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話題を提供した人が損をするおしゃべり会

2022年の五月末、どうしても何かしゃべりたくなった。家族と話すのが多かった状態が長く続いたこともあった。不特定多数で素性がわからない。そんなひとが集まってきても別にかまわなかった。ズームで簡単にそういったサイバー空間が用意されている。さっそくいろいろなところを探した。

よさそうなイベントがひとつ見つかった。Meetupに公開されている「Let's talk about our world」というものだった。そこには毎朝10~20人くらいが集まる。主催者と簡単な挨拶をかわし、各部屋に分かれる。部屋の中に来る人たちは4~5人。3人ということはない。また6人ということもほとんどない。

平日の7時半からスタート。ただズームがはじまるのは7時35分。そこでどの部屋にはいるのかがわかる。ほとんど顔見知りになってくる。顔見知りなのになぜかわからないことがある。それはイベント情報に違反してくる人が多いことだ。話題を持ってこない。他力本願な人ばかりが集まる。なんでもいいから話をするだけという目的も関心事も不明な不特定多数の人たち。

するとこんなことが起きる。ある人がわたしに向かって言う。あなたの話題はとても楽しみにしている。ぜひ提供してほしい。そしてわたしが提供する。1分くらいで状況説明。そして質問をして反応を見る。それぞれに話をして続けば8時には終わる。

ところが無事に終わらない時がある。提供して10分したころにある人がこういう、「面白くない、話題を変えよう」。するとその文句をいったひとが話題を提供しない。そのまま怒って勝手に退出してしまう。いかにも非礼な行為だ。わたしはこれまでそのひとに謝罪をされたことがない。なぜ話題と提供したときにこう言わないのだろう。「申し訳ない。その話題にはあまり関心がない。わたしの話題を話すことにしよう」これであれば失礼にはあたらない。

もうひとつ会が提供されてすぐにこちらに振ってきた。ぜひ、話題を提供してほしい。そして提供して5分くらいしたところである人がこういう。「こんなの面白くない。話すのが時間の無駄だ」そう言い放ったまま、延々とだまりこっくって時間が過ぎていく。8時に終わる。わたしの頭に残っているのは、その人から聞いたこと。こんな話題は時間の無駄だ。それだけになっている。どうしてこうなるのか。なぜ、こういえないのだろう。

あなたの話題は理解できる。ただ、今日の朝はこの話題にしませんか。次にわたしがいないときにこの話題を別のところで話してみてください。わたしはちょっと遠慮しますから。それなら失礼にはあたらない。

そして先週あったことはこうだった。ある女性がわたしにいった。ぜひ、話題を提供ください。あなたの話題はひどい内容の話題としてもよくしられていますから楽しみです。こういって依頼をする。

こんな状況になったときにどういう気持ちになるのか。それを集まってきた人に聞いた。来たひとたちは5人。年配の男性2名。中年の女性3名。ある男性がこういってきた。ぜひ、話題を提供ください。

わたしはこういわれるのを待ち構えていた。そのひとに向かってこれこれの状況が発生した。どういう気持ちになるのか。依頼をした男性はだまっていた。もうひとりの男性はいつも15分遅れて入室する遅刻の常連であった。おそらく話題を提供するのがいやでわざと遅れてくる人なのだ。

ある女性がいった。そんなことたいしたことではない。するとわたしはその女性に向かっていった。たいしたことではないですって。どういう意味ですか。あなたが同じ状況でしたらどういう気持ちになるのですか。いわれて話題を提供したらほかの人が面白くない、すぐに話題を変えようというのですよ。同じことをされたらどういう気持ちですか。それでもたいしたことではないといいはねる。そうとう不可解なことをいう人だった。

もう一人の女性がいった。であればあなたは怒っているということですか。あたりまえである。同じことをしてあげましょうか。どういう気持ちになるのですか。実はその女性は1年以上1度も話題を持ってこないひとだった。ただおしゃべりをぶらさがってしたいというだけのひと。

最後に女性が続けた。これは話題を提供したひとがこういう状況に近いと思っているのではないか。話題をほしい。でも批判されるからあげたくない。話題を提供するのはこんなことにも似ている。食べ物がほしい。あげたらまずいといわれた。なにか浮浪者が話すようなことだ。またお金がほしい。あげたらこんなんでは足りない。そんなことをいうのに似ているのではないか。

こんな会話が15分くらいの間であった。わたしは状況を話した後はだまって聞いていた。そして途中からばからしくなって終了の10分前には退出した。このひとたちはひとの気持ちがわからないんだ。

このイベントは離れようとしているということは書いた。しかしときどき面白い話が聞ける。100回参加して50回話題を提供したがほんの数回なるほどという理解をしてくれるひともいた。さてこのちょっと中毒依存になりそうなおしゃべり会。どうしたらいいもんだろう。