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自分を駄目だと思っている時が一番自分が成長している時

今回は趣味である卓球に関わる記事を書きます。先日、卓球の全日本が終りました。今年は特に波乱の連続で目が離せない展開になってましたが及川選手の初優勝、そして特に石川選手の5年振り5度目の優勝はとても感動しました。

石川選手は5度の全日本優勝ということで、かなりの大記録ですがここ数年前に同じ記録を達成した選手がいます。それは平野早矢香選手なんですよね。

僕はもともと平野選手をリスペクトしていて、今回はそんな大記録を達成した平野選手の講演会に参加した時の記事を書きたいと思います。

講演会の内容の前に僕がなぜ平野選手をリスペクトし出したのか説明します。

僕にとって平野選手は最も尊敬できてリスペクトしている卓球選手でした。

僕が平野選手をリスペクトし出したのは大学時代の時です。僕は運動神経が悪い上にパワーも無いので自分の卓球に限界を感じていたのですが、先輩のアドバイスで女子のプレーを参考にして取り入ようと考えていました。

その時に平野選手は巻き込みサーブ主体で女子選手ではありますが、フォア主体で一球ずつしっかりと打っていくスタイルだったので、自分のプレースタイルと似た部分があったので大学時代一番参考にした選手です。

そしてその卓球に対するひたむきな姿勢や考え方、試合中の諦めない姿を見て、自分自身も励まされ頑張ろうと思えた選手でした。多分平野選手に励まされたのは僕だけでは無く大勢いるはずです。

そんな平野選手が2016年にオリンピックで代表になれずに引退を発表されました。その時に僕が当時住んでいた隣町に講演会でやってくるという情報がありました。

もちろん僕はその講演会に参加を申し込み、仕事終りに講演会に参加しました。とても楽しみだったのを覚えています。

その講演会の内容で僕が心に残ったこと、大切だと思ったことを思い出しながら記事にしようと思いました。(当時はブログを書いてなかったので笑)

挑戦することを反対された時に

平野選手は栃木県で小学生の時に卓球を始めますが、学生時には全国大会での優勝経験はありませんでした。

水谷選手や伊藤選手の様に幼いころから全国大会で優勝してエリートとなり、世界で活躍する選手が多い中で平野選手の経歴は異質だと思います。

そんな幼い頃には全国で優勝できなかった平野選手ですが、中学に上がる時にターニングポイントを迎えます。

当時全国で1、2を争う強豪だった仙台育英中学校からスカウトを受けます。中学にして親元を離れて県外へ出る決断を迫られたんですよね。

単純に考えれば県外へ出た方が強くなれますが、県外へ出たからって成功するとは限らないんですよね。親元を離れて自分の身の回りの世話を全て一人でしないといけないストレスだったり、チームメイトやコーチと人間関係が上手くいかずつぶれてしまうパターンも多いです。

平野選手の親御さんは中学は地元に残って、高校から県外へ出てもいいのではないか?と平野さんへアドバイスしたそうです。自分のお子さんが失敗すことなく確実に選手生活を送っていく為に、お子さんのことを思ってのアドバイスだったと思います。

しかし平野選手は中学で県外へ出る決断をするんですよね。その理由は平野選手は当時から自分が全国で優勝したり世界で活躍する姿を思い描いていたからです。その為には高校から県外へ出たのでは遅く中学から県外へ出て自分を厳しい環境に置かなければならないと感じていたからだそうです。

小学生にしてなんという意志の強さだろうと思いますが、その時に親御さんは上記のアドバイスをした上で「こんな大変なことがあるんだぞ」と何度も平野選手を説得しますが、平野選手は自分の意思を曲げずに最終的に親御さんも「そこまで本気なら」と折れたそうです。

この時に平野選手が思ったのは、何かに挑戦しようとした時必ず反対してきたり、反対意見を出してくる人がいるかと思います。そういった人は本気でその挑戦を辞めさせたいのではなく、その挑戦に対する「覚悟」が本気か試してくれているんだそうです。

その反対を自分が押し切ってでもやりたいことなのか?それとも反対されたくらいで辞めてしまうことなのか?それを試してくれているのだと。

平野選手の親御さんも平野選手の「覚悟」が本気と分かり平野選手の挑戦を認めました。何かに挑戦する時に反対してくる人はある意味自分を応援してくれている人なのかなと思いました。

壁にぶつかった時に

卓球を続けていれば誰しも壁にぶつかったり、思うように結果の出せない時期があるかと思います。それは平野選手ももちろん経験があったそうです。

そんな時に壁を乗り越える万人に共通のアドバイスや方法は無いそうです。

ではどうすればいいか?それは仲間やコーチと一緒に乗り越えていくことだそうです。

何か壁にぶつかった時それを乗り越える方法は、人によって違います。卓球の場合100人いれば100通りの方法、乗り越え方が存在するんですよね。

それを見つけていくことは自分一人ではできずに周りの仲間に相談してアドバイスをもらったり、コーチと一緒に方法を考えていったり、落ち込んだ自分を立ち直らせてくれる言葉や、仲間が必要となるそうです。

この話を聞いて人に何かアドバイスをする時や、教える時に絶対にやってはいけないのは頭ごなしに否定したり、自分の考えを押し付けることだと思いました。

その人にとっての正解は人によって答えが違うので、自分の考えを押し付けるのではなくその人が自分の答えを見つけられるように、導いてあげることや一緒に考えてあげることではないかと思いました。

また卓球は個人競技ではありますが一人でできることは少なく、周りの人の大切さ、それが分っている平野選手だからこれだけ周りの人に応援され、結果を出すことができたのだと思いました。

オリンピックのメダルより欲しかったもの

平野選手は全日本で優勝して日本代表にも選ばれて2008年に北京オリンピックに出場し初めてオリンピックに出場します。北京オリンピックではメダル決定戦で惜しくも韓国に敗れてしまいメダルの獲得はなりませんでした。

平野選手はオリンピックでのメダル獲得を最大の目標に掲げていました。平野選手曰くオリンピックの舞台と言うのは本当に特別な雰囲気や空気のある大会でそこに立っただけで涙が出てくるような、一度その舞台に立ってしまうと中毒のようにもう一度その舞台に立ちたいと思えるような、そんな舞台なんだそうです。

そして平野選手は2012年のロンドンオリンピックで福原選手、石川選手と共に悲願の銀メダルを獲得します。日本の卓球界としても初の快挙で日本のメディアでも連日卓球を取り上げてもらえました。

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皆さんお若いですね(笑)

平野選手はメダルを取ると、メダルを肌身離さず持ってずっとメダルを大事にしているんだろうなと想像していたそうです。メダルを取るために地獄のようなトレーニングや試練を乗り越えてきたのだからそうなっても不思議ではないと思います。

しかしメダルを取った最初の時期はそのようになっていたそうなんですが、暫くするとそうでも無くなったそうです。今ではメダルは机の引出しの奥底に閉まって必要な時だけ出しているそうです。

なぜそうなったのか?平野選手はメダルを取ったことによって、本当に欲しかったのはメダルではないと気づいたそうです。

平野選手が本当に欲しかったもの、それは自分がメダルを取るために努力することによって得られる過程や、人との出会い、そしてそれらの過程を乗り越えて自分がメダルを取るのに相応しい人間になることだったからだそうです。

だからメダルそのものには意味が無かったと感じたそうです。

本当の成功とは自分自身の成長や経験であり、これに勝る成功は無いんだろうなと教えていただけたと思います。

最後に

タイトルの「自分を駄目だと思っている時が一番自分が成長している時」と言うのはいつかの卓球王国の企画での平野選手のコメントです。

かなり古い卓球王国だったので、探しても見つからず僕の記憶で書いたので、正確な文言では無いと思うので申し訳ありません(汗)しかし意味はおおよそ合っていると思います。

やることなすこと上手くいかずマイナス思考な僕を前向きにさせてくれた言葉でした。

意外と自分が成長する時って上手くいってる時ではなく、不調の時だったりスランプの時だったりするんですよね。そこで投げ出さないことで、気がついたら成長していたなんてことは僕にもありましたし、それはそういうものなのかなと思います。

ピンチや不調は自分が成長するチャンスと思えたら前向きになれると教えてもらいました。

スポーツは勝ち負けが全てですが、平野選手のように自分がプレーすることで周りに良い影響を与えられる選手になること、これも一つの成功では無いかと思います。

僕は選手としては結果は残せませんでしたが、大学時代に引退試合でセットオールのジュースで敗れた際に「最後まで諦めない姿に自分も頑張ろうと思えた」等の温かい言葉をかけてくれる人もいました。

平野選手には程遠いですが、ほんの僅かでも平野選手に近づけたのかなと思い意味のある学生時代を過ごせたと思いました。

先日、平野選手が結婚を発表されました。ちょうど平野選手についてブログを書こうと思っていたのでこのタイミングで書こうと思いました。

数多くの苦難を乗り越え、そのひたむきな姿で数多くの人を励まして、感動を与えてくれた平野選手の結婚生活が幸多きものになることを陰ながら祈ってます。

平野選手本当におめでとうございます。末永くお幸せに。

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