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小倉久寛さんにやっと会えた話

先の日曜日、南青山のバルームで音楽・朗読劇「星の王子さま」を観てきました。

「王子」は俳優の小倉久寛さん、「飛行士」は元宝塚の水夏希さん。ピアノの演奏に合わせ、お二人で歌った20数曲のうちの何曲かを、いまもふと思い出しては口ずさんだりしています。あ、もちろん、歌詞もメロディーもなんちゃってですけれど。

小倉さんとは、僕がまだテレビの台本作家だった40年近くも前からの知り合いです。その頃、代々木のNHKで、司会者としての小倉さん・天宮良さんと一緒に、とある音楽番組を2年ほど(?)ご一緒させていただきました。毎週、収録の日は音合わせやらカメラリハーサルやらでNHKの101スタジオに半日拘束されるものですから、長い待ち時間、「打ち合わせ」と称して楽屋に入り浸り、お二人に遊んでいただいた、というのが実際。当時、僕はまだ20代の半ばで、在京のテレビ局各局を忙しなく駆けずり回りながら半ばやっつけ仕事の自転車操業状態だったのですが、このNHKの収録の日ばかりは観念して、本番終わりまでがっぷり四つに関わりました。

そもそも「テレビ作家」の仕事はその後、20代の終わりにアメリカに留学するまでの、正味10年足らずに過ぎないのですが、この間、怒涛のような忙しさのなかでタレントさんとじっくり、ゆっくり交流することができたかな、と思えるのは、後にも先にもこの番組のレギュラー出演者だった小倉さん、天宮さん、それに、当時まだ名古屋の高校生だった松下由樹さんくらい。なかでも、小倉久寛さんとは、いまも心に残る懐かしい思い出がいくつかあります。

例えば、日曜日の「星の王子さま」は長男も誘ったのですが、留学先のニューヨークで生まれた彼は、1歳半のときに、マンハッタンのアパートを訪ねてくれた小倉さんにひとしきり遊んでもらっています。

New York 1990


長男が生まれて初めて発した言葉は、小倉さんを初見で見たときの、

「こ、こわい……」

だったということは、我が家では語り草なのですが、今回、30数年ぶりに再会(?)を果たした小倉さんの方から長男に、

「おじさん覚えてる? さんざん怖がられたから、こっちはよーく覚えてんだけど」

と言っていただけたことで、我が家の史実と小倉さんの内なる史実とが見事に突合された恰好です。

Tokyo 2024


さて、小倉久寛さんと長男ほどではないですが、実は、僕も小倉さんにお会いするのは20年ぶりくらいかもしれません。一時期は、仕事を離れても神奈川県の国府津(こうず)の海岸っぱたのヨット小屋に小型のディンギーを共同所有して海に出たりしていたのですが、そのうち疎遠となって、このところ、もっぱら年賀状のやりとりだけになっていました。

それが、忘れもしない今年の1月2日、我が家で子供たち夫婦や義妹夫婦との新年会も盛り、ジーンズのポケットのスマホが鳴るではないですか。見れば、画面に「小倉久寛」とある。慌てて電話に出てみれば、あの野太い声で、「どうも。小倉でーす」と聴こえるもんですから、喜ばないはずがありません。曰く、

「あのね、今年も年賀状書こうかな、と思った矢先の(能登の)地震でさ。もう、なんか年賀状なんか書いてる場合じゃないような……すっかりそんな気持ちになっちゃってさ。なので、こうして電話をば」

とおっしゃる。なんか、もう、その言葉だけで胸がいっぱいになってしまったような次第です。

確かに、正月早々の地震は我が家をも震撼とさせたにはさせたわけです。しかしながら、やはり他人事なのです。地震が来たからといって、新年会を中止にも延期にもしませんし、大規模な停電や断水が発生し、寒空の下、多くの被災者が孤立している、とのニュースに接しても、基本、余所事なのでした。能登の人々に思いを馳せ、能登の人々の苦難や苦渋に心を寄せる小倉さん。遠く過ぎ去りし日にNHKの101スタジオで、駆け出しの、名もなき台本作家の僕になにかとやさしくしてくれたあの小倉さんは、栄枯盛衰の芸能界で変幻自在に生き残りつつ、その感受性や共感力のようなものはあの頃のまま、40年、なにも変わらないのだということにただただ心打たれました。

翻って僕はといえば、「いつかSET*のためにホンを書く」という、小倉さんとの口約束をやすやすと反故にするばかりか、バブル景気に乗り遅れまいとばかり、アメリカの大学院に留学するわ、その後、札幌の大学からお呼びがかかったことを良いことにやすやすと宗旨替え。その変節ぶりが自分でもどうにも恥ずかしくて、小倉さんに気軽に会うような気分になかなかなれなかった、というのが正直なところです。

*SET: 三宅裕司さん主宰の劇団スーパー・エキセントリック・シアターのこと

それが、なぜかくも継続的にnoteに雑文を載せられているかといえば、それはある種、一度は離れた創作の世界に戻るリハビリのようなものではないか、といまに思うわけです。ここからテレビやお芝居のホンをいま一度書く、というのはブランク的にも視力的にも(?)少々難しさがありますが、いや、しかし、「創作」の裾野はなかなかに広い。作品の形式や、公開の仕方も40年前とは段違いです。勘も意欲もだいぶ目減りしてはいますが、まずは継続することから。

小倉さんの「星の王子さま」はマチネの回を観ましたから、バルームを出ても骨董品通り界隈は夕暮れにはまだ少し間がありました。この辺の土地勘をすっかり失くしてしまった僕ら夫婦は、息子に先導され(軽井沢が本店の)「川上庵」で蕎麦で日本酒をぐびっとやったあとそれぞれの帰路に着きました。

いま頃は、きっと、祐介(長男)も「星の王子さま」の一節を口ずさんでいることでしょう、なんちゃってかとは思いますが。



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