DIYで幸せになるために。
僕は小さいころからなんでも自分でやりたがる性格だった。
しかし、絶望的なくらいめんどくさがりだった。
そのせいでいろいろなことをこじらせて今に至る。本当にたちがわるいのかもしれない。
DIY=Do It Yourself という言葉はパンクのインディー精神から生まれた言葉だと記憶している。僕も世代なので、ドはまりはしていないものの、ピストルズに始まり、メロコアなどいわゆるパンク系のアーティストに影響を受けた時期がある。
自分でやりたがるというのは全部自由にやりたいという心理からくるものだろう。全部自分で決めたい。自分の好きなように、好きなことをしていきたい。誰もが少しは心に抱く感情じゃないだろうか?
そんなこんなで僕はなんでも作るのが好きだ。家の家具はもちろん、今までで最大の作品は今も使っている自分の防音室。音楽は仕事で作るけど、デザイン周りやウェブサイト、映像まで自分で作りたがるタイプ。
しかし、作るはいいがめんどくさがりだったため、大体何か失敗している。やればよいとわかっている工程を飛ばす、勝手に設計を変える、見切り発車で作り始める。。。
やってはいけないことのほとんどを自分で経験してから学ぶ、そのたびに自分の性格に泣けてくる。(本当に泣いているときもある) まあでも、最後には何とか帳尻合わせてどうにかする。ということの繰り返し。
そりゃ、何回も同じもの作っているプロにいろんな面でかなわないわけだから、買った方が効率的だ、というのが当たり前の価値観だろう。
しかし気が付くとまた作り方を考えてしまっている自分がいる。そんな性格ゆえ、例の呪縛が頭をよぎることがある、それは
"俺ってただの器用〇乏なのでは。。。?”
"効率"、"生産性"、"費用対効果"・・?
さて、効率、という言葉は蒸気機関の熱効率から来ている言葉らしい。おそらく上に挙げたようなワードというのは、産業革命後に出てきた概念なのだろうと思われる。
つまりこれは機械語なのではないか?
人間の行動に対してこれらの尺度を当てはめるのってどんな場合にも実は無理なんじゃない??とか思っている。
芸術にかかわっているとほんとにそうだから面白い。効率よく作られた作品に感動できそうな気がしますか??
そういう時にいつも思い浮かぶ、所ジョージさんの名言がある。本当にシンプルだけど、本当にいつも、あらゆることにおいて心に刻んでいる。
どこでどんな風に言っていたのかは忘れました。。多分世田谷ベースかな??
これは例えば家族とか、恋愛とか、子育てとか、仕事とか、何かを成し遂げることとか、あらゆることに当てはまる。
めんどくさいことを、ちゃんとめんどくさい手順を踏んでやるからこそ幸せになれる。
でも人間はそのめんどくさい手順をすっとばして、幸せになれそうな結果だけ速攻で得ようとして、いろんなものが出ては消える。
所ジョージさんも、プラモデルとか車とか、いろいろ凝ったものを作ることで有名だけど
本当に好きなんだなあというのが伝わってくるのがいい。それを見ているだけでこちらまで幸せになる。それが何になるとか、いくらで買えるとか、いくら稼げるとか、そんなことじゃない。
そして僕も大人になって、相変わらず何かを自分で作ろうとしてしまう自分が、"ただの器用〇乏"でなくなる方法をようやく発見した。
それは作ることをやめるのではなく、めんどくさがることをやめることだ。
設計することも、工程を考えることも、すべては楽しい作業に変える。時には時間を置き、改めて考えることも必要かもしれない。そうやって、ひとつひとつのプロセスを愛でること、楽しむことこそがDIYの醍醐味。それができなければ本当に意味がないのだと、ようやく気付いた。長かった。
計画するということが元来苦手だったが、頭の中でいろいろと考えて具体的に工程をイメージしたり、練り直したりするうちに考えられる障害もクリアできる。それも楽しい。
失敗しても、大体のことはやり直せるし、多少不細工なものになってもそれなりに愛せる、ということは十分に知っているわけだから。
そう考えると、先に挙げた"効率"や"生産性","費用対効果"なんて全く幸せとは関係がないどころか、むしろ幸せの逆を行っている価値尺度のような気さえしてくる。
僕は今日も何かを作るし、多くの人が毎日何かを作っていると思う。だからまた、これめんどくさいなあと思った時に心に問おう。そこに幸せの種が落ちていないかを。
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