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わたしの視点:池田正彦(広島文学資料保全の会)

旧・陸軍被服支廠再生・活用をめざして

 旧・被服支廠の取り壊しの報道が、今月(2019年12月)あった。いくつかの団体が取り壊し反対の申し入れ、署名による要請を広島県に行ったと伝える。

 広島県は、来年度(2020年)4棟(1棟は国所有)あるうち1棟のみを保存し、2棟を解体する方針を明らかにした。(12月4日に開かれた県議会総務委員会で、所有する3棟のうち1棟のみ保存し、あとの2棟は解体)

広島県の「2棟解体、1棟の外観保存」方針は、老朽化による安全対策・財源の問題をあげて、説明されているが、老朽化は今はじまったことではなく、長期間放置した責任はどこにあるのだろう。ここにおよんで「安全対策」を持ち出すのは姑息と言わざるをえない。しかも「1棟保存」といっても「あくまでも外観保存」で内容的には「活用」にほど遠い。(安全対策を盾に内部には入れない……そのような「保存」なのだ)たしかに「財源の確保」は容易なことではないことはわかるにしても、あの高速道建設(広島市と県が出資する広島高速道路公社・広島5号二葉山トンネル工事)の巨大な増額支出をいとも簡単に決めたのは誰だったのだろう。
広島市長の「全棟保存」発言にしても「県に要望した」程度で、財源については「まず県の取り組みが基本で、どんな協力ができるか」と、まったく及び腰で、調子だけは良かったが、内容は見るべきものはない。
湯崎県知事のお父さんは、早世された当時広島大学教授の湯崎稔氏だ。彼は、被爆時の広島市中心部の復元地図に取り組んだことで有名。(収集した多くの資料は広島大学原医研に保存されている)
余談になるが、<爆心地復元地図>に取り組んだ湯崎先生のお話しを聴かせていただいたことがある「被害を何万とか、そんな数量で括るのは間違いである。20万の死があれば、20万それぞれの歴史がある≂個からみるべき、その一つづつを明らかにし、無念さを実証することが私たちの仕事」と力説された。心に染みる言葉で、今でも鮮明に記憶している。
また、松井市長のお父さん(松井明雄)は、銅蟲(銅蟲細工は、芸州・浅野時代からつづく伝統工芸品)職人で、平和大通りに建つ広島市医師会原爆殉職碑(中区小町)の二羽の鳩は彼の作である。
今回の旧・被服支廠をめぐる県知事・市長の対応は、お二人の先達の崇高な思いの何を継ぐものであろうか。

 広島大学名誉教授・三浦正幸さんは、「日本で最も古いレベルの鉄筋コンクリートの建造物で、国の重要文化財にも指定される価値がある。日本の将来に禍根を残す」と語り、「財政事情の理由の一つに挙げている点についても、県が建物の価値を広く市民に訴え、寄付を募るなどして、財源の確保に努めるべきだ」という考えを示した。

 さて、私見になるが……
いくつかの団体が広島県に「解体反対」の申し入れ、要請を行ったとのニュースが流れたが、不思議なことに、活用については、まったく触れられていない。(保存と活用はセットで語るべきだ)
 広義に解釈すれば、現在の状況でも「保存」なのだ。ただ「活用」せず、長い間放置してきただけなのだ。

① 広島県は、おためごかしに、これから市民・県民の意見を聞くというが(アリバイづくり……)
結論(1棟のみ保存・2棟解体)を先に出して、意見を聞くという不誠実さこそ問題なのである。
広く意見を募り、結論は先延ばしすべきである。(市民団体は県の態度をもっと追及すべきである。)

② 多くの報道も、広島県が1棟のみ保存・2棟解体との方針を伝えているが、広島市の連帯責任を追求しているものはほとんどない。(たしかに所有は広島県であるが、「平和・文化都市」を掲げる広島市は率先して平和施策の重要な課題として再生・保存に取り組むべきであり、他人事ではないはずである……広島市長は、保存・活用の費用は負担しないと、発表)

③ 実は、1992年、石丸紀興さん(元・広島大学教授)を中心に『赤れんが生きかえれ』(旧・陸軍被服支廠倉庫の再生にむけて)被服支廠活用提案がされており、長い間放置してきた責任は誰なのであろう。
 *「提案」は、再生・活用例も具体的に示されており、「広島にとって魅力的な空間を創出する」積極的意味をもっている。

④ 昨年から今年にかけて、原爆資料館の耐震工事中、たくさんの被爆した暮らしの遺品が出土したが、この出土品の活用・展示先はまだ決まっていない。(それこそ、この出土品を、被服支廠の一空間を利用して展示すれば……被服支廠も、出土品、双方が活きる)
  *だからこそ、広島県は広島市と共同し、保存・活用に向けて積極的なリーダーシップをとるべきだ。……そういう論調もないのも哀しい。

⑤ 私は長く「広島に文学館を!」の市民運動に携わってきた。広島市は文学資料収集の予算はゼロであり、残念ながら文学館構想は限りなくゼロに等しい。(広島市は、中央図書館の一角に小さな「文学資料室」を設けているが、多くの人はその存在すら知らない。(資料収集体制、展示・活用の実態はまったく貧弱といわざるをえない)
この被服支廠の一隅を利用し、峠三吉を中心とした「原爆文学資料室」があれば、峠三吉の詩(倉
庫の記録)と被服支廠と直接繋がり、平和教育に大きく貢献すると考えるのは、私だけでないだろ
う。

⑥ あまり知られていないが、ヒロシマを描きつづけた詩画人・四國五郎さんは、この被服支廠に勤務し出征した。現在、四國作品の常設施設は郷土・大和町(小学校の廃校を利用した教室)にあるが、広島市にはない。(四國作品を収蔵している施設もない)反戦・核兵器廃絶を訴えることに生涯をささげた四國五郎さんの生き方・作品は平和教育そのものであり、被服支廠の空間を埋めるもっとも適した作品群である。

⑦ 広島復興という視点も必要。
たとえば、一角を、「広島カープの誕生」「広島お好み焼きの歴史」「広島復興を牽引したマツダのバタンコ」など、広島復興の歴史が庶民的感覚で展示。

⑧ 被服支廠を広島回遊の拠点に。
宇品港、郷土資料館(旧・糧秣支廠)、広島大学医学部医学資料室(旧・兵器支廠)、旧・日本銀行、アンデルセン、袋町小学校平和記念館、本川小学校平和記念館、平和アパート(戦後復興第一号の鉄筋アパート:峠三吉を中心とした戦後広島ルネッサンスの拠点)、比治山(陸軍墓地など)などなど、マップを作成して多くの人が散策できるようにする。*「平和アパート」は、広島市は取り壊す予定。
*宇品には、当時陸軍輸送船を統括する運輸部がおかれ、そのための施設として、兵器廠・糧秣廠・被服廠がつくられた。宇品は文字通り、兵士・物資を大陸に送る拠点となった。(軍都・広島の歴史の視点も重要である)

⑨ まだまだたくさんの活用についての意見はあるはずである。拙速的な解体ありきではなく、積極的に「再生・活用」を求める活動が今問われている。

*遅ればせながら、12月18日、朝の記者会見で松井広島市長が保存について態度表明(全棟保存を県知事に要望)をしたとのこと。しかし、 「広島県に要望」にとどまっている。「平和・文化都市」を標榜する市長が、この程度で茶を濁すことを許してはならない。積極的に「平和市長」として、「再生・活用」にむけて、本腰を入れて行動することが今問われている。

沖縄においては、首里城焼失に対して、いち早く沖縄県民はもとより沖縄県・那覇市など行政をあげて復元への取り組みを開始し、内外の多くの共感を得ている。広島との落差を憂う。

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「広島文学資料保全の会」は、広島を中心とした近代の日本や世界の文学活動の歴史的研究を行っているグループです。
http://www.wheritage.net/genbakubungaku.pdf
(↑2014年時の資料ですが、どのような活動をされているかがわかります)

1月26日(日)午後には講演会を開催されます。ぜひこちらも足をお運びください。

赤れんが  よみがえれ


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