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小泉進次郎、その「愛されキャラ」だけで総理大臣は勘弁

8月14日午前、記者会見に臨んだ岸田文雄首相は、来る9月の自民党総裁選には立候補しない、と名言した。加えて、総理を辞めて後も一兵卒として積み残した政治課題に取り組む、とした。折しも終戦記念日の前日。それこそ「一兵卒」として国家の戦争犯罪に加担させられ、そして、その犠牲となった多くの無辜の民に対して、岸田の言葉選びはあまりにもアナクロ、あまりにも無邪気と呆れた。

続く記者からの質問(日経新聞、日本テレビ)はどこか遠慮がちで精彩を欠くものだったが、伏兵は北から現れる。3者(社)目の、北海道新聞の質問には胸がすく思いがした。概略、

「麻生氏にはいつ相談したのか? (「政治不信の責任をとって辞任する」といくら声高に叫んでみても)国民の支持率が一向に上がらないことが辞める一因ではないのか?」

と道新の記者にズバリ切り込まれ、憮然とした表情の岸田が拝めただけでも、リアルタイムで会見を観られて良かった。報道官の女性が、総理は後の予定が詰まっているなどとして、そそくさと会見を打ち切ったが、時刻はちょうどお昼どき。「後の予定」など、この日のために官僚が特別に選りすぐった仕出し弁当に舌鼓を打つことくらいしかなかったのではないか。

「くっそ、道新めが……」

などと取り巻きに悪態をつきながら、牛肉のしぐれ煮などを箸でつんつん突っつく岸田の様子が目に浮かぶようである。

背後では、他方、後任の総裁候補として小泉進次郎で自民党内が急速に結束しつつあるとの報道も。さすがの「鈍感力」の岸田も、相手が進次郎では勝ち目がないと観念した、とする観測さえある。

いずれにせよ、今回の突然の不出馬宣言の真相がどうであれ、諦めがついたのならそれはそれで良かった。が、課題山積の現下の日本にとって、自民党内にまさしく晩夏の入道雲のように湧き上がる進次郎待望論には国民の一人ひとりが注視する必要がある。言うまでもなく、この国が議院内閣制を採る以上、政権与党としての自民党の総裁に選ばれることは、そのまま日本国の総理大臣に就くことを意味するからである。

「裏金」筆頭のさまざまな問題で国民の信頼がダダ下がりしたいまの自民党の議員一人ひとりにとって、目下、最大の関心事は新総理総裁誕生直後、この秋にも実施される公算が高まった解散総選挙で自らが再選を果たし得るかということ。この最大にして唯一の必達目標のためなら、担ぐ神輿はむしろ軽いくらいがちょうど良いとでも考えているのか。

進次郎なら石破茂と並んで国民人気は高そうだし、しかも、進次郎なら石破とは真逆で麻生太郎や(草葉の陰の)安倍晋三の覚えもめでたい。

加えて——これこそが「進次郎人気」の正体と心得るが——数々の失言や軽率発言はあれど、あれでけっこういいヤツじゃないか、という、同僚議員からの愛されキャラが、国民の間に漠然とある不安をガン無視してまで、進次郎一択に収斂しつつある、というのが自民党内部の現在の空気感ではないか。世間の「進次郎を信じろー、と言われても……」という困惑を他所に、

「でも、あれであいつ、けっこういいヤツだから。可愛いとこあるんだから」

と進次郎擁護論が勝っているとしか思えない。

もっとも、そんな議員が等しく持つ「再選至上主義」に根差した、「愛されキャラ」フィルターでたまたま漉され残った男を総理大臣にいただく私たちの不幸を想像して欲しい。

まずは、なんといっても、ポピュリズムに依拠した「信じろー政権」の予期せぬ長期化と、結果としての、世界における日本のプレゼンスの低下傾向の思いのほかの長期化リスク。その好例を、2012年から2020年まで続いた「第2次(以降の)安倍政権」に求めたい。

毀誉褒貶ある安倍晋三政権の長期化理由を分析するのは容易ではないが、基本、「愛されキャラ」の安倍晋三には、「選挙の顔」としての役割が求められ続けた。結果、国家のリーダーとして有為な人材は他にもいただろうに、漫然と安倍政権が存続することに。選挙の絶対看板という役回りにプライオリティが置かれたとき、「信じろー政権」がただただ無駄に長期化することを憂慮する。

加えて、「愛されキャラ」の進次郎が、しかしながら絶対的な能力不足、経験不足で、早晩ボロをボロボロ出し始めたときに、その失敗(続き)を糊塗するのは財務省筆頭の官僚機構しかない。逆に言えば、たとえ愛されキャラだけが取り柄の「信じろー内閣」でも役人がしっかりしていれば大丈夫、となって、この国の官僚支配がより深刻化するのではなかろうか。

細かいことを言えば、さらには、何かとウケ狙いの「進次郎構文」と相まって、彼の中途半端な英語のべしゃりの軽妙さが輪をかけ、結果、世界中で取り返しのつかない安請け合いを重ねることになりはしまいか(もっとも、この面では「岸田外交大好き内閣」も五十歩百歩ではあったのだが)。

関東学院大学からニューヨークのコロンビア大学大学院に進んだ小泉進次郎は、政治学者で日本地域研究が専門のジェラルド・カーティス にも学んだとされる。カーティス は日本や日本人に特有の美徳を数々列挙する一方、アメリカに独特の美徳として「寛容さ」を挙げたという。そして、その格好の例として、若き日にジャズピアニストを志した自身の経験を引き合いに出しながら、

「音楽を極めんと、一度はアルバカーキにあるニューメキシコ大学に進学した自分が、ひょんなことから日本文化の面白さに開眼し、結果として、一流のコロンビア大学で教授になれたのはアメリカが多様な生き方を受け入れる、寛容の国であったからに他ならない」

※「北の心の開拓記」(小松正明ブログ)より要約

と述べたという。

小泉進次郎さんに助言したい。アメリカに負けず劣らず、これで日本もけっこうな寛容の国。いまからでも遅くない、その「愛されキャラ」を十全に活かして、カーティス 先生はもとより、兄の孝太郎さんや奥さんの滝川クリステルさん、あるいはウクライナ大統領のゼレンスキーさんなどの助言なども受けながら俳優やテレビタレントに転身することを真剣に考えてみては? 真にあなたの才能を必要としているのは政界ではなく、YouTubeの台頭で存亡の危機にあるテレビ界であると思えて仕方がない。このままひゅるひゅると総理大臣ではテレビドラマ的には喜劇だが、リアルワールド的には悲劇以外のなにものでもないのだから。

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