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自己啓発的なものに疲れたあなたに

最近、自己啓発的なものに触れると無意識に耳を背けてしまうようになったのは意識が低くなったせいではないと思っている(ほんとか?)

suchmos的に言うと”名言ばっか聞き飽きたようんざりだもう”ってやつかもしれないけどそれともちょっと違う。

これはもうシンプルに身の回りに情報が多すぎるからだ。

僕らは何を求めて学ぶのか。よりよい生き方なのか、より効率的な生き方なのか、より幸福な生き方なのか。わからないけど

多すぎる情報が否が応でも五感を刺激してくる環境は人を幸せにしないということはどうやら現代が証明してくれたように思う。

お手軽でインスタントで即物的な、ちょっと賢くなったように感じるだけで実践はほとんどできずに忘れていくだけの人生訓が逆に苦しみのもとになっていないか。

SNSで盛られた投稿が人を不幸にするという話もあるように、そういった一過性のライフハックみたいな情報は逆に自分の直観やリアルの経験値を揺らがせ、迷いのもとになっていないか。

そんな思いもあって、ここ1年くらいだいぶSNSから距離をおき、ニュースダイエット的に情報を遠ざけてきた。

大切なのは正解やよりよい方法ではなく自分はこうだと決めて進むこと。

音楽のレッスンなどしていると、より効率の良い習得方法、学習法みたいなことにとても興味があって、いろいろ調べたりすることは悪くなかったと思っているのだけど

自分が実際に何かできるようになっていった過程を振り返っても、効率なんてものはみじんも存在しなかった。あれやらこれやらに興味を持ちながら、何度も挫折しながら、やったりやらなかったりを繰り返しながら今がある。

特に芸術の分野においては寄り道、回り道こそが独自の世界観をつくるうえでとても大切で、そこに効率なんてものはそもそもあり得ないとすら思うわけで。

人生の効率?手軽に幸せになること?とか考えるとしたらうーん、何だろう、ひょっとしたらじっと瞑想でもしていた方があれこれやるより効率的なのかもしれないし??

とかいろいろ考えて、最近一番強く思うのは、正しいかどうか、優れているかどうか、将来がどうか、とかじゃなく、今この目の前のことに対して自分でこれと決めて信じて進むということだけだなと。

どんな道であっても楽あれば苦ある。どんな道でもクリエイティブに解決しなければならない問題にぶち当たる。そこでああだこうだと知恵を絞り力を絞り、汗をかいて解決するのは他ならない自分自身。そうしているうちにより良いあなただけの方法は見つかるし、それにしか価値はないのだと思う。

簡単な答えなどどこにも転がっていなくて、結局自分で切り開くしか道がなかったりするけど、そういう道にしかおもしろさもやりがいも自分の力を最大限に活かせる充実感もなかったりする。

気が付けばググってしまうし、気が付けばSNSを開いていらない情報まで流れ込んで気になってしまう。そうして自分自身の言葉をわすれる、自分自身の心の声を聴けなくなる。

だから現代では意図的に情報を遮断する時間っていうのがどうしても必要だなあと感じている今日この頃です。




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