の人生を楽しむため”でした。

恐らくこれは主に小説を読むことだと思います。

僕らは本の中でならば何にだってなれます。

それこそ、魔法使いや世界中を冒険する探検家、綺麗な花の咲く丘の上に住む画家にだってなれます。

そして一瞬のうちに世界中のどこにだって、何ならこの世界には存在していない場所でも訪れることができます。

僕らは本を読むことで

どんなものにもなれて

どんなことでもできて

どんなところにもいける

それは、その本の世界に旅をすることなのかもしれません。

僕らは旅を求めていて、旅に出るために本を手に取るのです。

その表紙はどこか知らない世界を覗くことのできる窓であり

その世界に繋がる扉なのではないでしょうか。

今日はどの扉を開きますか?



余白の創造性連載第五回最後まで読んでくださりありがとうございました。

今回のテーマである”本を読むこと”も余白に溢れたテーマでした。

このコラムが皆さんにとって、また新しい本との、世界との出会いのきっかけになれば嬉しいです。

さて、次回のテーマは

”朝活について”

それではまた来週。


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