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宇宙人は存在するのか

7歳くらいになった時、はじめて宇宙人が登場する映画を見た。その映画は、東宝が制作したゴジラシリーズのひとつで怪獣大戦争というタイトルであった。そこから想像されるストーリーは、いくつか怪獣が出てきて戦いを繰り広げるというもの。そんな戦いのシーンを描くことだろう。ということは宇宙から飛来したものは敵という前提だった。映画では、設定として人類の敵と味方がなんなのかというテーマが含まれていた。

あの頃、登場する怪獣は敵だった。怪獣を操る悪い宇宙人が登場する。X星という太陽系にあるかどうかさだかではないところから怪獣をひきつれて人類を滅ぼそうと企む。その目的は地球に大量に存在をする水を求めて。この着眼点はとても印象的だった。

はたして宇宙人は存在するのか。存在するとしたら、敵か味方か。敵であれば戦うしかないものの、味方であった場合はどうするか。

映画では、最初はがんの特効薬を提供すると人類をだましてひそかに隠れて人類絶滅計画を実施。ただ、その中で美しい女性が地球人の男性と恋愛関係に陥るいう計算外の出来事も見逃せない。後から考えると面白かった。

ある集まりで宇宙人、つまりエイリアンは存在するのかという話題があった。10人くらいの集まりでそこにはチャーミングな女性が数名いた。ひとりひとり、意見を述べて、その意見を発した理由を話した。最初に意見をいうのはわたしだった。

この文章では、宇宙人が存在するのかというと問いに対してどのような回答をするのがいいのか。これだという流れはないものの、こうならば、ある程度の話としてつながっていく。そういった内容の文章を書いてみます。

結論からいうと存在を真っ向から否定するのはよくない。その理由はエイリアンの探索についてはいくつかの方法が使われている最中であること。多額のお金を費やすのは無駄という落とし穴に入らないこと。お金の問題ではないこと。そしてどちらかというとわれわれ人類のほうがエイリアンであり、知的生命体として特別ではないかということ。

宇宙生物学における生命の起源と地球外生命体についてはまだまだわからないことが多いこと。ですのでこれは趣味として読者の方もどこかでだれかと話をしたほうがいいということです。

ここでは、集まりの様子を流れに沿って描いてみることにしましょう。

まず、宇宙人は存在するのか。その存在の可能性はあるのか。という問いがされました。わたしはエイリアンは存在しない。それは、見つかっていないから。50年は経過しているというのにだれも見たことがない。そのように可能性を否定した。そこからはじめたのです。ところが半分以上のひとたちは見つかってはいないことは認める。しかし存在する可能性までも否定することはしなかった。これが大半のスタンスでした。

ここでは、まず宇宙人、あるいはエイリアンという定義が問題。というのは、人間の形をした生物だけを指しているのではない。普通は、地球外生命体のことをいっており、多くは人類より科学がはるかに進んだ知的生命体のことを思い浮かべます。ただ、進んだ知的生命体だけでなく、アメーバのような原始的な生き物から、くらげのような形をしたもの、飛行体、泳ぐ生物、あるいは細菌までを含めて地球外生命体と指しています。

ですので地球で見つかっている生命体でないこと。地球外ではあらゆる形状の生命体がいる可能性があり、その可能性は否定できないということがいえます。ここでわたしのように存在しない、可能性はない、といいきってしまうとそこで話が終わってしまう危険性がある。わずかな可能性があるために宇宙生物学者がいろいろな方法で仮説を証明しようとしています。

主に二つあるそうです。一つ目は、生物、特に人類の体を構成する元素に着目すること。この元素が存在するのは宇宙空間だけでなく、人の体を構成していることがわかっています。酸素、炭素、水素、窒素、カルシウム、リンの6元素で99%が構成されています。

これらの構成元素のほとんどが太陽のような恒星の内部で起こる核融合反応によって合成されるということ。つまり、惑星上にある物質の化学反応により合成され、なんらかの形状を宿すということがいえましょう。つまり、人間の体はこれらの合成体として形作られている。

そのため、地球外の惑星に存在するかもしれない生命体の探索には、まず水が惑星にあるかどうかというのに着目します。地球に比較的近い金星、火星、木星に水があるのかどうか、あるとすればどのくらいあるのか、そんなところを探索するのでしょう。

ところがたとえそれらの惑星で見つからなくても、銀河系宇宙には、太陽系だけではない。それ以外にはるか離れたところに太陽系に似ているところがいくつも見つかっています。惑星が次から次へと発見されるようになった。そうすると地球と同じような物質が合成されて生命体が誕生しているかもしれない。そんなアプローチがとられます。ただ、それで見つかっているわけではない。

そうすると別のアプローチを試みます。生命は、進化論により、誕生から成長、その成長の過程でゆっくりと進化します。そして進化の過程で別の生命体、つまり、子孫を残す。その子孫を残す行為は繁栄であり、その際に成長、進化の記憶を記録として残して、ある種の信号として送るという行為をする。これがシグナルというものでしょう。

これは生命の誕生、維持、繁栄には必要なことです。そのため、ハワイには信号を受け取るために天文台ができました。ただ、いまでも信号を受け取ることはできない。ただ、信号かきている、あるいは、来るであろうという可能性は否定できないのです。

こうやって集まりでは、1時間くらいが経過しました。そこで次の問いがわたしに向けられたのです。地球上にはもっと大事な問題があるのではないか、貧困、飢餓、不治の病、それらの撲滅のほうが大事ではないか。このような未知の生命体の探索にどれだけのお金をかけているのだ。

お金は有限。かけるべきではない。わたしもそのように考えたひとりでした。

NASAは、火星に人を送るような計画をするよりももっと緊急の課題に取り組みべきだ。たとえば、人工衛星で気候変動を観測して、そのデータを解析する。それでより精度の高い気象情報を送る。そのほうがましだ、そう考える人も出てきましょう。

確かにお金はかけすぎないほうがよい。無駄にしているだけではけしからん。それはもっともな意見でありましょう。ところがこれはお金の問題というより生命体の観測の過程でさまざまな発見アプローチが生み出されている点。そして生物の構成を知るうえで病気の発見やひょっとしたら治癒の方法がわかるかもしれない。そういった研究の成果はなかなかお金に換算できない。

気候変動といった話題にシフトしていくのがよいだろうが、ほんとうにシフトできるのかといった問題も出てきます。違う分野の研究ですから。ですのでお金の問題にすり替えたり、他の分野との比較をするのはよくない。

そして最後に、これがわたし自身が集まりの中で発見的だと考えたことがあります。それは、われわれこそがエイリアンであり、宇宙人ではないかということ。たまたま、偶然に地球という惑星に誕生し、進化して住みついているだけのこと。動物として、その繁栄のため子孫を残す。その数は78億人ともいわれています。

くらげのような形をしたものから観測すれば、人類こそが突然変異体といえるでしょう。月曜日という暦をつくり、こうやってデジタルプラットフォーム上でなにやらタイピングをしている。そのタイミングを誰かが読むであろうと記録を残す。そのもとになっている題材は、ある集まりで外国人のひとたち10人と話をしたこと。そこで学んだこと。それを伝える行為ですら突然変異体のしていることかもしれない。

そんなことはくらげはしません。タコやイカでもしないでしょう。言語というものは使わないにしても音波や脳波でイルカやクジラは交信をするといいます。しかもクジラは地球上の海にいるはるかはなれたところにいるクジラと交信をとっている可能性がある。そのようにいう動物学者にも会ったことがあります。つまり、生命の誕生、伝承というものがまだわかっていない。

ですのでこの探求はやめないほうがいいとはいえない。お金はそれほどかけてはいけませんけど。

宇宙人は存在するか。存在をするとしたらどのようか形をしているか。そのような問いかけにはX星人の写真を見せたものです。それだけ私の中では、映画に出てきた、はじめて目にするエイリアンの姿が印象に残っています。あの映画からゴジラシリーズではいくつも宇宙から飛来する生命体が登場します。ただ、どうも人類の敵として描かれている回数が多い。

集まりでも大半は敵として見なす傾向がありました。わからないのもには恐怖を覚える。ただ、どうでしょう。エイリアンは敵でもあれば、味方でもありうる。味方であればどんなにすばらしいことでしょう。集まりに参加した空想科学小説(SF)の作家は、こんなことをいってました。

ひょっとしたら、エイリアンはわれわれの味方であり、だれかは、エイリアンと結婚したいと考えるであろう。人がエイリアンと結婚する。そんなことはありうるはずもないのですが、ここでそのアイデアを否定はできません。可能性があるかぎりは。