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コメディアン伊東四郎という国宝

地下鉄日比谷線東銀座駅の6番出口を地上に上がると、すでに人、人、人の大行進。「行進」のみんながみんな、そこから徒歩5、6分の新橋演舞場に吸い込まれていくのを、吸い込まれる当事者の一人として驚いた。お目当ての演目は三宅裕司率いる熱海五郎一座「スマイル フォーエバー ~ちょいワル淑女と愛の魔法~」である。平日の昼間、しかも1階席のチケットは1万円をはるかに超えるだけに、時間もお金も調整可能な高齢者ばかりがやけに目につくが、商業演劇の底力、集金力をまざまざと見せつけられる思いだ。もちろん、高齢者の先輩諸氏に負けじと、こちらも「1階席」を求めたのはいうまでもない。

出演者の一人・小倉久寛さんにあらかじめ連絡をとって、押さえていただいていたのはステージから8列目のど真ん中。花道も含め舞台狭しと繰り広げられる、歌あり、踊りあり、アクションありの大スペクタクル・コメディを堪能するにはまさにうってつけの席で、小倉さんには感謝しかない。

それにしても、2004年、前身の伊東四郎一座の旗上げから数えて、今回が通算で20回目公演というから恐れ入る。その興奮の余韻も冷めやらぬほんのさっき、「伊東ならぬ熱海、四郎ならぬ五郎」が熱海五郎一座命名の由来とネット検索で知ってずっこけた。他ならぬ熱海ならぬ伊東、五郎ならぬ四郎さんをゲスト出演者に迎えた今回の公演が特別の回にならないハズがない、と踏んだ僕の読みはまったくもって正しかったのである。楽しかったし、凄かった。

ちなみに、もう一人の「ゲスト出演者」、松下由樹さんを生で拝むのは、台本作家としてほぼ毎週のようにNHKのスタジオでご一緒させていただいていた30年以上も前以来。当時は、まだ、名古屋の高校生だった彼女が、今回、なりふり構わず3選を目指す東京都知事の「ちょいワル淑女=大沼」を熱演しているのである。小倉さんとてそうだが、舞台一筋でやって来た彼女を前に、自身の変節がただただ恥ずかしい(とはいえ、「変節」も含めて自分は自分、と疾うの昔に折り合いをつけてはいるのだが)。

ところで、松下由樹さんはまだまだお若いが、小倉久寛さん70歳、三宅裕司さん73歳、渡辺正行さん68歳……と、今回の主要キャストの面々は、観客に負けず劣らず年輪を刻まれておられる。

驚くべきは、しかし、休憩も含め3時間半超の舞台を主演でほぼ出ずっぱりだった伊東四郎さん。御歳なんと86歳!

今回の舞台、正直、歩みも覚束なく、声もこころなしかか細いが、英語(!)も含めて全編セリフあり。「魔法使いの学校の定時制と全日制」というべきを、定時制と……、

「前立腺?」

と呟いてはドカン、ドカン、会場を沸かすのだった。

もちろん、「前立腺」は台本にあるセリフかと思うが、伊東四郎の燻し銀の存在感をして、しかも、絶妙な間で「前立腺?」とヤられると、これはもうズルい。誰にも笑わない選択肢は残されないのである。

三波伸介、戸塚睦夫とともにてんぷくトリオで活躍したのは昭和も昭和。テレビの草創期であって、三波さんなどは40年以上も前に52歳の若さで鬼籍に入っておられる。一視聴者としての僕は、ウンチク教養娯楽番組(?)「伊東家の食卓」のお父さん役・伊東四郎をこよなく愛したが、正直に白状すれば、舞台人としてはほぼノーマークの俳優さんであったのだ。それが、その役者人生最晩年の舞台を目撃して、申し訳ないことにいまさらながらに合点したのは、浅草の舞台出身者らしい洒脱な返しと、その溜め、絶妙な間の上手さ! 大団円で泣き笑いしハンカチが手放せなかったのは、ホンの素晴らしさ、脇をかためる役者さんたちの溢れんばかりの伊東さんイジリの優しさと愛もあるが、なんといっても伊東さんが立つ舞台の目撃者の一人として、僕がここにこうして選ばれた有り難さだった。

伊東四郎が国宝であることに疑いの余地はないが、さりとて、伊東四郎に勲章はいらない。できるだけ長く舞台に上げて、できるだけ多く絡みを用意せよ。なんなら、決めのセリフなんかいらない。ただただ伊東四郎の間を、返しを、固唾を飲んで待ちたい。

伊東四郎さん、また、次の舞台を楽しみにしています。

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