今年もガスパチョの季節が終わるのだ
日本広しと言えど、うちくらいガスパチョの消費量の多い家はそうそうないのではないか、と思います。
5月の黄金週間が終わる辺りから、夫婦間や、駒込の長男夫婦、練馬の次男夫婦との間で、
「今年もそろそろかな?」
「だよね。そろそろ食べたいね」
という会話やLINEが飛び交い始めます。もちろん、そろそろあのトマトベーストの冷製スープ=ガスパチョが食卓に供されてもおかしくない頃だよね、と確かめ合っているわけです。
次男のとこの2歳の長男に至っては、生まれて初めて口をついて出た言葉が、
「ガシュパチョ」
という驚き! もちろんウソですが、なんとも魅惑的なその語感は2歳児にも分かるらしく、ときどき大人たちが喜ぶのを知ってか知らずか、ガシュパチョ、ガシュパチョと連呼するのでした。彼とても、パプリカやバルサミコの大人な味付けのガスパチョの大ファンであることに不思議な家族の絆を感じずにはいられません。
とはいえ、「冷製スープ」ですから、寒い季節にはさして食欲も湧かないもの。体感に過ぎませんが、最高気温20度を基準に、これより温度が高ければガスパチョブームが高まり、これを下回れば同ブームが消え失せる、そんなメニューです。10月も半ばに差し掛かろうかというこの時期、そろそろ家内もガスパチョ納めを真剣に考えはじめているでありましょう。
ところで、我が家のガスパチョ愛のルーツは、過去2回のニューヨーク生活にあります。とりわけ、2009年夏からの「2回目」は、アパート近くのルパン・コティディアンをほぼ毎日朝食で訪れるたび——こちらニューヨークでは不思議なことに一年を通じてありつけるのですが——ガスパチョは何よりもの栄養補給源であり、食欲増進源であったわけです。
およそ20年ぶりのマンハッタン生活は、当初、アッパーイーストサイドのアパートに大学生の長男と2人暮らしとしてスタートを切りました。「2人暮らし」はそれなりに愉快でしたが、長男には、
「夜は早々と帰って来るな! 1分1秒でも長く外にいて、一人でも多くの英語ネイティブと会話しろ」
と申し渡しておりましたので、夕飯を一緒することは滅多になかったのですが、朝食はそうもいきません。
かと言って、前の日に、まめまめしく翌朝の食材を買い揃えておくような几帳面さとは無縁な人間なものですから、ついつい朝食にルパン・コティディアンの客となることを選択することに。
いえ、ガスパチョが朝の定番メニューになるまでに、色々と紆余曲折はあったのでした。ただ、一口食べて、これならイケる、と思うも、2回、3回と続けてオーダーするうちに、もう飽きた、となるのが十中八九。結論的には、二人どちらからともなく、もう飽きた、と言わないのが唯一、ガスパチョであったというまでです。
長男はそのうち、ルームメイトを見つけて——1日も早くそうしろ、と口を酸っぱくして言ってきたのはこの僕ですが——イーストハーレムの格安物件に引っ越しを敢行しましたから「朝食のガスパチョ」はさすがに記録更新とはならなかったものと想像しますが、その後、「シングルアゲイン」の時期も含めて、マンハッタンでのサバティカルの1年間、僕はほぼ毎朝の朝食を、ルパン・コティディアンのガスパチョで通し切ったのでありました。
この間、家内や次男も、冬休みや夏休みを利用して何度かニューヨークに長期に滞在しましたから、「一度目のマンハッタン生活」で長男が通ったナーサリーや、次男が生まれたレノックスヒル病院の前で4人で記念写真に収まったりしました。
ちなみに、「ナーサリー」とは幼児のための保育所のことですが、北海道時代、伊達市の自宅の植栽を一手にやっていただいた苫小牧のイコロの森を訪ねた際、何十年ぶりかに英語のナーサリー(nursery)という単語と久しぶりに再会したではないですか。
園芸の世界では、nurseryやnursery bedが「苗床」を意味することを知らなかった僕は、植物の苗床とヒトの「成育促進施設」が同じナーサリーで表現されることにいたく感激したのでした。
もちろん、マンハッタン滞在中、妻を何度となくルパン・コティディアンに連れ込んだのは言うまでもありません。
概して、なんでも美味しいのですが、主たる目的は、やがて日本に戻れば、あのガスパチョの朝食から縁遠くなることを見越してのこと。恐らくは味覚の器官・味蕾(みらい)が他人の2倍はある妻に、このニューヨーク・ガスパチョ*の味をしっかりと覚え込んでいただいた上で、我が家でも再現して貰おう、という魂胆なのでした。
*もっとも「ガスパチョ」はスペインやポルトガル由来の伝統料理。「ルパン・コティディアン」はベルギー発祥のパン屋さん兼レストランではありますが。
日本にもガスパチョを売りにするフレンチの店等もないではないですが、デミタスカップたった一杯分の、ケチな分量のそれではなく、ボウルになみなみと注ぐニューヨークスタイル・ガスパチョを死ぬまで飲み続けたい、と心の底から思いました。
少し大袈裟に言うならば、それは我が家のソウルフードの創造の作業であり、結果、妻は再現に成功。見事家族の期待に応えたのでした。
かくして、ガスパチョは我が家に数少ない、守り抜くべき伝統の一つになり得たのでした。
不思議なことに、しかし、彼の地ではあれほど一年中欲したそのガスパチョが、日本でならなぜ夏場にしか食べたくないのだろう、ということ。
あ、そうか、冬場にその冷製スープが絶対ダメ、ということではないのだけれど、北海道産のピュアホワイトを使った温かいコーンスープや、これまたチーズにだけは金に糸目をつけない、贅沢オニオングラタンスープなど、冬には冬の絶品グルメが待っている以上、ガスパチョとて夏以外はお呼びでないのでありました。
嗚呼、今年最後のガスパチョもとっても美味しくいただきました。では、また来年!
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