2020-8-24 日記. ベンチャー企業の研究者: 中動態について(仮)

西田哲学の純粋経験を考えたいたら、中動態と禅に思考が巡ったんだけど、一方で中動態が持つ恐ろしさみたいなところもやはり考えないといけないと思うようになってきた。

中動態が注目されるのは、人は意思決定をするときに、中動態的な曖昧さを括弧に入れて能動・受動的に意志を明確化してしまっていたのようなところがあると思う。その一方で、曖昧さの流れを許しすぎて、能動・受動的という責任という項も曖昧になってしまうところがある。

日本は曖昧さから意味を読み取ることを粋とする文化だと明確に感じたのは、明確な「はい・いいえ」をお願いしたら、他の人から叱られたことがあったことが自分の経験としてある。責任が発生するところでは、自分はかなり明確にしようとするところがある。それが多分日本的な感覚にはない。

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