【連載】 Center for Open Science (COS), Arnold Venturesと慈善資本主義

注意: このエッセイであり、学問的ないし科学的な記事ではありません。現状の世の中の流れの紹介として理解していただきたいと思います。

Center for Open Science (COS)はVirginia Universityの教授であるBrian NosekとJeffrey Spiesらによって2013年に設立されたNPOであり、Open Scienceを広めるための研究センターである。

https://twitter.com/BrianNosek
https://twitter.com/jeffspies

COSのミッションは、科学の開放性、一貫性、再現性を高めることとある。

The  mission of the Center for Open Science (COS) is to increase openness, integrity, and reproducibility of science (Nosek, B., 2017). 

そのミッションの通り、COSはOpen Science Framework (OSF)と呼ばれる研究やデータのマネジメントソフトウェアを提供しており、研究者の多くはそのような機関だと認識している人も多いだろう。Open Scienceを推進する世界的な拠点になっている。

COSを支える代表的な団体の一つに、Arnold Ventures (前身はThe Laura and John Arnold Foundationとして知られる)がある。また、長年寄付している財団には、Alfred P. Sloan FoundationTempleton Foundationなどがある。Arnold VenturesはCOSに対して総額28億円以上の支援を行っている。

普通研究機関を支援するのは財団だが、Arnold Venturesは財団ではなく有限責任会社 (Limited Liability Company, LLC)である。これの背景には、Arnold Venturesの創設者であるLaura&John Arnoldらの取り巻くアメリカの寄付思想の変化がある。特に、慈善資本主義 (Philanthrocapitalism)と呼ばれる慈善活動の効果を効率化し最大化しようとするBill GatesやMark Zuckerbergなどの大富豪たちの動きが挙げられる。

このエッセイでは、Arnold Venturesを取り巻く状況についていくつか紹介する。これを通じて、慈善資本主義の現在についても俯瞰したい。

第1回: John Arnoldと不正との戦い (2021/08/18)

Arnold Venturesの3000億円ほどと呼ばれる巨額の資金は、主に伝説的なヘッジファンドマネージャーであったJohn Arnoldによって生み出されたとされる。当時、最年少のビリオネヤーとして有名になった存在である。

ここでは少し彼の経歴を辿ってみよう。

John Arnoldは、ヴァンダービルト大学を1995年に数学と経済学の学位をおさめ、総合エネルギー取引を行なっていたエンロン (Enron Corporation)という大企業にトレーダーとして入社した(全米順位7位、売上高1,110億ドル)。

彼はエンロンでエネルギー関連の取引を行い、2000年には7.5億ドルの稼ぎに貢献し、エンロン史上最高額の800万ドル (約9億円)のボーナスを受け取ったとされる。

しかし、経営陣の指示によるエンロンの大規模な不正会計が2001年に明るみになり、当時アメリカ史上最大の企業破綻のエンロン不正事件として記憶されることになる。これにより国行政当局と証券監督機関らが大規模なコーポレートガバナンスについて改革が進むきっかけになったとされている(2002年には サーベンスオクスリー(SOX)法が成立、日本における金融商品取引法の参考となった法律とされる)。

この事件についてエンロンという映画も作成されている。また、エンロンの衝撃(著: 奥村宏)はエンロン事件を知るのには良い書籍だろう。

John Arnoldは、不正については関与しておらずエンロンを離れることになる。

2002年には、800万ドルのボーナスを元手にケンタウロスというヘッジファンド運用会社を創設し、業界で注目される業績を上げることになる。

John Arnoldの慈善家としての活動は、2004年にKnowledge Is Power Program (KIPP;知識は力プログラム) に3万ドルしたことから始まったとされている。KIPPは低所得コミュニティ向けの進学高ネットワークとしてアメリカの活動している。

John Arnoldは、The Giving Pledgeに署名したとされている。The Giving Pledgeは、ウォーレン・バフェットメリンダ・ゲイツビル・ゲイツらによって創設された大富豪による資産の大部分を寄付するという誓いである。2021年現在、223名による署名が行われており、アメリカだけでなく27カ国の富豪が参加している。

2010年にはパートナーのLauraとともに私設財団である Laura and John Arnold Foundationを設立している。この財団の目的は、システムが生み出す過誤に対し、不正を減らし機会を高めるエビデンスベースの解決策に投資するというものである。その一部に、高騰化した薬の価格税政策裁判前のシステム高等教育へのアクセスなどを取り上げている。

Johnは、ロイターでのインタビューの中で次のように語っており、システム的な問題とお金の関係を注意深く振り返っている。

Q: あなたが最初に注目を浴びたのはエンロンでしたが、その急成長と崩壊から何を学びましたか? A:確かにめまぐるしい日々でした。当時はビジネスがものすごく拡大していて、人材も不足していたので、入ってきて仕事ができる人はすぐに出世できました。私が破綻から学んだことは、物事のマイナス面を常に考えることでした。エンロンは急速に成長し、さまざまな事業を展開していたため、適切なコントロールができず、それが破綻の原因の1つとなってしまいました。私がお金について学んだことは、富は非常に一瞬のものだということです。書類上は非常に良い業績を上げていたかもしれませんが、それはエンロンの株式やオプションに縛られていたのです。儲けたと思ったらすぐに損をしてしまうことを身をもって体験したのです。("Trading up: Life lessons with philanthropist John Arnold", ロイター, 2018

2012年には資産30億ドルを持つ大富豪として紹介され、ビジネスを引退し慈善家としての活動に集中することを宣言する。

2013年からCOSに寄付を開始しており、毎年数億円の寄付を行なって筆頭寄付団体になっている。

2019年にLaura and John Arnold FoundationはArnold Venturesに改名し、形態も有限責任会社 (LLC)になり不正との戦いを目的とした活動を行なっている。有限責任会社へ転向した理由については慈善資本主義の文脈で第3回で紹介する予定である。

次回は、LauraとJohnのArnold Venturesの取り組みを紹介する。

第2回: Arnold Venturesの取り組み

Arnold Venturesは多くのアメリカの問題を解消するための支援をおこなってきた。法体制、医療体制、教育体制の三つのカテゴリーを中心に支援をおこなっている。そして、支援が効果的かどうかエビデンスベースの政策や研究についても支援をおこなっている。

法体制

Black Lives Matter運動で知られているようにアメリカの警察システムでは不必要な暴力にって命を落とすケースがある。このようなケースを引き起こさないための研究や活動を支援している。

およそ50万人が有罪判決を受けていない状態で刑務所に入れられている。これは単純に、保釈金が支払えないことによる影響だという。この背景には、人種差別による過剰な投獄の実態もあるとされている。財団では、裁判所や検察官などと直接働きかけることで問題を解決するため施策を実施している模様。

過剰な取り締まりのため、アメリカでは成人の5人に1人以上に犯罪歴があるされており、社会的な汚点、いわゆるスティグマのために職に就けなかったり、学位を取得できなかったりと多くの問題を抱えることになっている。有罪判決から受ける社会的障壁を減らす活動を支援している。

また、裁判中においても十分な弁護を受けられず不利な判決を受ける人たちも存在しており、慈善活動として必要な対処を調査している。

医療体制

アメリカのおける医療には多くの問題がある。

オピオイドの過剰使用によって45,000人もの人々が2017年にはアメリカで死亡したとされている。高いクオリティの治療が受けられない人たちも多い。そういう方達に向けて効果的に治療を導入するプログラムなどをサポートしている。

不妊治療などにおいても経済的、社会的、政治的状況によって十分なケアが女性に提供されていないことも問題になっている。また、アメリカでは保守的な層による中絶禁止法などもあり完全に意思決定が女性自身に委ねられているとは言えない。

教育体制

教育格差もまた大きな問題である。高度教育が多くの犯罪行為などを防止することも知られており、年収にも影響を与えるので生徒に十分に高度教育が行き渡るような仕組みへの取り組みへ支援が行われている。

エビデンスベース政策

Arnold Venturesはランダム化対照試行(RCT)と呼ばれる研究方法を中心にファンディングを行う(2019年には、ノーベル経済学賞は貧困問題に対してランダム化対照試行(RCT)を活用したAbhijit V. Banerjee教授とEsther Duflo教授らに与えられた。)

Arnold VenturesはCenter for Open Scienceというオープエンサイエンスを推進するNPOに多額の支援をおこなっている。

これはArnold Venturesが目指す世界が、Evidence-based policyをオープンなデータをもとに導入することを考慮しているからだろうと思われる。

Arnold Venturesは、多くのアメリカの課題に対して科学的なエビデンスをもとに介入を行うために科学の取り組み自体を支援するという独自の哲学を持っている。これは、慈善活動の効果を最大化する慈善資本主義と親和性がある。

第3回: 慈善資本主義とOpen Science

Arnold Venturesを設立したLaura ArnoldJohn Arnoldは、慈善資本主義 (Philanthrocapitalism)を掲げており、有限責任会社 (LLC; 日本で対応する形式は存在していない)として活動をしている。

慈善資本主義は2000年代以降に現れた新たな大富豪のトレンドである。

多くの大富豪は、19世紀の大富豪たちから影響を受けたことを公言している。例えば、Bill GatesなどはCarnegieなどから影響を受け相続税廃止に反対している。

19世紀型の大富豪は、自らが得た多くの資産得たことに対する批判を回避するため、もしくは社会への還元のために大学の設立や研究財団を支援してきたとされている。これを後押ししたのは、税制控除にもあったといわれている。

有名どころとしては、スタンフォード大学やシカゴ大学などが挙げられ、その影響は高峰譲吉による日本の理化学研究所等の設立にも影響を与えたとされている。

この慈善活動が新たな局面を2000年台に迎えた。

2000年台から慈善資本主義と呼ばれる活動の効果を増大させるために、ビジネスやマーケティングの手法を導入した慈善活動が台頭してきた。

2006年のエコノミスト誌における"慈善資本主義の誕生"には、多くの財団が長い間存続しているわりには効果や方針が不透明なところ慈善活動を変えたいと思う比較的財団をチェックできる年齢の富豪たちが増えたことを指摘している。

https://www.economist.com/sites/default/files/special-reports-pdfs/5517588.pdf

寄付行動や寄付者研究によると、Philanthropyは「寄付者が実現したい社会のための寄付」とcharityは「いま現在困っている人のための寄付」という定義がある。

慈善資本主義は、つまり「寄付者が実現したい社会のための寄付」の効果を最大化することを目的としている可能性がある。ここに対して強い批判もある。

慈善資本主義者たちへの批判

慈善資本主義に対する強い批判は、ビジネス的な手法を持ち込んで世の中を変えてきた大富豪たちが慈善事業においても介入することのぜひである。

また慈善資本主義者たちの方法論にも批判が寄せられている。

一部の慈善資本主義者は、慈善活動の迅速性を担保するために財団ではなくLLC (Limited Liability Companyの略称, 日本で言う合同会社に相当)で運営する。代表的な例として、Arnold Venturesは、LLCで運営されているが、Arnold Venturesは、2019年以前には財団として活動しており、この理由として”慈善活動の効率的な実施”を目的に挙げている。

財団の運営においてその透明性を証明するためには長いプロセスが必要とされている。筆者はアメリカでのプロセスを詳しくは知らないが、日本においては、公益財団法人になるためにはいくつかの承認プロセスが必要である。LLCはその透明性の低さから、実質的な基金を運営する立場として相応しいのかという批判である。そのため、資金の流れに不透明性があり、公益性を担保することで免れている課税から逃れているという批判はありうる。

慈善資本主義とOpen Science

慈善資本主義には慈善活動の効果を最大限に発揮するために、証拠に基づく政策立案(いわゆるEvidence-based policy making)をサポートする動機がある。

Arnold venturesは、Open Science自体を支援することで、慈善活動の効果を最大化する方法を探索するというロジックである。そう考えると全ての行動の説明ができる。第二回で取り上げたようにアメリカにおけるさまざまな問題に対する介入方法をOpen Scienceによって探し出し、実際の政策立案までつなげようとしているのだ。

エンロンという世紀の粉飾事件と関わった会社から生まれた天才的なトレーダーであるJohn Arnoldは、慈善活動の世界で、科学駆動型慈善活動と呼ぶべき新たな試みを提案している。

参考文献

https://www.cos.io/about/our-sponsors

面白いことに韓国でもそのような波が押し寄せていると言及している記事もある。



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