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鈴木健二さん亡くなる

元NHKアナウンサーの鈴木健二さんが3月29日、福岡市内の病院で老衰のため亡くなった。享年95歳(2024/4/3 JIJI.COM他)。

鈴木健二さんは、20代の頃、台本作家の末席に加えていただいたNHK「クイズ面白ゼミナール」の「主任教授」(司会)であり、1988年に僕らが結婚した際は、いまはなき乃木坂のフレンチレストラン「シェ・ピエール」での結婚パーティでのメイン・スピーカーとして駆けつけてもいただいた。

もっとも、輝かしい鈴木さんの放送人としてのキャリアにスタッフの一人として関わらせていただいただけ。苗字が珍しいので、名前くらいは覚えていただけたかと思うが、さりとて名前と顔が一致していたかは……自信がない。

そういえば、鈴木さん、披露宴のスピーチのなかで、

「ここで結婚式をやったからには、ぜひとも葬式は(通りの向こうに見える)青山斎場で盛大にやって欲しいな、と思うのであります」

と「主任教授」口調で言っていただき、会場に冷ややかな笑いの輪が広がったことをいまも懐かしく思い出す。あれから36年。時が巡り、コロナも来て、仰々しい葬式はもはや流行らない、と疾うの昔に察知されたのだろうか。ご自身の葬儀は近親者のみで済ませた、と記事にある。さすが教授。最期まで気配りのお方だったのだ。

青山斎場の斜向かいのレストラン結婚式から僅か半年。僕はテレビを離れたり、アメリカの大学院に留学をしたりとあれこれあってのおよそ10年後、自身が「主任教授」ならぬ大学講師としてアカデミアでのキャリアをなんとかスタートを切ることになるのだから人生とは面白ゼミナール。

振り返ってみれば、しかし、まがりなりにも大学教員になれたのは、あの番組と関わった影響が少なくなかった、といまに思う。

もちろん、当時、人気絶頂だった鈴木健二さんとは、収録の現場以外、必要最小限のコミュニケーションだったように記憶するが、台本を練り込む過程で、毎年、少なくとも百人に近いあらゆる分野の専門家を訪ね、教えを乞うたり、結果、ご自身にも番組に出ていただいたりしたのだが、そうした「専門家」の多くが大学や研究機関の研究者であったのだ。

いっときに生半可な知識を詰め込んでは、排泄でもするかのように聞き齧った知識を台本にぶちまけ、で、番組の収録と同時に、「台本」は捨てられるのがテレビ作家に典型的な仕事のパターンなのだが、「先生」と総称されるそれら研究者の生業は、その対極にあるようで妬ましかった。

お一人おひとりがその世界の先端であり、権威であるのにもかかわらず、多くは純粋で純朴な、ゆるキャラ的な個性を光らせておいでだった。

加えて、研究者という種族の少なくない人々が甘党で、例えば、「中津川の栗きんとん」などは訪問先の先生のご自宅で奥様に出していただいて味も名称も刷り込まれたような次第。酒が飲めない、無類の甘いもの好き、で、できる限り家にいたい僕にはテレビの台本作家なんかよりは大学教授の方がよほど天職、と勘違いさせてくれたのが、鈴木主任教授の「面白ゼミナール」だった(テレビの業界人と同じかそれ以上に、大学の先生たちも大酒飲みが少なくない、ということを知るのにさほどの時間はかからなかったのだが)。

もっとも、高校時代は映画監督志望だった僕。まかり間違って、鈴木健二さんではなく、実兄の鈴木清順さんに出会えていたらどんな人生だったかと思わなくもない。「ツィゴイネルワイゼン」など、耽美的な鈴木監督作品について鈴木教授と一度も意見交換しなかったことが悔やまれる。

教授、あちらの世界で監督との久方ぶりの兄弟話を楽しんでいただきたいものであります。合掌。

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