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ふいのユーミン祭りにご用心

そのカフェはうちのマンションからバス停ひとつ分。ドアtoドアで徒歩5分というアクセス至便の立地にある。店名の末尾に「—吉祥寺店」とあるが、いうところの「湘南・軽井沢・吉祥寺」問題。正確さに多少は気をつけないと、「おまいう」と総ツッコミを入れられそうである。いわば、僕もそのお店もグレーター吉祥寺に所在地を持つのであって、「最寄駅は吉祥寺です」は許されても、「我が家は吉祥寺です」とか「うちの店は吉祥寺です」とまで踏み込むのは、違法とまではいわないが、違反切符の1枚や2枚は切られそうだ(誰に?)。

さて、今日も今日とて最寄駅吉祥寺のそのお店に気分を換えに来たのだが、吉祥寺のヘリにあるとはいえ、ほぼ満席なのはさすがの人気店。ほうじ茶ラテを注文した段階では座面が固く真っ平らな、背もたれなしのベンチ席しかなかったのが、注文の品が準備できたことを知らせるビーパーのバイブ機能が唸るとほぼ同時に、奥の、二人掛けのテーブル席が空いたではないか。

「今日はついてる」

ほうじ茶ラテより先にチェスターコートとスカーフで場所取りを済ませて、受け取りカウンターに引き返したのだった。

さて、イームス風のそのスツールは思いのほか背中に硬く、尻に冷たいが、お客さんの半分が「ベンチ席」であることを思うと文句も言葉にはしづらい。黒蜜仕立てのほうじ茶ラテを一口いただいたその瞬間、あれ……店内のBGM、さっきからユーミン祭り? と独りごちるのだった。

ブリザードからのノーサイド。ノーサイドからの中央フリーウェイ……と見せかけての、ユーミンでもハイファイセットでもない、yoasobi?
の「中央フリーウェイ」とくれば、「祭り」が芸無しの、単なる松任谷由実ヘビーローテーションではないよ、といいたいことはこの僕にも痛いほど分かる。そこが小粋といえば小粋だが、その小賢しさも含めてなかなかにウザい。

もちろん、店内で僕は最高齢のレイヤーに属しているだろうことを思うと、若い人たちには温故知新的というか、yoasobi起点の先祖返りが十分に新鮮であるだろうことはアタマでは理解できる。ただ、なぜだろう。ユーミン・サザンどストライク世代としては、いまやユーミン・ヘビロテはかなりキツい(これが、サザン・ヘビロテはそうでもないのが不思議といえば不思議……)。

ならばもうお前はユーミンとすっかり訣別したのか、と訊かれれば、答えは「ノー」である。その実、かけっぱなしのカーラジオから瞳を閉じてでも流れて来ようものならば、車中の会話も上の空、しばし心は10代や20代の、あの頃の自分に遊ぶ。なんなら目的地を急きょ横浜・山手のカフェ・ドルフィンに変えて、ソーダ水でも注文しようかという勢いだ(緑内障由来の視野欠損で、もはや自分ではハンドルは握らないのだが……)。

ただ、祭りは違う。確かに、高校生のときだったか、比較的裕福な同級生んちの居間のステレオで、野郎3、4人とアルバム「ひこうき雲」(荒井由美)を最初から最後まで——途中、盤を裏面にしながら——丸っと聴いたりもしたが、いまはもうお腹いっぱい。ヘビロテは本当に心と身体に辛いのだ。

結局のところ、ユーミンがtoo muchなのではない。ユーミンに縁どられたあの頃の自分の気持ちと正面切って向き合うのがtoo muchなのだ。それは、あれほど愛読した村上春樹がいまや一行も読めないのにも似ている。40年前の僕は、現在の僕と生物学的にはかろうじて連続性を保っているようでいて、実のところは、細胞レベルからぜんぶ入れ替えられ、置き換えられでもしたかのようだ。——それほどに、あの頃の気持ちは重く、いまの僕にはどうしようもないほど持て余してしまう。

ただ、それは当のユーミンとて同じなのではあるまいか。

それが証拠に、苗場プリンスのコンサートでも、いまや当時の名曲はほとんどさらわないし、少し(かなり?)野太くなった声で、いまも新しい曲、新しい曲に果敢にチャレンジしておられるではないか。

宝物としての我が心のユーミンは、だから、一年に数回、街角で珠玉のフレーズに不意打ちを喰らうくらいがちょうど良い。いまも家探しをすればどこからか第三京浜の、ダルマのセリカでさんざんこすったカセットテープの1本や2本は出てくるかもしれないが、仮にそれらが発掘されたとしても、決して通しで聴いたりはしない。

つまりは、ユーミンは僕には未だ懐メロでもなんでもなくて……艶かしくて……例えていえば、百年発酵中の梅干しの梅なのだ。だから、ある日、突然、壺から出された梅を目の前に20ヶとか30ヶ並べられて「さあ、喰え」といわれてもまだまだ塩っぱくて……酸っぱくて……慌てて壺に戻して蓋をする感じ?

「百年発酵」なら、今年オン歳70のユーミンはまだ30年——あるいは、デビューからカウントすれば、まだあと半世紀超?——熟成が進むのだろう。——途中、つまみ喰いしようにも僕なんぞにはあと10年はかかりそうだ。

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