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赤道を横切る:第20章 ボイテンゾルグ

沿道は芭蕉、竹林、水田で台湾の田舎道と大差ない。近来キャツサバ(芋のなる熱帯低木)が幅を利かしている。ボイテンゾルグはバタビアより60キロ海抜265メートルにある都市で、人口約7万、「Out of Trouble」すなわち「無憂境」という意味であるとのこと、1745年総督ファン・イムホツフ卿の創建以来今日まで総督の所在地となっている。

市街には美しい並樹あり、一箇年中220日間は必ず驟雨があるという。兵営、市場、競馬場もあるが最も有名なるは植物園である。1817年ドイツ植物学者ラインワルトの創設に係り現今世界における最大の科学的実用的植物園で、全面積90エーカー(70万坪)園内の主要道路を通行するに二時間を要すと言われている。

総督官邸西側の通用門から園内に入ると、毎度写真でお馴染みのビクトリア・レジア(オオオニバス)と称する鬼蓮が行儀よく浮かんで、白亜の官邸がコンモリした森陰の奥に隠見している。カメラマン何れも大喜びでシャッターを切る。大池を南に廻ればちょっとした傾斜地があって、そこにとても偉大なる榕樹が樹根を下ろして屹立している。これよりも人目を驚かすのは数町にわたるカナリヤ樹の街道で、見上ぐるばかりの大木その高さ百尺にも及ぶべく、種々の蔓生植物その樹幹を覆い、その蔓に一々学名を付けてあるなど流石に植物園の名に負けぬ。子供らが玉虫のピンなど売りに来る。

園内には約一万種類の植物を栽培し蘭のごときも多種多様、近頃「蘭狂」の気味ある老妻などに見せたらテコでも動かぬであろう。よくぞ同行せざりしことよ。有用作物として木綿、デリス(熱帯の蔓科植物、根が殺虫剤の原料になる)、コーヒー、ゴム、椰子などもある。正門近いところで鉢植えのヒョロ長いタコの木と蟻食草とを見たのは珍しかった。専門の学者などは数日間滞在しても見尽くせぬだけの資料があるらしいが素人にはまずこの位で視察完了のこととし、バン・デル・ビアーというレストランで小憩する。この席で明日バンドン行き展望車座席は定数があるので、三盾(ギルダー)特別支出を要す、希望者は主催者側まで申し出よとのことであった。

写真は、当時のボイテンゾルグ植物園の園内。
ボイテンゾルグ植物園は、現在のボゴール植物園。東洋最大の規模と栽植種を誇る植物園だ。オランダは国土が狭く資源に乏しい国だったから、それを克服するために交易と植民地経営に力を注ぎ世界の強国の一つとなった。ボイテンゾルグ植物園は、まさにその象徴的な存在だろう。学問のためでも鑑賞のためでもなく、この広大な植物園の目的は植民地の産業振興のためだったのだ。
文中に登場するドイツ出身の科学者ラインヴァルト(Kaspar Karl Georg Reinwardt)は着任するや、この地方で食用、産業用、医療用、薬用に使われていたありとあらゆる植物を蒐集し研究した。キニーネなどの薬品から、タバコ、コーヒーなどの嗜好品に至るまで、オランダの国富への絶大な貢献はこの植物園を抜きには語れない。ラインヴァルトは後にライデン大学の教授になり、さらに世界的な規模で植物の研究をするのだが、それを助けたのが、日本から帰国したシーボルトだった。当時のオランダ人の知的好奇心とバイタリティーには、植民地経営の善し悪しは別として、畏敬の念を抱かざるを得ない。

本書は著作権フリーだが、複写転載される場合には、ご一報いただければ幸いです。今となっては「不適当」とされる表現も出てくるが、時代考証のため原著の表現を尊重していることをご理解いただきたい。

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