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赤道を横切る:第16章 シンガポール(第3日)

10月22日、シンガポール滞在第3日は午前6時半集合、同7時よりシンガポール島内の名所巡りとなっていたので、連夜の寝不足を物ともせず、6時には全員朝食を済まして出発用意をしていると、意外にもこの日に限り交通機関総罷業【そうひぎょう:ゼネストのこと】のため約束の自動車が一台も集まらぬ。それは5年ぶりかに起こった電車とバスの総罷業で、今日中に解決困難との注進である。これが人事ならばニュース・バリュー100パーセントとして大々的に報道もするのだが、この場合それどころではない。やむを得ずバスを断念しタクシー23台をかり集め、ようやく各班の分乗も終わり、予定よりは一時間遅れ、午前8時日の丸国旗を先頭にスタートを切る。

一行はシンガポール島の南端を東より西に、ブラカンマティ島の要塞を左に眺める。ブラカンとは「帰る」マティとは「死」の意味でこの要塞に仕事で行った者は「死んで帰る」即ち行方不明になると伝えられる。このあたり撮影禁止、飛行場もあるらしいが分からぬ。それでも高丘パシルパンジャンに登れば車上ながら湾内を一眸に納め得られる。散歩にはよい道路、案内人の言によればこのあたり盛んに男女のランデブー行われ、自動車に人影なくそこらに悩ましい光景を点出黙出するとの事。シンガポール島内にもゴム園があるのに感心しながらやがて市中近くに出で、間もなく有名な植物園に入り、これも自動車のままで通過する。時間の都合で下車散策を省略したらしい。この植物園も先年見物に来てクロトンの長大なるに驚いた記憶がある。蘭好きな夜牛子などはそれこそ垂涎万丈というところだ。いずれ出直して詳しく見物に来ることであろう。

次は総督官邸前を素通りし、日本人倶楽部を訪れ、さらに日本人小学校に立ち寄ったが、先頭と後尾との連絡を欠き、単に敬意を表しただけで授業の実況を視察することはできなかった。それよりラッフルス博物館に入場し、動植鉱物の標本を審さに観覧したがその収集の潤沢なるには敬服した。

次は長躯東北カトンに向い、カトンタナメラの火薬庫前通過、付近海岸において暫時休憩、椰子樹を背景とした撮影など試み、再び乗車アルカフ・ガーデン着。これは某アラビヤ人が第何号かの日本婦人のために築いたという純日本式庭園で、反橋あり築山あり、一隅には神社もある。その神社の傍らに魚藤(デース)の一株あり、デースは有望な植物で蚊取線香や害虫駆除に用いられる。乾燥根百斤80ドル、マレー半島栽培面積一万エーカー、一ヘクタール2500斤の収穫あり、このガーデンは先頃まで例のお伝女史が園内の日本家屋を利用して料亭を営んでいたという因縁もある。それより一行は本船に引返し午後は自由行動となったが我輩は昨夜井上南倉子とこのガーデンで待ち合わせる約束であったので、ただ一人園内に止まった。

11時半井上南倉子来着、相共に携えて一旦バッテリー路の南倉事務所に至り、更にキムセン路の一般貸物保管倉庫とハベロツク路の燐寸保管倉庫とを視察したが、何れもシンガポール・リバーに沿い水陸交通至便の地にある。このほか二箇所を合わせ合計6棟その貨物収容力1万3000トンに及び、従業員は邦人14名、マレー人13名、支那人38名、インド人2名、合計67名ほかに海陸荷役苦力350名を使役している。南洋倉庫創立当時相談役として多少その業務に関与した我輩としては、遠く異境において幾多の外人に伍し、孜々として努力を続けておらるる実況を見て誠に欣快に堪えなかった。ただ一つ同社倉庫所在地において日貨排斥に対するカムフラージュのためか、堂々と南洋倉庫の金看板を掲げていない事だけが遺憾であった。

かくて井上氏と共に日本人倶楽部に立ち寄り、池田華銀子の好意による午餐を共にし、午後はタンギリンの日本人ゴルフクラブを見学した。この土地の大部分は台銀所有で宿舎予定地である。クラブハウス楼上からの眺望も満更ではなく、市街ともほど遠からず到底永くゴルフリンクスたらしめないであろうと思った。先着の池田氏が大野塩糖子とプレイしつつある。我輩も近来は競技には自信を失って汗顔至極だ。次にアイランドクラブの一部を窺い、軍隊内にも練習コースのあるを瞥見し、これで当地におけるゴルフ行脚を終わったこととし、日本人街に出て買物をした。三四軒を廻って購入した品々は鰐皮(鞣皮【なめしかわ】)同ハンドバッグ(製品)蜥蜴皮(生皮および鞣皮)、椰子象、同人形、菩提樹実、玳瑁【たいまい:ウミガメの甲羅】、ゴム工程見本箱、藤ステッキ、鰐皮草履、ジャワ人形などであったが、井上氏の顔と日本人同士の気安さで割合に駆引きも少なく、気持ちよく取引できたのは嬉しかった。中にも最後の原商店では主人木谷徳蔵氏の愛嬢が花も恥じらう姿でサービスされるので、売上げも相当にあったらしく、中には同家を煩わして骨董品の買い出しやった者もあり、一行80名の全体消費額は内輪に見ても二万円を下らなかったであろう。或人の如きは一人で宝石数千円を購入した。この日の午後は自由行動であったため、既にアルカフガーデンからの帰途下車したものもあり、この夜にかけてそれこそ自由の天地を駈け回った訳だが、我輩の半日は前述のごとく倉庫の本職とゴルフの副業、それに土産物調達などに没頭し、その他の視察研究は残念ながらすべて一擲したわけだが、少しくシンガポールについて記すところがなくてはならぬ。

写真は、シンガポール市街(交通巡査)

本書は著作権フリーだが、複写転載される場合には、ご一報いただければ幸いです。今となっては「不適当」とされる表現も出てくるが、時代考証のため原著の表現を尊重していることをご理解いただきたい。

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