快適な労働空間への投資と評価
一か月ほど前の9月19日、メール箱を開けて見ると一通の案内状が届いていた。案内には労働空間を快適にする。それによって生産性を上げる。そのことについてプレゼンテーションがあるという。日時は10月6日朝9時。オンラインイベントでニューヨークの人たちがZoomを使って一般に公開しているものである。
ここは日本人会であってニューヨークというビジネスの街で働くひとたちが集まってくる。組織の外でビジネスについて話す。その狙いはなんらかのコミュニティを形成してあまり肩を張らないトークをする。ただし集まってくる人はビジネスの専門家であってアメリカで経営学修士(MBA)を取っている人を対象にしている。そのため経営の専門用語を知って身に染み込ませていないと内容を理解することが難しい。
この91回続いていてfacebookにも公開されているイベント。去る10月6日にあった。わたしは都合がつかなかったため欠席した。ただし内容には関心があった。それから10日くらいして開催レポートが送られてきた。それもfacebook上に公開されている。興味のある人はfacebookから「NY MBA日本人会」と検索すれば告知と開催レポートが見れる。
さて以下はわたしがこの開催レポートを読んで主催者に返信をした内容である。少しだけ編集してある。
感想文
開催レポートの送付ありがとうございます。今回はわたしにとって関心の高いテーマであったにもかかわらず都合がつかず欠席であったのが残念です。開催レポートを読んだ限りでの感想を書いておきます。経営者がコストではなく投資という考えでオフィス空間を考えたほうがいいのではないか。そんな感想を持ちました。
はじめに皆さんにも役に立つかもしれないわたし自身のエピソードを書いておきます。20代の頃はバブル経済で銀行で働いていました。千代田区にある新霞が関ビル19階ではそれはそれはぜいたくなオフィスでした。大阪にあった駐在員事務所では70万円もする両袖の机が用意されていました。ただやっていたことは財務データの集計処理といった事務処理。意思決定をしていない。
30代になると渋谷にあるグローバル企業のオフィス。近くにある青山学院大学の緑豊かなキャンパスとは裏腹に別館地下室で4年間。やっていたことは業務系アプリケーションの導入という泥臭い仕事。薄暗い牢屋のようなところで仕事をしていました。
40代に商社の品川オフィス29階にいくとそこは快適。そこではじめてファシリティマネジメントというものを聞きました。やっていたことは事業投資先管理というファイナンス。この商社では財務の考えを使ったオフィス空間をもっていた。ただ商社ですからそこには山師がたくさんいて危険な投資をたくさんしています。ちょっとオフィス空間の財務に走りすぎた感はありました。
これからはオフィス空間をコストではなく投資としてとらえたほうがいいのではないか。そのように理解しました。知的な仕事にはコスト管理は向かないでしょう。これまでのように会計上のBSやPLにのっかってくる勘定科目でとらえない。してしまうとどうしても効率的に運用しようとする。
それよりはむしろ将来への投資と考えたほうがよいでしょう。このほうが妥当ではないか。そうすると収益に見合った投資なのかと厳しい目線になる。そんな中でどこまで経営者として攻めることができるかでしょう。一般的に東証プライム上場企業の経営者は守るのは得意。攻めるのは苦手。
次に生産性という指標も議論の対象になるでしょう。この指標を使うとどうしても生産性を上げようと考える。すると効率重視となりどこかで行き詰ってしまう。その理由はシューズをいくつ生産するのかといた工場ではなく、東京にあるオフィスは知的な作業をするところ。しかも事務処理ではなくなんらかの意思決定をする。会議や机で報告書をまとめたりする。
その空間にはリスクマネーを使う。投資案の評価に使う収益率や回収期間を尺度に考える。財務会計のような製造業をベースにした過去の数字を使うと空間設計できないのではないか。管理会計でもちょっと無理ではないのか。そんな疑問もあります。
そしてマインドフルネス。自身の経験からすると集中力を高める効果があります。癒しやストレス軽減にはなりません。病気の治療にもなりません。例えば成田山新勝寺のお護摩を受けてみる。わたしは5年くらい前にどうしても心身のバランスがくずれて治らなかった。そこで10週間にわたり毎週1回行きました。すると日常の詰め込みすぎた必要のない情報が頭から抜けていく。あるいは頭の隅っこに追い込んで優先度を下げるようにする。感覚的には集中できるようになりました。お護摩は科学的根拠もあるはずです。
結論として空間へはコストではなく投資としてとらえる。人間観察や人間観測は持ち込まずファイナンスで割り切る。数学的・論理的な考えのできるMBAならではの力の発揮どころでしょう。評価には収益率、回収期間といった尺度を使う。
それにしてもニューヨークでMBAをとるようなピカピカの経歴のひとたちが「散りゆく桜のように」はないだろう。それよりは非感傷的または反感傷的に扱う。戦国時代の京都にいた将軍のように普段はきらびやかなお城にいて闘争する。その一方でひと時の間を桂離宮のように質素でなにもないところで静かに過ごす。そんな空間の持ち方が都内でも可能なのではないでしょうか。以上
この感想文で言いたかったことは2点ある。
ひとつは労働空間にお金をかける場合は投資と考えたほうがいいのではないか。空間コストと考えるとどうしてもその空間コストを効率的に運用しようとしてしまう。これは行き詰まりやすい。それよりは株式市場から企業に流れるリスクマネーを使う。コストではなく投資とする。
そうすれば投資に見合った空間かどうかという評価尺度が出てくるでしょう。つまり収益率や回収期間といった物差しが適用される。たとえば新しい空間に投資をしてその結果、回収期間が15年間で収益率が年率平均でどのくらいアップするのか。それが4%であったらとてもいいではないか。
収益は上がったのか。回収はできたのか。そういった投資案に対する尺度で評価されましょう。よって実現できなかったときは厳しい評価が下される。
もうひとつは快適な空間にすることで労働生産性が上がるというもの。そのような因果関係は必ずしもない。これに正の相関関係があるというのは感覚的にはいえよう。科学的もある程度実証されよう。しかし再現性があるわけではない。労働生産性は変わらないか逆に下がってしまう場合がある。
再現性だけではない。普遍性があるわけではない。つまりいつでもこの因果関係が実証されるわけではなかろう。またどの産業、企業の労働環境においても適用されるわけでもないだろう。指標選びには慎重さが必要なときがある。
つまり理論としては実証されてはいない。そこがリスクでありリスクマネーを使う根拠になろう。はたして経営者がそれを行うかどうか。おそらくはしないのではないか。