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印鑑文化は次世代まで続くのか

40年前に小学校を卒業した。そのときに細いプラスチックでできた印鑑を記念としてもらった。12歳であった。中学校と高等学校で使った覚えはない。はじめて使ったのは大学に入学したときに銀行口座を開設した。口座を持つには印鑑が必要だった。

大学入学と同時に銀行口座を持ち定期的に親に仕送りをしてもらった。その後28歳で結婚をして市役所に婚姻届けをした。書類に印鑑を押して届け出をした。子供が生まれてしばらくして自動車を購入。購入には印鑑を押した。さらにマンションを購入したときにも印鑑を押した。家、車、そして結婚には印鑑の中でも実印が必要だった。

印鑑がひとつというわけではない。家の中を探せばなぜかいくつも印鑑がある。新聞の支払いに使う認印。宅配便の受け取りに使う認印。そして市役所に届けてある実印。どれをどこに使ったか。その記録があるのか。さて印鑑というのはこんなに何本も必要なのか。40年後の今では印鑑なしで口座を開くことができる。銀行にいかなくてもスマホで口座は持てるようになった。

あるオンラインイベントで印鑑産業は次世代まで続くのか。印鑑というのは必要なのか。そういう質問を投げてみた。5人のひとたちが集まりシニア世代のひとたちが多かった。3人は印鑑文化を支持。ひとりはどちらともいえない。わたしだけが反対をした。

この文章では印鑑産業なるものは衰退して早めにデジタルに移行した方がよい。そういう内容で書いてみます。理由は実印の値段、労働生産性、そして象牙の密輸です。

まず値段がとても高い。全国で約1万店あるというはんこ屋さん。伝統的なやり方で丁寧に実印を彫っている。その値段は8万円するという。この8万円というのは高すぎるのではないか。20代の世代にとってこの負担は高すぎる。それを親が支援をするというのはおかしい。

というのは20代になればだれでも車がほしくなる。そのときに実印がいる。車も結構高額でありその取得手続きに8万円出費はつらいのではないか。車を持てばパートナーと出かける機会が増える。いずれ結婚をする。婚姻届けにでかけるときこの値段は負担として高い。やがて持ち家に住む。ここでも実印は必要だ。この値段がボトルネックとはいえないもののこれほど高い実印を身元の証明にだけ使うのは金銭的負担として大きすぎるであろう。

次に印鑑を押す文化は役所で多く残っている。民間企業では次第になくなってきている。認印がある一方で電子的決済が進んでいる。ところが役所のオフィスは相変わらず紙が山のように積まれていて雑然としている。仕事をするにも紙の中から埋もれた資料を探し出してきて承認をする。

これが労働生産性の向上にはつながらない。日本の労働生産性は過去45年間G7で最低ラインを維持している。他の6国は若干の順位の入れ替えがあるものの労働生産性つまり時間当たりの生産量は高い。この日本の低い生産性のひとつに紙文化と印鑑を使って仕事をするのが原因という指摘がされている。デジタル決済ができるのである。

そして印鑑をつくる素材として象牙が使われている。象牙を使うには象を狩らなければならない。ところが象をむやみやたらに狩ってそれを密輸することはワシントン条約に違反している。中国から日本への密輸は後を絶たない。

象は狩るべき対象ではなくどちらかというと動物愛護の対象ではないのか。国連の17の目標を掲げたSustainable Developmental Goalsつまり持続可能な成長目標のひとつではないのか。日本は国連の加盟国でありいまでも重要なメンバーではないか。法令遵守をせず象牙を密輸するというのはいかがなものか。

これはある一方的な見方であり幾分偏見ある議論ではある。というのははんこ屋さんの生活は苦しい。80年以上の伝統ある店も川崎市にある。そして印鑑というのが日本文化の継承に役立っていることも確かである。わたしの住むところに近い流山市。そこでは引退をしたひとたちが集まり木彫りをしている。2年かけてじっくり人形をつくり森の図書館の展示場にかざっている。実にみごとな彫り物もある。仲間どうしのコミュニティがある。

印鑑の文化が幾十にも重なりそれが政府および民間企業における汚職の摘発に役立っているという指摘もある。印鑑が汚職の摘発に一役買っている。

しかしながら若い世代のひとたちにとっては印鑑文化はもはや過去のものであろう。産業としては衰退していきデジタル化の方を進めていった方がよいというのがわたしの意見だ。

40年の時を経てまさかこのように印鑑を見立てるとは考えられなかった。12歳でもらったときには何に使っていいかさえ知らなかった。しかし時代は移り変わりデジタルの波はもうすでに来ている。

読者の大学生の皆さんはこの年末年始にこの伝統文化に対しなにかしらの疑問を投げかけてみてはどうだろう。持ち知り合いとディスカッションをしてみるのはどうだろうか。お餅を食べながらでもよい。