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故郷をどこにしよう

北大の院生、卒業生と、運営委員を務める安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄(北海道美唄市)へ日帰りエクスカーションに出かけた。調整役を買って出てくれた上に、7人乗りのクルマまで出してくれたのは「卒業生」のタカラモトさん。

思えば、コロナ以前は僕の授業の最終回は、必ず、ここへの半ば強制的な「自由参加」エクスカーションがお決まりだった。「タカラモトさん」はその最後の年次の社会人学生の一人である。よほど楽しかったらしく、「あの感動をコロナで行けなかった後輩たちにも」とばかり、一肌脱いでくれた恰好だ。

コロナ禍下では、授業そのものが対面からオンラインになったということもある。結果、そもそも「美唄に行こう!」というようなクラスの結束、紐帯を築けないままに15回の授業を淡々と終えるのがここ何年かの常だった。反省することしきりである。

もっとも、3年前、自身が緑内障の手術を受けたきっかけで、クルマの運転をやめたことも大きい。「最後のエクスカーション」はタカラモトさんのクルマと僕のとの2台で、20名近い学生たちを駅から美術館までピストン輸送したことが懐かしい。

美唄市は旧産炭地のまちだ。三井と三菱、2つの炭鉱が産出量を競っていたこともあり、最盛期には10万人に近い人口を誇った。まちの映画館には美空ひばりがやって来た。なのに、「旧産炭地」のご多分に漏れず炭鉱閉山後、まちは人口流出の一途を辿る。いまや2万人を切ろうとしている。

主たる地場産業は農業であるが、道内で「美唄」と口走ると、少なくない人が「美唄焼き鳥!」と呼応する。美唄の焼き鳥屋(大きくは二大勢力)はモツ焼き鳥がつとに有名だが、他にも、シメに焼き鳥の残りを入れて食べるのがデフォルトのかけそばがなんとも旨い。ただ、アートに関心のある向きには、美唄と言えば「彫刻家・安田侃」の一択である。

国鉄マンの子どもとして美唄で生まれ育った安田侃(かん)は、東京藝大を経て、イタリア政府の招聘留学生に抜擢されたのをきっかけに、北イタリアの大理石の産地・ピエトラサンタにアトリエを構えた。以来、世界的な彫刻家としての現在の地位を得た後も今日に至るまでイタリアと日本とを行き来しながら作品を作り続けてきたのだが、炭鉱で亡くなった多くの人々——とりわけ、過酷な地底の作業現場の事故で命を落とした中国人や朝鮮人——を弔うため、市からの依頼で鎮魂のモニュメント「炭山(やま)の碑」を建てた(1980年)ことで、故郷・美唄とも結びつきが再び深まったのだった。

安田侃「炭山(やま)の碑」

「地中の魂が故郷に還るようにと、作家は三本の大理石の円柱の先端を三方向に向けたのです」

とは、作家の長男で、作家/作品のマネジメントを担う安田琢さん。今回、「炭山の碑」の案内役を買って出てくれたのだった。

琢さんによれば、美唄の「炭山の碑」から立ち上った故人の魂を受け止める、いわば受信機として、作家は韓国・釜山にも相似形の石像を2006年に置いたのだという。作家の構想が時空を超えて四半世紀ぶりに実現した瞬間、作家はどんな感慨にひたったことだろう。

それにしても、アーティストとは執念の人々の総称なのだな、と改めて思う。ましてや、人一人では決して持ち上げられない、いや、何十人集まろうとも特殊な道具や重機なしには1ミリも動かし得ない大理石の原石と日々対峙する侃さんの構想力と執着心は本当に凄い。

作家・安田侃は、異国の地・美唄で没した中国・朝鮮の人々の無念さを思い、それを対岸の地・釜山の丘に縁がつながる瞬間をじっと待ち続けた。美唄にはピエトラサンタから切り出した大理石でつくった作品を置き、釜山には地元・韓国の石でつくったもう片割れの作品を置いた。僕には到底真似できないし、真似したいなどとは1ミリも思わない。

ただ、彫刻家・安田侃の仕事を羨ましく思うのは、地球上のどこかに作品を一つ、また一つと置く行為は、世界中に心の拠りどころ——またの名を、故郷?——を一つずつ増やす営みに他ならないこと。ましてや、それら作品のどれもが、不埒な輩の一人や二人が悪さを仕掛けようともびくともしない重量と存在感とを持っているのだ。

翻って、アーティストでもなんでもない自分はどうだ、と自問すれば、安田侃にとっての彫刻作品は僕にとっての不動産物件だという自慢でも卑下でもない事実に思い至る。そう考えてみると、後先も弁えず、出物の物件があると即銀行に走るこれまでの行動パターンがなんと体良く説明可能なことか。

もっとも、心の故郷が増え続ける一方の侃さんとは違って、僕はそろそろ故郷を刈り込む時期を迎えつつある。

いっそ、侃さんの美唄に新たな拠点を設け、そこを最後の故郷としようか。ダメダメ。もはや銀行の与信枠はいっぱいいっぱいだ。手持ちの作品……あ、いや、不動産物件を整理するのが先である。

故郷未満の地・美唄に雪が降りつむにもういくらも時間はかからない。

安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄(夏)







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