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薪ストーブ・マジックにご用心

北海道美唄(びばい)市の美術館「安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄」に来ている(3/25)。午後からの、今年度最後の理事会に出席するためだ。

札幌市内なら道路は凍結もだいぶ緩んできていて、黒々としたアスファルトを覗かせているが、この辺りが溶け切るにはいま少し時間がかかりそう。それでも、ブロンズの「妙夢(みょうむ)」が遠くからも望めるくらいには積雪も浅くはなっている。春はすぐそこ。

安田侃「妙夢」を遠望する

この時期、カフェアルテのかぼちゃのスープが超絶旨い。鹿肉のパニーニも一緒に小腹を満たしたが、文字通り地産地消の贅沢とはこのことである。

さて、カフェアルテの冬場の名物といえば、他にも米国ダッチウエスト製の薪ストーブも。今日もめらめらと炎がちょうど良い塩梅に上がっている。これより小さい炎なら暖かくないし、大きい炎なら無駄に薪を消費することに。スタッフはいまや一人ひとりが薪焚べ名人の域にあるのだ。

カフェアルテのダッチウエスト製薪ストーブ


自慢ではないが、かくいう僕も薪の焚べ方には一家訓ある。なんせ、3年ほど前までは洞爺湖からほど近い伊達の我が家には(カフェアルテのよりは一回り小さいが)同じ型の「ダッチウエスト」があった。

その家では、11月から4月のゴールデンウィーク直前まで、文字通り一年の半分薪ストーブがフル稼働していたのであった。なんちゃって田舎暮らしの我が家では、薪は専門の業者から買っていたが、それでも少しでも良い薪を、いくらかでも安く調達するべく、ストーブのオフシーズンにはガレージに薪を山と積んで、来るべきときまで十分に乾かすのが常だった。

あるとき、同じ大学の、カナダ籍の同僚教員がうちに遊びに来ては、ダッチウエストにすっかり一目惚れ。

「いくらくらいするんだろう?」

と独りごちるかのように訊くのだった。

「それこそカナダのコストコ辺りで持ち帰りすれば半額くらいかと思うけど、日本でなら35万から40万といったところ?」

なにぶん買った家に漏れなく付いて来た付帯設備であり、正確なところは分からない。が、かつて一度じっくりと眺めた輸入代理店のホームページ的にはその辺がいい線かと思う。

しかして、札幌・あいの里の彼の家にもほどなくして薪ストーブが導入されたのだが、彼の家にやって来たのは一つ格上の、バーモントキャスティングスではないか。

「これ高かったでしょ? 50万? もっと?」

と訊けば、にやにや笑いながら彼、

「350万」

とさらりといってのけるのだった。なんでも、本体とは別に、煙突その他の設置工事に300万余かかった、とのこと。ごめんごめん、そうだよなあ、設置費用のことがまるで眼中になかったばかりか、薪ストーブは本体よりむしろ、インシュレーションのちゃんとした煙突の方が大事(=高価)だということ、ずっと後になって知った次第。所詮、僕にとって薪ストーブは買った家にオマケで付いて来る、家ガチャみたいな存在だったから。

その実、古家(=中古住宅)を手に入れる愉しみとは、前のオーナーの趣味や嗜好もまるっと一緒に引き継ぐこと。もちろん、いったんすべてを受け容れた上で、おいおい趣味の「仕分け」や「上書き」をやることになるのだが、猫足のバスタブやシーリングファンなら後付けもやってできないこともないが、薪ストーブや暖炉ともなれば、家の構造自体とも大きく関わる。デフォルトで付いて来るにこしたことはないのである。

実際、僕は3年前に伊達の戸建を売却した際、いったんは未練たらたらに薪ストーブを諦めたのであるが、結果的には、次も当たりの薪ストーブ・ガチャを引いたのだった(その実、いまは東京近郊で、暖炉付き中古住宅のリノベと格闘している)。

もちろん、住宅の売買を繰り返せば、それだけ有限な老後資金は目減りし、枯渇の一途を辿るわけだが、他に金食い虫の趣味や浪費癖があるわけでもなし、「炎とともにある暮らし」はなかなかに諦め難い。

思い返せば、僕の薪ストーブ好きは35年ほど前のアメリカ留学時代にまで遡る。

その日、僕は友人のニックに、ニューヨーク郊外・ブロンクスビルの彼の実家での食事に招かれたのだった。専門こそ違え、両親のいずれもがコロンビア大学の研究者である彼の家のリビングには、中央に使い込んだ鋳物の薪ストーブが赤々と燃えていて、まだまだ英語が覚束ない当時の僕を、なによりもリラックスさせてくれたのだった。

僕より5歳は若いニックは、その後、ほどなくしてイエール大学の大学院で環境保護を学ぶことになるのだが、あの頃、ぷらぷらとしているかに見えた彼は、いまにいう「ギャップ・イヤー」にあったのだな、と思う。

薪ストーブ前のロッキングチェアで——パイプこそくゆらせていなかったと記憶するが——アメリカの国鳥でもあるハクトウワシ が絶滅の危機にあることを滔々と語る大学教授の父に大きく頷いたり、ときに果敢にチャレンジしたりするニック。親子というよりは対等な市民として堂々と意見を交わす父と子。——まさしくアメリカの知識階級の団欒を映画やテレビドラマから切り出したようなその光景が、いまも我が内なる理想の家族のかたちとして脳裡から離れない。と同時に、「薪ストーブ」は家族を集わせ、語らせる魔法の箱と確信した原体験であった。

直近のアメリカ東海岸訪問は、コロナが流行る前のことだから、もう5年も6年も前のことになる。この際、ボストンの中華料理店で飲茶ランチを一緒したのが、他でもないニックとそのパートナー。実に30年ぶりの再会であった。

聞けば、ご両親はあの「ハクトウワシ の議論」からほどなくして離婚され、別々の途を歩まれたのだとか。離婚の原因をつくった父親への評価も、なかなかに厳しいものがあった。

あの夜、遅くまで埋み火を絶やすことのなかった薪ストーブはもちろん、ニューヨーク郊外の、あの森のなかの瀟酒な一軒家がその後どうなったのか、ニックにはついぞ訊けないままにディムサム会はお開きの時間となったのだが、仮に人手に渡っていたとしても、いまも誰かの薪ストーブ・ガチャとして、どこかの家族ガチャを目一杯の遠赤外線で暖かく包んでいるに違いない。

店員が勘定書きとともに持ってきた、デザート代わりのフォーチュンクッキーのひとつを両手で割ってみれば、中から出てきた小さな短冊に、

「薪ストーブ・マジックにご用心」

とあった……というのは、もちろん、ウソだ。

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